もう一つの「戦争学」

松村劭:『もう一つの「戦争学」』(ISBN:4829503483)読了.

戦争について簡潔に解説した本.副題に「社会的アプローチで見る戦争」とあるように,専門家向けとかマニア向けではなく,社会にとって戦争とは何か,といった視点から総合的に解説している.

第1章の「軍事力の歴史を概観する」は学校の歴史の教科書に似て記述が駆け足すぎだが,最後の「七、歴史に見る戦争現象の特色」は巧くまとめてあり読み応えがある.

この節を見ると,戦争というのが実に色々あることが分かる.

絶対的反戦・平和主義の視点からは戦争というのは等しく残酷で悲惨な狂気の沙汰に見えるかもしれないが,歴史を概観すれば戦争はそんな均質なものではない.非戦闘員の犠牲がほとんど出ないものもあれば,文字どおり残酷で悲惨なものも少なくない.

特に本書でも指摘しているが,内戦は悲惨である(P.88-89).

 しかし、国内戦は隣接国との軍事バランスを決定的に崩壊させ、対外戦争の引き金となっているばかりでなく、国内戦ほど「怨念と欲望」の対立が高いものはなく、一般に残虐にして<戦いの不文律>も無視され勝ちである。さらに戦争発生の頻度は、対外戦争よりも高く、おおむね戦争の六〇%以上が国内戦である。

 国内戦の戦争目的は対抗者の抹殺であるから、<城下の誓い>を受け入れるような政治目的が存在しないからである。

絶対的反戦・平和主義の皆さんは確か残虐な殺戮や略奪・暴行などで罪もない普通の人々が悲惨な目にあうことを防ぎたいから戦争に反対なのだという認識でよろしいだろうか.
とすると,悲惨さでも発生率でも内戦はおよそ無視し得ないはずではないかと思うのだが,内戦を防止するための策というものを不思議とかの人々から聞いたことがない.むしろ,「イラクから多国籍軍撤退を」などと内戦勃発必至な施策を提案しているように見えてしまう.平和主義者の皆さんは戦争について詳しいはずなので,内戦がこのような性質をもっていることはとっくにご存じのはずなのに.

閑話休題

本書では終章「総力戦批判」で「総力戦」は「「国内戦」(Civil war)にのみ適用できるもの」(P.187)と指摘している.そしてはっきり,「第二次世界大戦は異常だった」(P.188)と言っている.

なぜそのような異常な戦争になったのかというと,アメリカが南北戦争を通して,戦争をそのように認識していたことが背景にあると考察している.

やはり内戦イクナイ,というのがひとつの結論.

あとアメリカについて考察するなら,軍事力は強いけどアメリカは戦争には疎い,ということも言えると思う.第二次大戦,ベトナム戦争湾岸戦争イラク戦争,と見てゆくとだんだん戦争に疎くなくなってゆく様子が見えてくる.それでもイラク戦争ではサダム・フセイン政権が瞬時に消滅してしまい,「城下の誓い」が成立せずにやっかいなことになっているわけだが.

本書の「総力戦批判」は,内戦の理論である総力戦を国家間の戦争に持ち込むことが人類の戦いの歴史にてらしていかに異常であるかを指摘する他,無差別テロや経済制裁なども総力戦論の延長にあるとしている.

日本人の普通の感覚では経済制裁を戦争だとは思わないだろう.しかし,「非戦闘員が真っ先に犠牲になる」(P.189)というところがまさに総力戦.そして,イラクサダム・フセイン政権が経済制裁で倒せなかったように,これはきわめて効率の悪い戦争でもある.

悪しき北朝鮮経済制裁を,というのも,言うだけなら簡単だけど,よほど巧妙にやらないと思うような効果は見込めないことになりそうだ.

特に小泉政権としては,制裁を行えば表立って戦争状態になってしまうので,それをを避けようとして断行できないのだろう.多分一番気にしているのは,開戦奇襲でテポドンが飛んできて犠牲者が出ること.困ったことに,今の日本ではその奇襲をほとんど防げないし,報復もろくにできない.むしろ向こうのミサイルと同じで,「経済制裁」はあくまで譲歩を引き出す脅しの道具として使ってゆこうというつもりなのかもしれない.

もう一つの「戦争学」―社会学的アプローチで見る戦争

もう一つの「戦争学」―社会学的アプローチで見る戦争