ルポ 戦争協力拒否

たまには意見の違う人の本でも、と思い手に取ってみた。ページをめくるごとにツッコミどころがあってたまらない。付箋が何枚あっても足りない。

ただ、新聞、雑誌やネット上で短い文章ばかり読んでいるとなかなか見えないことも本一冊読むと見えてくる。本書の訴える「戦争協力拒否」がなぜ胡散臭いのかとか。

偏った立場

自由とか権利の重要さを訴えるわりに、市民が戦争協力する自由や権利というものはここでは全く想定外だ。市民というのは、外国の武力の脅威が差し迫ったとき、「戦争協力すると攻撃されるから協力しない」と考えることも「国民が一致団結して困難を乗り越えるために、市民ながらできる限りの協力をしたい」と考えることも自由ではないか。このような自由の幅広さを想定した上で、戦争に協力しない権利を保障するにはどうすればよいか、というスタンスで書いてあればまだよかろうが、本書はそういった中立的立場を大事にしてはいない。例えばP.121;


 しかも憲法は戦争の放棄を求めている。したがって根本的に戦争協力などあってはならない事柄なのである。むろん政府は「戦争協力ではなくて国を守るための協力、高度の公共の福祉のための協力」といった表現をするだろう。しかし、それは米軍とともにおこなう戦争への協力をごまかすものでしかない。

とにかく戦争協力は一切否定。「戦争協力」は「公共の福祉」という考えはこのとおりまったく受けつけない。

日本より北朝鮮が大事

ところでなぜ戦争協力拒否か。P136で横須賀市職員労働組合の主張を肯定的に紹介している。丸つき文字は修正。


(1)自治体が米軍や自衛隊への後方支援に協力すれば、職員のみならず、基地や港湾や空港のある地域住民が戦争に巻き込まれる危険性がある。

横須賀のような戦略的に重要な拠点にいながら<戦争協力しなければ被害を受けない>と考えられる頭脳がステキ。

このように日本人の安全に関する考察は杜撰であり、一方北朝鮮には宥和政策を勧める。


 有事法制推進論者が強調する北朝鮮のミサイルや核兵器の脅威にしても、現実的に日本の安全保障を考えるなら、絶対に軍事衝突を起こさないことを大前提にして対応を検討すべきである。仮に軍事衝突が起きれば、高度に都市化された日本社会では大惨事をまぬがれない。

 また、イラク戦争のようなアメリカ主導の武力行使北朝鮮に対しておこなわれたら、朝鮮半島で戦争が起こり、北朝鮮と韓国で多大な人命が失われる大惨事となる。日本がアメリカを支援してその戦争に加担し、加害者の側に立つことは、人道的にも道義的にも許されない。

 日朝関係が敵対関係に陥らないよう、多国間協議の枠組みと国交正常化交渉を今期強く進めることが必要だ。拉致、植民地支配の責任、北朝鮮の人権抑圧などの難問も話し合いを通じて解決や改善をしていくしかない。そして、日朝の国交を樹立し、北東アジア非核地帯化に取り組み、域内の緊張関係をなくす努力をすべきである。

これじゃまるで朝鮮労働党のスポークスマンだ。

本書は、あたかも敵対国に内通して日本の防衛力を減殺しようという工作活動の一環であるように見えてしまう。実際のところはどうなのか大変気になるところ。

なお、日朝関係を改善したいなら北朝鮮はまず拉致問題を解決すべきだし、半島を非核化したければ核開発をやめればいい。「加害者の側に立」っていて「人道的にも道義的にも許されない」のは北朝鮮の方ではなかろうか。

本書の対極にある本

ここで松村劭:『平和のための「戦争学」』(ISBN:4569631681)を引いてみる。まずP.21。


国際関係において戦争を防止できるのに最も有効なのは、平和を説教することではない。「戦いの理論」によって相手から勝利の見込みと機会を奪う以外に方法はない。あたかも病気になってしまった人を「健康はありがたいものです」という話で治療できないのと同じである。病気は医学で治療すべきなのである。

今現在北朝鮮が戦争に打って出ないのは「勝利の見込み」がないからだろう。独裁政権を相手に宥和政策をとることは相手が「勝利の見込み」を見いだすこととなり、戦争になる危険性を増大させる。ドイツに対する英仏の宥和政策が第二次世界大戦につながった教訓は今日よく知られる。

次にP.31〜32。


 北朝鮮金正日体制は三年間で三〇〇万人を餓死させたり虐殺したと伝えられている。
 あるシミュレーションでは北朝鮮軍は約一〇回の決戦防御で完全に撃破されるということであった。<略>
 北朝鮮の損害を見積もると、北朝鮮軍の基幹部隊約二四万が消滅し、人民が約二一万ほど損害を受けることになろうから、合計約四五万の損害(軍人の戦死率はかなり高いと思われる)で北朝鮮は敗北するだろう。戦争は、米韓陸軍の進撃開始から北朝鮮軍は約一〇回の決戦防御で決戦能力を失うだろうから一ヵ月で終わるものと見積もられる。

