はやぶさとイトカワ

探査機「はやぶさ」、小惑星イトカワ」、この名前の組み合わせだけで心が暖かくなる。日本のロケットの父糸川英夫博士にこれほどの敬意が込められているとは。

もっとも、糸川博士のおっしゃることには、設計していて本当に楽しかったのはキ27、97戦だという。逆に、キ43、一式戦闘機「隼」の設計は皆がつまらなそうだったとか。

97戦は全金属製応力外皮構造、低翼単葉という当時最先端の技術を取り込んだ戦闘機。複葉の戦闘機から97戦への進歩に比べると、「隼」は引込脚と航続距離増大ぐらいしか進歩がない。

高速化と航続距離の要求を実現するため、「隼」は機体が大型化し、97戦に比べ旋回性能でどうしても及ばなかった。これが陸軍から大いに不評で、一時期不採用となって開発もストップした。同様の機体規模・性能の零戦が海軍で高く評価されたのと対称的で、「隼」の評価が低かったのは陸軍にも問題があったことを示唆している。顧客である陸軍の姿勢がまた、「隼」の設計をつらいものにしたようだ。

以下は文春ノンフィクションビデオ『私と戦闘機「隼」』(ISBN:4169113039)より。

「まあキの43ぐらいつまんない飛行機はなかったです。設計室は。みんな年中ぶーこらぶーこら言いながら。どうしてこんな要求すんだろうねと」

「誰一人、情熱を持ってやっている人はいなかったですね」

「で飛行機の設計ってのは、ある意味じゃアーティストが絵を描いたり、それからあの、彫刻家が彫刻する時と同じで、やっぱり芸術的なセンスですからねぇ、作品ですから、だから、どっちつかずのものってのはやっぱり嫌なのね。でキの43で本当に嫌だったのは、どれもこれも皆中途半端なのね。はっきりした思想っていうのはないから」

そうはいっても、太平洋戦争開戦で「隼」は97戦ではとても及ばない航続性能と高速性を見直され、大戦全般に渡って零戦とともに重用される。特に緒戦の活躍はめざましい。

戦闘機の開発という技術の歴史の中では97戦が代表作なのかもしれないが、もっと大きい視野から見ると、やはり糸川博士の代表作は「隼」ということだろう。97戦とは知名度が大きく違う。なお、「蝶形フラップ」と呼ばれる独特のファウラーフラップも糸川博士の考案。

キ44、二式単座戦闘機「鍾馗」も糸川博士の個性が強く現れていると思うが、「隼」と比べるとやはりいささかマイナーだろう。同機の空力設計を担当したのが糸川博士。胴体を長くして、水平尾翼のずっと後ろに垂直尾翼を置くというアイデアも糸川博士によるもの。

『私と戦闘機「隼」』を見直すと博士は「鍾馗」についてこう述べている。

「設計の思想からいって最高傑作だと思うんだけどね、不遇な子でしたね」

この後糸川博士は中島飛行機を退社し東大助教授になったので、「疾風」の設計にはタッチしていない。余談ながら、糸川博士の博士号はバイオリン製作にかかわる音響工学で取得したもの。

なんかまとまりのない話になってしまった。この機会に糸川博士がもっと注目されるようになるといいと思う。

写真は石川県立航空プラザに展示されている模型。

私と隼戦闘機 (文春ノンフィクションビデオ)

私と隼戦闘機 (文春ノンフィクションビデオ)