大戦中の朝鮮人についていくつか

2004年8月14日のNHKスペシャル「のこされた声・録音盤が語る太平洋戦争」で特攻出撃して散華した朝鮮人の少尉、パク・トンフンが紹介された。

戦死者の名簿らしき書類には大きくパク・トンフンの名前が記され(カタカナではなく漢字)、脇に小さく通名が書いてあった。

パク・トンフン少尉の戦死は朝鮮の新聞で大きく取り上げられた。

その新聞はハングルで書かれていた。

1944年〜1945年のこと。

「日本名の強制」、「朝鮮語の禁止」、そういったことは実際にはあったんだろうか?

埼玉県には吉見百穴という遺跡がある。ここは1945年に中島飛行機のエンジン製作のための地下工場が建設された。戦争とはいえ大規模な遺跡の損壊は胸が痛むが、今ではその地下工場跡が別の歴史を伝える新たな遺跡となっているとも言える。

パンフレットによると地下工場建設は3000〜3500人の朝鮮人労働者を使役して「昼夜を通した突貫工事として進められ」たという。パンフレットの地下工場に関する結びはこう。

掘削工事に従事した朝鮮人労働者の最後の一人の帰国に際し、関係者により催された懇談会の席上、日本と朝鮮の平和を希望して植えられたムクゲの苗は、この地で生長を続けています。

「強制連行」か徴用か応募かはちょっと分からないが、ここで使役されていた朝鮮人労働者は全員帰国したとのこと。記念にムクゲの植樹をしていったというと、恐らく仕事はきつかったろうけれど、報酬も十分だったのかどうなのか、ともかく大きい不満は残らなかったように感じられる。彼らの心情がどのようなものだったかは完全には分かりかねるが、とりあえず、「『強制連行』されてきた人は戦後ほとんど帰国しました」というのは本当らしい。

朝鮮王族の李垠殿下は大戦中は陸軍中将として多くの部下(もちろんほとんどが日本人)を率いて戦った。東アジアの歴史に翻弄された李垠殿下の生涯を概観すると、日本と朝鮮の複雑な関係について考えさせられる。

http://www1.tmtv.ne.jp/~hsh/20seiki3.htm