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国旗・国歌問題

国旗・国歌問題で考えた.なぜ公務員である教師に指導を命じることが,生徒児童への「国旗・国歌の強制」と受け取られてしまうのか.

陛下も都教委の方針を「強制になるというものでないからね…望ましい」とおっしゃられているではないか。だからこそ米長氏も「もちろんそう!」と応えたのであり,決して氏が陛下のお言葉を逆にとったわけでも考えをひるがえしたわけでもない.

石原都知事にしても現在のやりかたが強制にあたるとは考えていない.つまり強制しようという意思はない.

都教委のやり方が「強制」と思えてしまう人というのは,どうやら教育勅語に間違ったことが書いてあると思ってしまう人らしい.

これでは公務員に義務を求めることが国民への強制ととられてしまうという馬鹿げたことが起るのも無理はない.

この辺のことは単純に,あるテキストをどう読みこなすかという問題のような気がする.テキストを解釈するときにどういうバイアスがどうかかるのかという問題.

都教委としては国旗・国歌の指導を進めていただくとして,我々市井の人間は,テキストで進歩的言論のおかしさを個々に指摘してバイアスを解き明かしてゆくことが,問題の解消につながってゆうくのだと思う.

なお,教育勅語の主要部分の口語訳を以下に引用してみる.


 国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や,秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

どうしてこんな当然のことが排斥されなければならないのだろう.いやホント.