Great Spangled Weblog

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南京大虐殺の現時点での考え

id:spanglemaker:20041023#p1に補足。

やはり別宮暖郎氏の南京城外の死者がこれに関してはもっとも分かり易い記事なのではないかと思う。


埋葬記録に戻れば南京事件の本質は量からみれば捕虜の虐殺であって、市民の殺害ではない。この点で多くの日本の教科書が間違えていることになる。ただ市民の虐殺と捕虜の虐殺のどちらがより悪質かは、論争たりうる。南京には安全区が設けられており、そこに女・子供は逃げたと考えられ、埋葬記録とあわせ民間人大量虐殺は根拠が薄い。記録のうち自分の論旨に都合のよいものだけを取り出してはいけない。便衣兵として誤認され殺された市民がいることは事実としても数から行けば本質上の問題ではない。(だからといって、無法が軽減される訳ではない。)

南京事件の本質は量からみれば捕虜の虐殺」とある。

これがもろに違法なら日本は相当に責められても仕方がないが、相手が便衣兵なので一筋縄ではいかない。国際法上はグレーゾーンらしい。日下公人氏などここまで言い切る。『人間はなぜ戦争をやめられないのか』(ISBN:4396500777)より;


 捕虜の処分だったとすれば、それは国際的に見て大事件ではない。特に便衣隊は捕虜になる資格がない。住民ゲリラとして即座に殺される。

国府軍側の事情を考えると、便衣兵であること、指揮系統が失われ組織的な降伏ではなく基本的に個人投降であること、さらに市民に紛れた便衣兵を摘発したケースもあること等、捕虜を丁重に扱ってもらえる条件がまったく揃っていない。これでは相当数の捕虜が殺害されることは覚悟してもらわなければならない。特に指揮官を残さなかった失敗は大きい。日本側だけの落度とは言いがたい。

一方、無辜の市民が、日本軍により組織的に、大量虐殺されたという話は否定されている。まず命令書その他証拠がない。市民の大量虐殺はいくらなんでも大事件のはずなのにそれを報じた記事もない。

例えば杉山徹宗氏は『真実の中国4000年史』(ISBN:4396313586)で「誰一人、見たもののない「南京虐殺」」という見出しで以下のように書いている。


 筆者はミネソタ大学やウインスコンシン大学に長くたので、大学図書館で、一九三七年当時の米国・欧州の新聞で大虐殺をつぶさに探したが、欧米の大新聞には何も載っていなかった。

京城内で見つかった多くの市民の遺体については別宮氏はこう考察する。


これらの死体は門へ向かうものもみられることから、逃亡を図った市民を中国軍が射殺したものとしてしか判断できない。つまりこれらは同士撃ちの死体とみられる。

市民を大量虐殺したとは考えられない背景として日本兵の気質についても挙げてみる。杉山徹宗:『真実の中国4000年史』;


 そもそも、武器を持たず敵意もない無抵抗の民間人を殺害する等は、日本人の最も卑しむ『卑怯・卑劣』な行為である。武士道精神の根本は、「恥」を知ることであり、ほとんどの旧日本軍人はこの精神を豊富に持っていた。


当然のことだが日本軍の兵士は市井に長くいた人々であり、殺人嗜好などあるはずがなく普通の市民の倫理を持ち合わせていた。

絶対的反戦・平和主義の人は認めたくないかもしれないが、市井の人が出征して兵士になったからといって、訓練を受けて戦場に来たからといって、誰もが殺人鬼に変貌するわけではない。この点からも日本兵が南京で掠奪・暴行・虐殺と非道の限りを尽くしたという話は信じがたい。多数の日本兵の中には確かに、素行不良の者もいただろうけれど、その存在割合は「大虐殺」を引き起こす程とは思えない。

一方、中国の歴史にもとづき以下のような考察も行われている。日下公人:『人間はなぜ戦争をやめられないのか』;


 繰り返すが、中国人が「南京大虐殺」をすぐに信じるのは、農民は都市へ攻め込んだら、大掠奪と大殺戮をするに決まっているからだ。中国では都市と農村は昔から仲が悪い。お互いに中国人同士だと思っていない。都市住民は日頃から周りを東夷・南蛮・北狄西戎だと思っている。だから、夷が都へ入ってきた時は木曾義仲になるわけだ。
 鄭成功厦門から南京へ攻め込んで、やはり虐殺をして、南京に政権を建てている。明を建てた朱元璋太平天国をつくった洪秀全南京大虐殺をやって南京城を落とし、蒋介石も北伐の途中で大虐殺をやっている。近いところでは文化大革命という大虐殺もあった。「南京大虐殺」を考える時は、中国という国が元来、そういう国だということを踏まえるべきだ。

北京政府が現地調査をやりたがらない理由はこの辺から邪推できる。南京近郊を掘り返すとおびただしい人骨が出ることは確実と思われるが、出すぎて困るということらしい。

市民の大量虐殺があったのか、ということについて、1940年の南京の平穏な様子も紹介したい。岩井勉:『空母零戦隊』(ISBN:4167656248)より;


 私達は一日間の上陸を楽しんだ。南京はちょうど旧の正月で、城壁の外を、きれいな中国服に味を包んだ姑娘たちが三々五々散歩しているのが印象的だった。戦争中というのに、彼女たちはなんとのんびりしていることか。これが大陸的というものだろうか。

住民の大多数かそれより多い人が虐殺された都市の、2年後の様子としてこれはどうだろう。少なくとも、岩井氏は「大虐殺」があったなどとはまったく認識していない。

便衣兵の大量処刑、という意味では「大虐殺はあった」と言えるが、違法性はグレーゾーン。無辜の市民を組織的に虐殺したかと言われれば「大虐殺はなかった」。現時点での私の認識はこのようなものだ。