朝日新聞がまたバカな社説を書いていた。最近気がついたので今ごろ取り上げる。
明日、60回目の終戦記念日を迎える。あの戦争は、もう1年早く終わらせることができたのではないか。開戦の愚は置くとして、どうしてもその疑問がわいてくる。
そして、
つまるところ、指導層のふがいなさに行き当たる。あの無残な1年間の理由はそれしか考えられない。
愚論だ。戦争オンチにも程がある。社説の中には日本の事情しか書いていない。戦争を題材にしてそんなバカな論考があるものか。1944年時点では連合国側に戦争をやめる気がなかったことに言及しないのはおかしい。
日本アニメーションの『ふしぎの国のアリス』ではハートの女王のセリフにこういうのがある。
「愛と戦争では全てがフェアである。そしてクローケーでも」
恋愛と戦争は確かに似ている。どちらも思い通りにゆくものではない。相手があるのだから。うまくいかない理由を自分にだけ求めても限界がある(自分に求めることも重要だが、それだけでは十分ではない)。
連合国側の戦争目的も考えないと、日本があれほど必死に抵抗した理由は見えてこない。朝日新聞の論説員はそれを知らないか、あえて無視している。
- 1944年時点の連合軍の戦争目的:枢軸国の無条件降伏
- 1945年のポツダム宣言時:国体護持は可、軍隊は無条件降伏
1944年時点で日本が降伏するとは、国家に対する「無条件降伏要求」を飲むことで、つまり国家の解体を受け入れるということだ。
日本という国は太平洋戦争前から、海洋交易で生計を立ててきた。これというのも国家の体を為していればできることで、国家が解体されれば交易で十分な利益を得られたかは分からない。これは何を意味するか。日本人は日本でまかなえる食料しか得られないことになる。すなわち、人口の半分ぐらいは餓死した恐れがある。
国体護持をとりつけて降伏した実際の歴史でさえ、戦後の食糧難は今に伝えられている。国家が解体されていたらどうなっていたことか。北半分が共産化でもしようものなら、日本人の犠牲者はさらに増えたかもしれない。
朝日新聞としては、1944年に降伏していれば間違いなく天皇制は廃止され、天皇の戦争責任も追求されたであろうから、そのような歴史を望むのだろう。そして、朝日新聞は国家の解体が戦争犠牲者以上の犠牲を強いる可能性を考えない。
戦争の「最後の1年間だけで200万近い人が命を落としているのだ」と朝日新聞は言うが、私は、その1年間を必死に戦ったからこそ、それより多くの命が失われることを防ぐことができたのだと考えている。従って、戦って散っていった多くの将兵に感謝し、戦争で命を落とした方々には謹んで哀悼の意を表する。
最後に、当該の問題に関する参考になる本を以下に紹介したい。『無条件降伏は戦争をどう変えたか』の222〜223ページや、『新・戦争学』の110ページをご覧になれば朝日の社説がいかに珍妙か分かると思う。
- 吉田一彦:『無条件降伏は戦争をどう変えたか』(ISBN:4569640419)
- 松村劭:『新・戦争学』(ISBN:4166601172)
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