ファシズム嫌悪

「自分のした事実を認めることは」やぶさかではないのだが…。

星野智幸の日記の2005年1月26日(水曜)。


  それから10年たって、従軍慰安婦の問題を考えること自体を「偏向」と見なす人が急増している。戦時中に日本が朝鮮や中国に対して行った行為についても、なかったことと見なす人が増えている。あいつらの言い分を呑んでたまるか、みたいな気分から、戦後に実証されてきた事実を葬ろうとする。言い分を呑まないことと、自分のした事実を認めることはまったく別の話だ。これではまるで、横田めぐみさんの骨がニセモノだったという鑑定結果を、「捏造」と切って捨てる北朝鮮の態度と変わらないではないか。かさにかかって「なかった」と言えば、本当になかったことにできるとでもいうのか?

従軍慰安婦問題に関していったい何が実証されたのだろう。

「日本国が朝鮮人従軍慰安婦として強制連行した」という証拠は提示されていないではないか。

実証されていないのに「あった」「詫びろ」と騒ぐような軽率な人に対し、証拠がない以上「なかった」と見なすべきだと言っている人しか私は知らない。

あるいは北朝鮮が送ってきた遺骨の鑑定に相当するレベルで証明された事項があるというのか? ならぜひそれを提示してもらおう。

証拠があれば「従軍慰安婦自体を問題化させまいというような風潮」なんか一発で消し飛ぶであろう。ちょうど北朝鮮による日本人拉致の問題を金正日が認め、被害者が現実に北朝鮮から日本に帰ってくることで「拉致問題自体を問題化させまいというような風潮」が一発で消し飛んだように。

そうしたら人格攻撃でもなんでも好きなだけしてください。

ところで、「リベラル嫌悪」っていうけど、弁護人なし、証拠なしで被告を断罪するというのはおよそリベラルな裁判ではなかろう。NHKvs朝日戦争の元ネタの「女性国際戦犯法廷」のこと。「リベラル嫌悪」などというのはこの世になく、あるのはただ「ファシズム嫌悪」ではないかと思うがどうか。

2005.02.11.追記。


  この10年の変化には、幻想的な気分になる。自閉しているがゆえに事実に目を向けず、ただハリボテのプライドを誇示しようと、原始的なまでに素朴なタカ派的主張を通そうとするのは、ブッシュ政権北朝鮮政府の態度とあまり変わらない。ネットの一部で見られるような威圧的でシニカルなタカ派的言い草は、北朝鮮の報道機関が流すエキセントリックな調子と、非常に似通った感触を備えている。ある週刊誌で朝日の記者が「極左」呼ばわりされていたが、この言語感覚もネットに広がっているものの滑稽な戯画にすぎない。「極左」とは、言論ではなく法の範囲外の武力に訴える左翼の過激派であり、詰めの甘い取材をして記事を書くメディアについて言う言葉ではないが、それをあえて「極左」と名指すのは、異常で何をしでかすかわからない存在というイメージを与えたいがためだろう。「極左」という言葉、さらには「左」「左翼」「市民」といった言葉は、ほとんど「非国民」「反日分子」という言い方に等しくなりつつある。少なくとも、昭和初期から戦時中にかけてそれらの言葉が人々に与えた恐怖を、今また煽ろうとしている。戦時下の日本が全体主義国家で、今の北朝鮮体制とそっくりであったことは言うまでもない。

この段落、前半が健全な議論ではなくただの人格攻撃であることもさることながら、後半もなかなか。

マスメディアが虚偽報道するというのは十分「破壊工作」と呼ぶに値するだろう。「極左」という表現は適切であると言わざるをえない。