北朝鮮問題が戦争によらずに解決できれば素晴らしいが、解決が長引けば戦争によらずとも朝鮮人民の犠牲は次々と増え続ける。「絶対に軍事衝突を起こさないことを大前提」とすれば人道的だというのはきれいごとだ。

吉田氏は本書で戦争犠牲者を「necessary cost」と呼ぶことに強い嫌悪感を表している。「necessary cost」が生じるから戦争はよくないという。しかし、戦争を否定するあまり問題解決が長引いたとき、その際に生じる犠牲というのは、平和のための「necessary cost」と考えられはしまいか。「せんそうはひとがしぬからいけません」といったところで戦争以外でも人は理不尽に殺される。「necessary cost」をなくせと言われても結局ないものねだりにすぎない。

ダブルスタンダード

立川反戦ビラ事件については、どうにも傲慢さが鼻につく。

言論の自由のためなら住居に少々立ち入るぐらいかまわないじゃないか、と主張する。例えば自説を強調するためにP.183では憲法学者の石埼氏の意見を紹介している。


社会というのはある程度迷惑もかけ合うことで成り立っている側面があります。寛容さと自律性をどう社会につくりだすか,大きな課題ですね。

そんなことを言ったら非常事態にあたり有事法制を発動して市民の権利を抑制するのも「ある程度迷惑もかけ合うことで成り立っている」ことの一つではないか。

傲慢さはダブルスタンダードとなって現れる。P.96で自衛隊の「いじめ・しごき」をこのように規定するなら、


しかし、かつては問題にならなかったから現在も許されるという考え方はおかしい。される側がそれをいじめやしごきと受け取れば、やはり教育や訓練の限度をこえたいじめ・しごきにほかならない。

P.166におけるこれは、


管理者や居住者の意志に反して立ち入った点をもって「正当な理由なく侵入した」とする理論であろう。

住居侵入罪として被告が訴えられる根拠に十分足りるであろう。

そもそもこの裁判の判決は「有罪だが刑罰を科するにはあたらない」というものではないか。P.186に判決の概要が出ているが、これを単純に「無罪」と解釈するのは違和感がある。

もっとひどいダブルスタンダード

本書のテーマにかかわる部分でもっとひどいダブルスタンダードがある(P.11-12)。


 米軍は抵抗武装勢力を「テロリスト」と呼び、掃討作戦をおこない攻撃する。日本軍も反満抗日ゲリラを「匪賊」と呼んで攻撃した。自らが侵入者であることを棚に上げて、抵抗する人々に「悪」のレッテル貼りをする身勝手さが共通している。

 抵抗武装勢力も、反満抗日ゲリラも住民の間に根を張る存在だ。勢い掃討作戦では、ゲリラと住民の協力関係を口実に戦闘員と非戦闘員の区別もなく発砲し、爆撃することになる。ファルージャなどで米軍による住民虐殺が起きているように、日本軍も平頂山虐殺事件などを起こした。

ファルージャ虐殺と平頂山虐殺の史実がどうか、ということはここでは置こう。

イラク満州で民間人に被害が出ていることの原因の一つは、要するに、民間人が抵抗武装勢力や反満抗日ゲリラに対し「戦争協力」していたということだ。ならばなぜ、イラクの民間人に対し、被害を避けるための「戦争協力拒否」を訴えない。

結局この人にとっては、イラク人の命より日本の防衛力減殺の方が重要なのだろう。

人的資源という人権侵害?

最後にP.104にあるおもしろいところを紹介。


 「人的資源」とは、どう考えても非人間的な言葉である。人を国策遂行・戦争遂行のための手段としか見なしていない。人間を血の通った一人ひとりかけがえのない存在として見るのではなく、資源というかたまり、名前も個性も人権もない物や数字、数量として扱う発想から生まれた表現だ。それは人間性を、主体性を奪ってゆく。

 有事法制ができ、イラク自衛隊が送られ、日本が戦争のできる国に変わろうとしている時代の流れ。その底には、人間を国策遂行・戦争遂行のための「人的資源」化する動きが潜んでいる。個人よりも国家に重きを置く社会がつくられようとしている。

ちょっとぐぐってみた。「人的資源」という言葉がこれほど浸透しているとは。これはゆゆしき事態だ! 吉田先生、この人権侵害をもっと糾弾してください。


 自治体の国際協力活動は、このような人的・技術的資源を生かして行われることが重要です。<略>


UNDP _ 信頼関係の醸成と平和構築に向けた人的資源の活用

 今回、人権教育地域センターを通じて、地方委員会がどのようにパートナーシップ育成し、人的資源を創出しているかについて事例をあげながら話をしたいと思います。<略>


◆21世紀のパートナー関係を構築

 尊敬する両院議長、並びに議員の皆様。

 われわれ両国は共に強力な人的資源を有しています。<略>


MARGARET SEKAGGYA(ウガンダ人権委員会

2000年10月に、人権委員会は3ヵ年協力計画を立ち上げた。そこでは、ウガンダ憲法のマンデート及びウガンダ国民の期待に照らして、人権委員会の強化を進めるべく四つの優先分野が強調された。すなわち、地方人権委員会の設置、重大な人権問題への一層効果的な取組み、効果的な意思伝達、並びに人権委員会の運営及び人的資源能力の改善である。<略>