自民党は日本国憲法を改正し、日本を「戦争のできる国」にしようしていると危惧する人々がいる。
例えば;
この改憲案は、とんでもないもの。
戦力の保持を明記し、集団的自衛権の行使を認めて戦争のできる国を目指している。
社会連帯・共助の観点からの公共的な責務に関する規定と並置して、
「国の防衛及び非常事態における国民の協力義務」が書かれている。勘弁してよ。
他にもgoogleで検索するともう沢山。
杞憂である。
パリ不戦条約と国連憲章がある限り、憲法をどう改正しようと日本は「戦争できる国」にはならない。
憲法第九条の第一項はこれらに見られる、戦争を違法化しようという世界の流れを受けてできたもの。拙稿参照。
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そして、自民党では、憲法改正にあたり第九条第一項は「堅持する」と方針を打ちたてている。
※ 憲法第9条を改正しようとする場合、さまざまな考え方があり得るが、第9条第1項のいわゆる平和主義条項(侵略戦争の放棄)は、1928年の不戦条約と同じ内容であり、これは堅持する。
つまり、「戦争放棄」を謳い平和主義を貫くという現在の日本国の方針は変更しないとしている。
それなのになぜ「戦争のできる国」になるなどと心配するのだろう。
どうもそんな心配をしている人というのは、憲法の内容を自分の頭で理解しようとせず、誰かが「憲法改正すると日本が戦争できる国になる」と言い出したのをそのまま鵜呑みにしているのではないかという気がする。「戦争のできる国」そのものも何がまずいのか私はよく分からないけれど。「戦争する国」になるわけではないのだから。
ここで護憲派の人の言い分をもう少しよく見てみる。例えばJANJANの2004年6月27日の記事。
1、自衛のための戦力の保持を明記、集団的自衛権の行使を認めて「戦争のできる国」を目指している。
はい?
つまり護憲派の人の「憲法改正すると日本が戦争できる国になる」という主張は、「日本が(国策としての)戦争ができる国になる」ということを心配しているのではなく、「日本が(自衛のための)戦争ができる国になる」ということを心配しているのである。
日本は他の国に侵略されてもいいというわけだな。
現行憲法下であっても自衛のためであれば「戦争できる国」であるということもご理解されていないと。
現行憲法では自衛のためであっても戦争や戦力保持はできない、と主張されてもかまわないが、自衛隊が公式には合憲と判断されている現状に矛盾していることは認識していただきたい。
さて、護憲派の皆様が怒り心頭なのは他に、「国の防衛及び非常事態における国民の協力義務」が盛り込まれるというのもある。
これは「兵役の義務」とは違うわけで、徴兵制の復活を意図したものとは言えないだろう。むしろ、国民が国防の義務を負うのは他の国ではあたり前のことで、日本にその義務がなかったのが異常だったと言える。
「国防の義務」は国民皆兵とか言う話ではない。もちろん自衛隊に志願するのは立派なことだが、志願しないからといって非難されるものでもない。例えば平時には働いて国防費の元となる税金を納めることもその一つといえる。そして、「利敵行為はしない」、というのもきわめて大事なことだろう*1。
さて、「憲法改正すると日本が戦争できる国になる」と不安を煽る方々。日本が自衛のための軍事力を整備すると困るというのだろうか。そして「国防の義務」により利敵行為ができなくなると困るというのだろうか。
まるで外国の謀略に荷担してる人みたいな感じがする。これこそ杞憂であるといいのだが。