牧島貞一:『炎の海』(isbn:4769823282).
日華事変〜太平洋戦争に従軍した同盟通信記者の手記.
第一章 生と死を直視して
牧島記者は盧溝橋事件を機に会社から戦地の取材を命じられる.取材はアイモによる動画の撮影.
「君が着くころには、もう終わっているかもしれないぞ。そうしたら、北京の町でもゆっくり見物してこい」
こう言って送り出される(P.15).誰も戦争が長期化するとは予想していなかったらしい.
牧島記者が着いた最前線は,高粱畑を挟んで1000m離れて敵と対峙していた.撃ち合いはまず夜中に敵から(P.19).
「諸君を、今夜はここに泊めてやろうと思っている」
と若い中尉が言いだした。
「なぜですか」と聞くと、
「夜になると、敵が一斉射撃をやるのだ。その音を聞かせてやろう……敵のやつ、日本軍の攻撃をおそれて一睡もしないらしいのだ。当たりっこないよ。その音を聞かせてやろう」
「おもしろい、聞いていこう」
と、だれかが返事をした。二、三十人も集まっていた記者も、カメラマンも、全員、一文字山の土手にアンペラを敷いて寝ることになった。
そして夜中1時に短い銃撃.もちろん誰にも当たらない.
翌日は日本軍の砲撃.砲撃はほどなく終わるが,大砲の音で敵の小銃の音が聞こえなくなると,もう怖くなくなったという.そして,「戦争とは音だ」(P.22)と悟る.
第二章 九死に一生の幸運
先の取材の後日本に戻り,その後上海に長期滞在.
陸軍の取材に行くと(P.43-44)
「新聞屋さん、新聞くれよ」
「新聞屋さん、戦争はいつ終わるのかね」
兵隊の言うことは全部おなじだ、もう戦争がいやで、「早く帰りたい」と思っているのだ。
「おい、この兵隊たちは何だ」
と、浅井君に聞くと、
「これが、日本一弱い一〇一師団よ。東京の予備兵で構成した師団だよ」
と教えてくれた。
「ああ、お寿司が食いたくなった」
「お酉様までにゃ帰らねぇと困る」
などと話しているのが耳に入ってくる。たぶん、浅草のお祭りに威勢よく御神輿をかついだ連中だろう。それが、どうしていちばん弱い兵隊になってしまったのか、ちょっと理解に苦しむ。
聞くところによると、予備役の兵隊は、一般的に弱いそうだ。また、大阪の師団も弱いそうで、東京と大阪の兵隊は、現役の兵隊でも、やっぱり弱いそうだ。
そうすると、大都会の兵隊は駄目だ――という結論になる。
「文化的生活を経験した奴は、弱いのかね」
と、浅井君に聞くと、
「うまい物を食って、女の尻を追いかけた奴は、みな駄目なんだ」
と返事がかえってきた。
新聞記者の前で平気で「帰りたい」とか言う日本兵も普通にいたらしい.
牧島記者も相当に戦場に慣れてくる.「戦争とは音だ」もグレードアップ(P.51).
上海へきて、1ヶ月半になる。この間、私はまるで人間が変わってしまったことに気がついている。もう死体を見ても、気の毒だとか、かわいそうだとかの感情が、ぜんぜん起きなくなったことだ。人を殺すことも、殺されることも、ごくあたりまえの日常茶飯事となってしまった。
死んでいる兵隊を見ても、どこを撃たれて死んだのか、注意してよく視るようになった。頭を撃たれているのがいちばん多かった。
弾に当たらないためにはどうしたらよいか、と兵隊に聞いてみると、姿勢を低くすることが第一だ、と教えてくれた。またそれよりも、敵弾の飛んでくる方向を知ることが第一だ、と教えられた。弾の飛んでくる方向を知るのが重要なのは、こっちも百も承知のうえだ。これは耳の問題だった。
北支で最初に知った「戦争とは音だ」であった。
ここへ来ても、耳だけはばかに敏感になっていた。音を聞いただけで、弾の種類から方向までわかるようになった。高いところや、遠くを飛んで行く砲弾などは、いくら音を聞いてもいい気なものだったが、これは近いぞと思った瞬間、もうなにがなんでも、体で地面にしがみつくことになった。さながら、野球のヘッドスライディングをやるように、体を投げ出すのだ。これが自分自身が生き残る唯一の手段だった。
12月の南京攻略.牧島記者は戦車に同乗して一番乗りを目指す.その戦車が12月9日に砲弾の直撃を受ける.同乗していた木下伍長と後藤上等兵は戦死.牧島記者も負傷する.
軍医との会話(P.76).
「お前、なんでこんな傷を負ったんだ」
と、いちおう手当てを終わったところで、軍医に聞かれたので、私はいままでのことを話した。すると軍医は、
「お前のような運のいい男はいないぞ。戦車の中で大砲の直撃をくったら、全員、戦死してしまうのがあたり前のことなのだ。このくらいの傷で、生きていられるのは百人に一人もいないぞ」
軍医に言われて、はじめて私は、そんなに危なかったのかと思い、自分の幸運をしみじみと再確認するとともに、生きている喜びを心から味わった。
牧島記者はこの後,毎日新聞社が用意した原稿を運ぶ自動車に同乗して上海に帰る.仲間の記者が同盟のフィルムをこっそり牧島記者に持たせる.こういった記者達のしたたかさは本書でいくつか出ている.不肖・宮嶋本にも通じるものがあり,これが記者魂というものかと思う.
帰路,長崎に着いてからここが後藤上等兵の出身地と知る.そして同僚の記者と後藤上等兵の遺族を訪ねる.「お母さんも、奥さんも、記者も泣いていた」とこのときの会話が記されている.ここは大変ぐっとくる場面だった.
第七章 機動部隊の壊滅
太平洋戦争.牧島記者はミッドウェイ海戦の取材に「赤城」に乗船.「赤城」を含む空母4隻を失う場面の凄惨な描写.
私が思ったのはこの後.日本に戻った艦隊は呉に入港するも,ほとんどの将兵は上陸を許可されなかった.そして瀬戸内海で軟禁状態に置かれ,やがて南方の戦線に送られた.
ひとつは国内にミッドウェイ敗戦という情報が漏れるのを防ぐため.そして,将兵に敗戦の責任を取らせるため.牧島記者も例外ではなく,船上で軟禁された後,本土に上陸することなくインド洋に向かい「熊野」に乗船して旅立つ.
要するに日本は,敗戦の責任を兵士に負わせたわけで,真珠湾奇襲攻撃の責任をトップに負わせキンメル司令官を更迭したアメリカとまさに対称的.
ミッドウェイの海戦そのものが負ける要素を多く持っていたが,その敗戦の処理がまたこのように不合理なもので,もはや日本は負けるべくして負けたと言わざるを得ない.この海戦に凝集されていた日本の負の部分は,現在しっかり反省されているのだろうか.やはりこの問題が,本書で一番考えさせられたものだった.
- 作者: 牧島貞一
- 出版社/メーカー: 光人社
- 発売日: 2001/10
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