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戦陣訓を考える

昭和16年1月に陸軍省から出された戦陣訓。その第八項は日本人の犠牲者をむやみに増やした元凶として非難の的となっている。

第八 名を惜しむ
 恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。

しかし、これの意図するところは単なる「個人投降の禁止」ではないだろうか。「捕虜になるなら死ね」という解釈は極端だろう。「生きて〜」は「死して〜」の対語であり、生きている場合は簡単に敵に屈するな、死ぬとしても不名誉な死は避けよ、と読める。

戦闘中、死ぬのが怖くなって銃を捨てて敵の元に逃げる。こんなことが許されたら戦闘はなりたたない。「個人投降は当時敵軍への脱走と同義だった」。「個人投降の禁止」は何も日本軍にだけ特別なものではないだろう。米軍の教本にも同様の規定があると聞く。

捕虜というのは指揮官どうしが交渉して、組織的に投降してなるか(投降捕虜)、重傷などで人事不肖となり敵に救助されてなる(戦闘捕虜)。いずれも力の限り戦ってなお敗れて捕虜となる。であれば虜囚であっても「辱め」ではなく、名を汚すことはない。個人が逃げれば敵前逃亡で重罪だが指揮官が判断して組織的に後退するのは撤退で正当、というのと同じこと。また、兵士はたとえ負けてもベストを尽くせば賞讃される。

ただ、当時の日本軍にとって悲劇であるのは、敵に捕まれば拷問虐殺はまず確実という状況が続いたこと。米軍も捕虜をとらない方針で攻め込んできた。個人投降した兵士が惨殺される話、米兵が捕虜を虐待した話(例えばhttp://www.melma.com/mag/56/m00000256/a00000032.html)などがいくつか伝えられている。

このような状況では、個人投降はもとより、集団の投降さえそうそう生じるものではない。「生きて虜囚の辱を受けず」とは、「生きたまま捕まると拷問虐殺されるから死んだ方がマシだ」と解釈されたであろうことは想像に難くない。

なお、以下の記事からも、個人投降でなければ投降は許されたというニュアンスが読み取れる。


私の父は第二次世界大戦にフィリピン・ルソン島の山奥で終戦を迎えました5)。アメリカ軍が「戦争は終わりました。捕虜になれば食べ物もあるし優遇する」と何度も宣伝したそうですが、動けるうちは従わなかったそうです。信頼はそう簡単に生まれるものではありません。結局、父は餓死の寸前で餓死か処刑かを選択し、投降したようです。処刑への恐怖はアメリカ軍以上に日本軍に対して抱いていました。当時の日本軍には戦陣訓という物があり、これが軍中枢からの命令が無い投降を拒ませ、全戦死者の半数以上という餓死の山を作ったそうです。

「軍中枢からの命令が」あれば投降してもよかった。事実、終戦時、日本兵が整然と戦闘を停止し、武装解除に応じる様は連合軍を驚かせたという。

戦陣訓は「日本軍の残虐性」を表すものの一つとして扱われるが、太平洋戦争で多発した玉砕の事実は、むしろ当時の日本人が置かれた状況の厳しさ*1と、大和魂の気高さを示していると受け取れる。

もっとも、特攻を常習化させるなどの当時の軍指導部の横道ぶりも指摘しないわけにはいかないのだが。つまり戦陣訓だけ見ていたら本当の日本軍の欠点を見失う恐れがある。

サイパン島、沖縄の民間人大量死に関しても、「戦陣訓」ばかりに罪を問うことはできないだろう。そもそも民間人が「戦陣訓」に従う義務はない。

当時の常識を想像すると、敵の手に陥ちた民間人がどのような目にあうか。大きく報じられた事例が常識となっていたのだろう。すなわち通州事件や済南事件、尼港事件。アメリカ軍が、保護下においた敵国の民間人に対し「比較的」紳士であったことは、当時知られていない(報道の規制がどうこう以前に事例がない)。「自決せず降伏していれば」というのは今だから言えることだ。また、ソ連軍に侵攻された方面では「常識」が間違いでなかった。

ここでは第一に、民間人保護を真剣に考えなかった日本軍の落度が指摘できる。戦場での民間人保護は民間人の所属する国家に義務がある。敵は「民間人は避難が完了している」という前提で攻めてくる。

かといって、民間人を船で脱出させても潜水艦の餌食となる怖れが多く、そもそも船をそれだけ確保できるあてもなく、「当時どうすればよかったか」という問いに簡単に答えは出ないのだが。

投降するのに迷いがないであろう現地人にも相当数の死者が出ているのであり、過酷な状況にあって当時の日本人に「投降していれば助かったのに」と言っても恐らく聞き入れてはもれえなかっただろう。

今となっては犠牲者となられた多く人々のご冥福をお祈りするとともに、その気高い魂に敬意を表する他はない。事実を明らかにし、悲劇を繰り返さないよう努力を続けるしかない。この際、特定のイデオロギーにもとづく偏向した結論は邪魔にしかならない。

*1:特に戦場が島嶼だったというのが大きい。地続きなら撤退できたケースもあっただろう。