Great Spangled Weblog

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日露戦争ちょっといい話

id:spanglemaker:20041219に追記.

『教科書が教えない日露戦争』(ISBN:4890362096).

日清戦争の旅順虐殺の件(P.52-54).

 乃木少将の指揮する第二軍の先遣隊は一一月一九日、旅順の攻撃を開始し、戦意の衰えた清軍を撃破して大連を占領。引き続き二一日に旅順を占領した。大山は威海衛の攻略を準備する。
 米国のニューヨーク・ワールド紙は二八日、"日本軍、陥落後の旅順において四日間で一般市民約六万を虐殺"と報じた。世界の世論は日本を非難する。
 軍事力をもって非戦闘員を攻撃することは、道徳的な問題だけではなく、戦いの理論に反している問題である。日本はこの失態を不問に付したが、これがのちに米国の対日感情悪化の原点となった。歴史に従えば、敵国の国民であっても市民は軍隊の敵ではない。日本人が間違っていた。

これには2chでこういう話が出ている.真相はいかに.


736 名前:名無し三等兵 投稿日:04/10/13 22:43:52 ID:???
おいおい、江川の師匠の本宮の漫画が打ち切りだってさ。こりゃ、相当気を使って描かないと…。
なにせ日清戦争では、旅順虐殺事件なるモノが発生したことになってるからなあ、中共と左翼の歴史だと。
737 名前:名無し三等兵 投稿日:04/10/15 15:01:01 ID:???
>736
それはそれで正しいんだよ、ややこしいけど。

旅順にて虐殺が発生、というよりも
「虐殺事件」として虚報が報じられた事件が実際にあったから。
(旅順(の人口以上)の「市民(なんていないけど)」が殺されたと宣伝された事件)

日本軍は旅順占領後、軍律犯(不法を働いた一部敗残兵)の処刑をして
市内の治安を回復しただけなんだけど、これに尾鰭が付いて虚報となって大騒ぎになった。
これは日本軍の不祥事と言うよりも清国軍の方に問題があるのも事実だけど
外務省も大慌てで火消しに躍起となって今後の教訓となったのもまた事実な訳で
むしろこれを正確に描くかも知れない。
別に皆殺しという訳でもないし、後から外国報道機関を旅順市内へ入れれば
すぐに正誤が判りますので、あっという間にこの虚報は消えました。

平壌の戦いでも一部清国兵を処刑したと普通に書いていますから
江川氏は淡々とかつ粛々と事実を描きそうですが。
・・・しかし、どうしてあの国の人は話を脹らますときに
リアリティーより膨大さを優先させるのでしょうかね?>白髪三千丈

もっとも,軍隊であれレジスタンスであれテロリストであれ,一般市民を殺戮するのはとにかく間違っているというのは真実だろう.

なお,本書を読むと日清,日露ともに遼東半島が戦略的にきわめて重要だったことが分かる.朝鮮戦争にあたりトルーマンがこの事実に気づいていれば,東アジアの歴史は全く違ったものになっていたであろう.

「日本人は疫病神が訪れたとき、その反応には三つのタイプがある」という(P.135-136).

 第一のタイプは、[理想論逃避型]で疫病神に背を向けて何もしないで嵐が通り過ぎるのを待つタイプである。理想論を唱えていれば、そのうちに解決策がでるだろうと後年度に負担を先送りする。
 第二のタイプは、[現実論切腹型]で成功の確信はないが、善悪抜きに何とかしようと立ち向かうタイプである。"何とかなると楽観し、なんとかせねばと挑戦する"が、必勝の自信はない。そこで失敗したときは「切腹」という独りよがりな解決に逃げがちである。
 第三のタイプは、[責任転嫁型]で全ての原因を他人の所為にし、全ての解決を他人まかせにしようとするタイプである。
 例えば"米国が悪い"、"国連の決断を待て"、"中国が説得してくれるだろう"、"社会が悪い"、"学校教育が悪い"などと日常的に他人が悪いという言葉が飛び交う。この人たちは自分で行動しないから無責任きわまりない。
 <略>
 社会主義大演説会が一四日、東京で開かれ、"戦争反対"を訴えた。第一のタイプである。何故なら、"いかにしてロシアをアジアから追い払うか"については何も説明しないから。

今も昔も反戦運動の様相はあまり変わらないらしい.

1904年4月13日.東郷提督とマカロフ提督の対決.勝負は東郷艦隊の勝利であり,戦艦「ペトロパヴロフスク」は轟沈する.この知らせに日本人はどうしたか(P.155).

 世界的に知られた勇将マカロフ提督の戦死を悼んで、名古屋と東京で何千という日本人が葬儀用の白提灯を掲げて行進した。ストラテジコンに書かれている通り、敵の勇将の名誉を誉め称えるのは、騎士道や武士道の習いである。明治の日本人は良い伝統を守っていた。

じーんと胸が温かくなるエピソード.

日露戦争開戦時のロシア語ブームの話は,と探してみて思い出した.これは長山靖生:『日露戦争もうひとつの「物語」』(ISBN:4106100495)だ(P.49).

 「読売新聞」は二月十七日の社説で、交戦国間の礼節に注意を喚起している。<略>当時、ロシアを誹謗愚弄する記事が多く載り、また読者がそうした言説を喜んでいたという現実である。<略>ジャーナリストにも増して、読者は敵国を極端に愚弄し、あるいは虚構捏造の嘲弄的記事を好んだのである。
 それでも、日露戦争の出版界も読者も、太平洋戦争時と比べると遥かに冷静だった。戦争になると、ロシア語やロシア文学に対する関心が高まり、ロシア語の独習書やロシア文学の翻訳が増えているのである。<略>

結局戦時の国民の余裕度が,敵を学ぼうとするか,敵を排斥しようとするかという態度に出るのだと思う.太平洋戦争で日本人は英語を「敵性語」として排斥したが,これは日本人に特別のものではなく,第一次大戦ではアメリカ人は「ハンバーグ」を「リバティ・ステーキ」と言い換えたし,イラク戦争ではワインをドブに捨てるし「フレンチポテト」が「フリーダムポテト」になった.戦時中愚かだったのは別に日本人だけではない.そして,日本人だって敵国の文化を尊重することができるだけの民度があった.

ロシア戦争については最近本を読むようになって色々知ったのだけど,戦争のことにしろ日本のことにしろ,太平洋戦争だけ見ていたのでは分からないことが色々分かって面白い.歴史に関しては,知って損することなどひとつもないのだろう.

日露戦争―もうひとつの「物語」 (新潮新書)

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