ナショナリズムは不平等か

愛国心」の議論でなぜ「ナショナリズム」の話が出るのか不思議な今日このごろ。私は「愛国心」はpatriotismの日本語訳であること以外考えつかない。

それはそれとして、ナショナリズムは排外主義であるのは確か。例えば日本国憲法第10条、第11条。

〔国民たる要件〕
第10条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

基本的人権
第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

日本国が人権を保証する対象は日本人に限られる。

ではこれは不平等か? 某所の議論で「平等」に対する私見をあえて述べなかったこともありここで私見を書く。

不平等ではない。なぜなら、外国人はその祖国において権利が保証されており、逆に日本人はそちらの国の権利を有していない。

「平等」というのは個々人が「違う」ということからスタートし、いかに個人が不平等感を感じることがないか、またはたから見てそりゃ不平等だ、と思われることがないか、という、言わば不平等の消去法の中に真の平等がある、と私は思う。なぜなら、違うあなたと私が完全に「同じ」とか「等しく」になどなれるわけがないのだから。

国民としての権利にしても、日本国が外国人に同じ権利を保証する必要はない。保証するとしたら外国人は祖国で権利を保証され、日本でも権利を保証されるから、日本人より優遇されていることになり、かえって平等ではない。少なくとも向こうの国も日本人に同じ権利を保証しない限り、日本がそうする必要はない。

ちょうどこの前の都の職員の国籍条項裁判の時にも上記のようなことを思った。普段は護憲派の人々が憲法に規定される国民固有の権利を勝手に外国人にまで拡張しようとしているのがおかしかった。

このとき、公務員の管理職が外国人でもいいではないか、という意見に以下のようなものがあった。

国籍にこだわらず、優秀な人なら採用すればいいではないか。

民間企業ならそうすればいいだろうけど、公務員は政治権力の行使に関する職業なので、そうはいかない。国家運営は国民の共同事業であって国民固有の権利であり義務である。

私の反論はこんなところ。

優秀だから採用しろというなら、親や兄弟や子供も優秀な他人に代えてしまえばいい。

あるいは「その優秀な能力はぜひ祖国で役立ててください」。

イラク多国籍軍即時撤退を主張する人々は国家運営が国民固有のものだと正しく理解しているはずなんだけどね。

結局のところ、サヨクの主張する「平等」は「均質」であって、真の平等ではない、という私の認識は変わらない。

いやこの記事のもっと妥当なまとめはこれか。

私の認識では人は本能レベルでは人類全体の平和や幸福を願うようには出来ていない。自分や家族などある特定の範囲に限られる。近代になって国民国家の概念が出来て、ようやくその範囲が「国」のレベルまで拡張できたのだと思う。これからさらにその範囲を広げようというのが今であって、もともと人が人類全体で仲よくやってこられたのを「国境」のせいで互いにいがみ合うようになった、とかいう認識とはまったく逆に考えている。