マガジン9条なるサイトでちょうど抑止力理論への反論のテンプレを見つけた。
『伊藤真のけんぽう手習い塾』の「第八回「軍隊を持たないで攻められたらどうする?」を検討する」という記事。
抑止力として軍隊を機能させるには、莫大な費用が必要
では、抑止力として軍隊を持つことはどうでしょうか。
抑止力とは簡単にいえば、脅しです。「仮に攻めてきてみろよ、もっとひどいめにあわせてやるからな」といって相手を脅し、攻撃させないようにするわけです。
こうした脅しが効果を持つためには、相手よりも強い武器を持っていなければなりません。よって、当然に核を持たなければ抑止力として意味を持ちません。また軍備拡張政策となり、予算は今以上に福祉から軍事費にまわされるようになります。増税も現在の比ではなくなるでしょう。
さらに、消耗戦となったときに国民ひとり一人が命を投げ出して闘う覚悟がないと、相手に脅威を与えることはできません。
そして、万が一、本当に攻められたら、<略>
「抑止力」とは戦争を起こさせないことなのだから、「そして、万が一、本当に攻められたら、」以降は戦争が起きた後の話なのでここでは分けて考える必要がある。
抑止力のコストに戦争が起きた後のコストまで足して、「莫大な費用が必要」などというのだからあきれた詭弁だ。
これはもっと簡単に考えた方がいい。
戦争だってコストがかかる。侵略にかかるコストが、侵略で得られるものを下まわれば敵は攻めてくるし、上まわれば攻めてこない。
守る方は軍事力を保持して、敵にとって侵略に必要なコストを引き上げてやることで、侵略を割に合わないものにし、侵略の意図をくじく。これが軍事力による戦争の抑止。
侵略者の側から見れば
- 相手が軍事力がなければ、小銃持った兵隊を展開すれば侵略できる
- 相手に小銃持った歩兵がいれば、大砲あたりも用意しないといけない
- 相手に戦車があれば戦車やその他対戦車用の装備が要る
- 相手に戦闘機があれば、制空権を確保するためこちらはそれ以上の戦闘機が要る
こうしてみれば分かる通り、
こうした脅しが効果を持つためには、相手よりも強い武器を持っていなければなりません。
というのは強引な理屈。相手よりも強い武器を持たなくてはならないのは侵略者の方で、守る方は相対的に低いコストで済む。
軍事力は抑止力により平和を維持するために使うのが、一番コストがかからず、誰も傷つかず、もっとも合理的。改憲派にしても、自衛隊を軍にしたからといって、すぐさま戦争させたいと思っている者はそう多くないだろう。
あとは、歴史をひもとけば、第二次大戦時のドイツのソ連侵攻、朝鮮戦争の北朝鮮の南進、フォークランド紛争のアルゼンチンによるフォークランド占領、湾岸危機でのイラクのクウェート侵攻、いずれも、攻め込まれる側が侵略を阻止するに足る軍事力の整備を怠ったことが、戦争の誘因となっている。
ここからも、軍事力が戦争を抑止する、逆に言うと、軍事力の適切な整備を怠ると平和が損なわれる、ということが見て取れる。
護憲派の皆さんは、もっとましな理屈を考えていただきたい。