というか全話見たので総合的に。話が陳腐というのはもういまさらだから置くが、考証が緩いのもどうだろう。例えば以下のような点はどうかと思う。
- 飛行機が水に飛びこんで壊れず、水中で戦闘できる。しかも理由が「宇宙戦も想定してるから2、3分は」。操縦席以外も与圧してるんか
- ジェットエンジンなのにインテーク閉めても稼働してる
- 飛行機にリアクティブアーマー。戦車並みに丈夫な飛行機なんて萌えない
- 搭乗員の死体からヘビが逃げる(ヘビが人の死体食うか!)
- 発掘現場できれいにクリーニングされてしまう恐竜化石
- 格納庫で土人に火を使わせている
- 「コブラ」を空中戦の必殺技の一つとして扱っている
- 「デイジーカッター」が燃料気化爆弾を意味する一般名詞扱い。しかもたった3発でかなり広い森林を破壊し、どでかいクレーターが残る。単に燃料気化爆弾を「核兵器の次に強力な爆弾」としか認識してない模様
- 空中戦に戦闘管制という概念がない。すなわち戦闘機を有利な位置に管制により誘導し、中・長距離ミサイルで敵を片付ける、という発想がなく、敵が旧式の戦闘機でもいきなり格闘戦。現代の航空戦は戦闘機だけ優秀でも管制がお粗末なら勝てない。また、このため戦闘シーンは「板野サーカス」に頼り切りでメリハリがない
リストの最後の方はこの手の作品を作るには少々看過し難い軍事オンチぶり。例えば、戦闘員らは戦況が不利なら撤退する、という選択肢を持たず、戦闘機など互いにバタバタと撃ち落とされる。
戦争=殺し合い=よくない=あんまり考えたくない
という地平から解脱していないと面白い軍事ものは作れまい。
この解脱できていない俗物ぶりが露呈してしまったのが終盤のフォッカーのセリフ。
「一生に一度は、女のために命を捨ててみるもんだぜ」
これ自体はかっこいい。
ただ、私ら古い人間だと、「女を守る」と「国を守る」が自然に重なるのだけど、マクロスはそうではなく、フォッカーとシンは独断で発進してしまう。国家や軍隊に対する根本的な不信がここにある。
それはそれで態度が一貫していればまだかっこいいのに、フォッカーのセリフが最後で斜めに逸れてしまう。
「ようし、その意気だ。しかし、これだけは言っておく。死ぬな」
国(UN)なんて守れなくてもサラだけ守れればドラマ的にOKなのだが、アンタら最後は自分が大事かい、と思った。「ヴァルハラで会おう」ぐらい言えないものか。
愛する者を救うための自己犠牲が究極の自己実現である、という右寄りの命題を是とせよ、と言いたいのではなく、このような矛盾を含んだ命題に本気で取り組んでいないことが物足りないと思う。
人は文明を手にして殺し合うようになった。では文明を捨てればいいのか。「捨てればいい」。この作品はこのように安易に矛盾から逃げる方向にある。結局、これが軍事オンチぶりや全般的な考証の甘さに繋がっているのだろう。
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