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進歩的ファシストの黄昏

NHKvs朝日新聞戦争に関して、JANJANにすごい記事が載った。id:Soreda:20050216にて知る。

吉見道夫記者は「朝日新聞記者や長井氏の方がずっと道徳的に高い立場にある」として安倍氏、中川氏、NHK側の負けと断じている。

なぜ朝日新聞側が道徳レベルが高いのかというと、吉見記者は「ケン・ウィルバーの道徳発展の理論」で説明を図る。それは要するにこういうもの。

  1. 前慣習的(私が望むことは正しい……自我中心的)
  2. 慣習的(グループが望むことは正しい……社会中心的)
  3. 脱慣習的(人種、性別、信仰にかかわらず、すべての人々にとって正しい……世界中心的)

そして両者の道徳レベルをこのように判定している。


 かつての日本のアジアへの加害の証言を偏向として放送させないNHK幹部や安倍、中川氏も、日本という国(集団)を中心に考える社会中心思考の段階の道徳レベルにあります。長井氏、朝日新聞記者たちは、脱慣習的で世界中心的な道徳レベルにあります。当然、北朝鮮拉致事件も報道しますが、だからと言って過去の日本の加害の証言を曖昧にすべきではないと考えます。問題の本質はこの道徳レベルのずれにあります。

<略>

 すなわち、今回のNHK対朝日新聞の対立の構図の背景には、慣習道徳の意識レベルに対して、さらに一歩進んだ道徳意識のレベルという断層差があるのです。NHKの幹部や安倍氏や中川氏にとっては、長井氏が一歩進んだ道徳意識から良心の呵責をおぼえてやむにやまれず、告発したことが理解できません。記者に対して本当のことを言って、はめられたという意識しか持てません。

新聞が虚偽報道をすること、証拠もないのに「従軍慰安婦の強制連行」などという濡れ衣を日本に着せること、こういった道徳的規範からの逸脱は、道徳レベルが高いと克服できるものなのだろうか?

道徳レベルが高い場合はささいな悪事は見逃してもらえるらしい。これはあまりにレベルの高い思考で下賎の者にはよく分からない。

この記事のコメントで突っ込まれていることだが、確かに、「長井氏が一歩進んだ道徳意識から良心の呵責をおぼえてやむにやまれず、告発したこと」と他人の心の中身を事実のように扱っているのはおかしい。そんなもの確認のしようがないではないか。ここが主観による憶測であるとすると「道徳レベルが高い」という判断も吉見記者の主観でしかないということになる。

結局、「ぼくは朝日新聞と長井氏が正しいと思います」と主観を述べているに過ぎない。長文の記事は徒労でしかない。

ケン・ウィルバーの道徳発展の理論」の正しい解釈は知らないが、この記事の文脈では、「より大きい集団にとって正しい行動をすることが道徳レベルが高いということ」ということになる。

人は我を捨て、集団に尽くさねばならない。悠久の大義に生きるのだ!

それはまるっきりファシスト*1ではないか。

安倍・中川・NHKより朝日新聞・長井氏の方が立派なファシストで道徳レベルが高く、それゆえに正しいと。皮肉ではなくそう言っている。

さすがJANJAN記者!進歩的メディアの正体がファシストであることを平然と言ってのけるッ!そこにシビれる!憧れるゥ!

というか、道徳云々なんてのを真面目に語るとどこかいかがわしさが漂ってくるということを分からないんだろうか。それほどまでの最近の進歩的言論の凋落と「そこにシビれる!憧れるゥ!」の元ネタが分からないことが最近の悩み事である。

ワン・テイスト―ケン・ウィルバーの日記〈上〉

ワン・テイスト―ケン・ウィルバーの日記〈上〉

*1:集団に尽くすことそのものというより、それが特権となり得るという点で