- 作者: 福野礼一郎
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2004/03
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 12回
- この商品を含むブログ (8件) を見る
さすが昭和ひと桁の人は含蓄がある、と思って確認したら1956年生。むしろ第1世代オタクなのか。これはこれで関心する。
P.321に
本書のテーマはスーパーカーという機械の背景にいた人間である。よきにつけ悪しきにつけ、その後方にうごめいていた人間性である。
とあるように、70年代の日本を駆け抜けて行ったスーパーカーブームではあまり深く追求されなかった部分に光を当てている。ここが面白い。
レースには本気になってもレース車を公道用に改めた高価なスポーツカーを購入する富裕層を内心軽蔑にしていたフェラーリ、フェラーリの商品戦略がトサカに来て、レース抜きでスポーツカー商売に戦いを挑んだランボルギーニ、彼ら創始者の他、多くのエンジニアも紹介し、彼らの人間ドラマを活き活きと描いている。
一方、クルマそのものの描写もとても面白い。雑誌ライターの文章というより、兼坂弘氏や鈴木孝氏などエンジニアの書く文章に近いと思う(それで昭和ひと桁と勘違いしたのだが)。凡百のライターは自動車のメカニズムをメーカーからの受け売りによりその場しのぎで書いているが、この人は体系だった知識からトップダウンに書いている。自動車評論家としてやはりこの人は傑出している。
これで実感したのは、「スーパーカー」がブームのころ考えられていた程には高性能ではなく、特にシャシーの剛性の低さや車体の重量バランスの悪さなどで、今の乗用車からは想像できないぐらい運転しずらく、場合によっては危険なものだったらしいこと。特に512BBのエンジンが下にトランスミッションを抱えてむしろ高重心だという話は衝撃的だった。
しかし、カウンタックだけはガチだったと分かってくる。200km/h超の領域では空力設計のまずさからやや危険だが、ワインディングを飛ばすとかなり楽しいとのこと。デザインも傑出しているし、この車は自動車にして自動車を超えた存在と言ってもいいかもしれない。スーパーカーブームはまさにカウンタックのカリスマ性により牽引されていたのだとふり返って思う。