日本国憲法には非常時に関する規定がない。だから憲法ばかり見ていると、非常時が存在することを忘れてしまう。
日本国憲法では戦争で問題解決を図ることが述べられていない。だから戦争でなければ解決できない問題を忘れてしまう。
逆に、非常時に関する規定を盛り込んでしまうと非常時がすぐ来るような気がして不安だ。
これを名付けて日本国憲法脳と呼んでみたり。既にある「言霊信仰」でもいいか。
「ひめゆり部隊」「靖国神社」で検索して、別の最近の関心事である話題を見つけた。
[教えて!goo] イラクで亡くなった奥・井上外交官は靖国神社に祀られるのでしょうか。
yuhkoh氏の回答が的を射ていると思う。
靖国神社の合祀対象は、「戦時または事変において戦死・戦傷死・戦病死もしくは公務殉職した軍人・軍属およびこれに準ずる者」であり、靖国神社はその判断基準は、国が公務死と定めた者であり、彼らを祭神の対象としています。
ですから、PKOやPKFで殉職された方が国によって公務死と認められたら、靖国神社に合祀されるかもしれません。ただし憲法によって「戦争を放棄」していて、さらには現実的な安全保障、集団的自衛権についてすら、まともに議論されていなかったのが事実でしょう。
そのなかでPKOやPKFでの自衛隊の殉職が「公務死(戦死)」であるかどうかも、まだ実質的議論がされていないのが実情ではないでしょうか。ですから両外交官にしても、PKOやPKFにしても、靖国神社が祭神と判断する現実的基準が、まだ存在していない(戦後、「臭い物に蓋」方式で議論が避けられていた)のが実情ではないでしょうか。
日本政府は憲法により戦争を放棄したので、もう日本人に戦死者は出ないと勝手に決めてしまっている。憲法脳は何も進歩的文化人ばかりではない。
防衛庁内局の事務官もこう言ったという。松村劭氏のコラムより。
“戦死”という概念は平和憲法の日本にはありません。
しかし真実は、「日本が戦争を捨てても 戦争は日本を捨てない」。
憲法改正が至急の課題であることは間違いないが、合わせて、今まで見て見ぬふりをしてきたことを、きちんと見据えることが必要ではないかと思う。小林源文氏の『バトルオーバー北海道』(ISBN:4890482482)のような事態になってからでは遅すぎる。
あまり言いたくないが、靖国神社は過去の施設ではない。未来永劫日本国が存続するためには、いつかまた、新しい英霊をお祀りしなければならなくなる(どんなに確率が小さい事象でも時間が無限なら必ず生じる)。靖国問題の議論では、靖国神社が過去の遺物であるかのような認識が多いのではないだろうか。
なお、憲法改正が間に合わない場合はどうするか。現行憲法に非常時の規定がないなら、明治憲法の規定が生きている、という考え方もとれるかもしれない。すなわち非常時には;
これはちょっとかっこいい。いやもちろん、こんな条文を使う事態にならないよう努力を怠ってはいけないのだが。
でも案外、憲法改正に関する限界説的考え方だから護憲派の方にはご賛同得られるかもしれない。
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