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アカルイつうつ生活(その4)

アカルイうつうつ生活   「うつ」と上手に付き合う40の知恵 (知恵の森文庫)

アカルイうつうつ生活 「うつ」と上手に付き合う40の知恵 (知恵の森文庫)

積極的に開き直ろう

177ページ。

「うつなので、無理はできません」

 そう言う勇気を持つことが大切なのである。

 その代わり、無理はできないが、できる範囲のことはやる。

 できる範囲を自分で設定して、あとはしないようにする。

 そのようなセルフコントロールをしていけば、なにもできないとウジウジ考えているよりはよっぽど前向きな姿勢になれるはずだ。

言葉って素晴らしい。書いた人の人格を離れ、言葉そのものに神が宿る。

何が言いたいかというと、178ページ。

 悪い開き直りは、ひとつも努力しないで、誰かが助けてくれるのを待っているだけに過ぎない。それではいつまでたっても自分は楽になれない。

 もし、自分を楽にしたいのならば、自分で努力すること。

 このことを勘違いしている人があまりに多い。

 調子が悪いのだから、周囲は親切にしてくれて当たり前。

 確かに内臓疾患や外科的な外傷ならばそうかもしれないだろう。

 しかし、うつはなった当人しか自覚できない、非常に厄介な症状なのである。

 仮にうつのことを多少は知っている人がいたとしても、相手がどういう症状で、どの程度のことができるのかまでは把握できないはずだ。

 他人に頼っていたのでは、いつまでたっても自分のつらさは分かってもらえない。

 ならば、積極的に開き直って、自分のつらさやこうして欲しいという要望を出すようにしたほうが結果的に、当人も周囲の人もスムーズにうつと対峙できるように思う。

 黙っていては何も始まらない。

本当にそう思う。しかし世の中には、「自分のつらさ」を積極的に表現することをせず、後になって、「あの会社は急病人に水を売りつけようとした!」と言って大騒ぎする人がいる。誰あろう著者本人だ。

上野玲:『都合のいい「うつ」』の230ページ以降をお読みいただきたい。概略はこう。

  • 空港チェックインの際航空会社に「パニック障害」を起こすかもしれないと告知
  • 離陸後、水平飛行に入ってから、隣の人のビールの匂いで気分が悪くなる
  • 医師の話で「パニック障害」の症状には水をゆっくり飲むと落ち着くというのを思い出す
  • CAに水を求める
  • CA曰く「お水はペットボトルで販売しております。お買い求めになりますか。お薬を飲むのでしたら、水をご用意していますが」
  • 薬は飲まないし、「買わせようとする企業姿勢が納得できず、水を飲まずに我慢することにしました」
  • 着陸までずっと気分が悪かったのに、CAは何もしてくれなかった
  • CAの証言:「お休みになっているようでしたので、お声をおかけしませんでした」
  • 着陸後、猛然と航空会社に抗議し、本社の正式な謝罪を要求する

『都合のいい「うつ」』233ページ。

 水はあったのだから、それを断ったほうが悪いという論調です。

『アカルイつうつ生活』には、「自分を楽にしたいのならば、自分で努力すること」と書いてあるのだが。断ったほうが「悪い」とまでは言えないまでも(体調が悪いのは罪ではない)、CAが不調に気づかなかったからといって航空会社の本社に謝罪を請求するのは行きすぎだと思う。

なお、「パニック障害」は病気の一種で、上記の症状は「パニック発作」と表現する方が適切だろう。

自分を「腫れ物」にするな!

184ページ。

 私は積極的にうつを治そうと努力する人は好きだが、

「うつなんだから、気をつけてくれないと困る」

 と自分を「腫れ物」にしてしまう人は嫌いだ。

 そうした「腫れ物」うつ患者はなかなか治らないので、病歴だけは長い。それを自慢の種にして先輩面するから、こういう手合いは始末に負えない。

 うつにかかる人が増えて、うつに関する情報も豊富になってきた。しかし、こうした困った「腫れ物」うつ患者はやたらと薬に詳しかったり、病気について医師でもないのに「指導」したりするので、うつになって間もない人は彼らの言葉に戸惑ってしまう。

うつ歴12年だとか言って、抗うつ薬の危険性をあれこれ本に書いた挙句、医師の抗うつ薬処方を擁護すると「勝手に自滅しなさい」とか言う人がいるので困ったものだ。

この人は確かに、「うつなんだから、気をつけてくれないと困る」とは言っていないし、取材に出かけたり本を書いたり積極的に行動している。しかし、抗うつ薬のマイナス情報を得てから薬をやめてしまっている。そして、食欲減退とか体重減少の症状が出ているほか、飛行機に乗ってパニック発作が生じたり、どう見ても「うつ」が改善しているようには見えない。それでも、「今はまったく症状に苦しめられていません」と強がって見せている。本人の自覚はないが、最近の行状を見ると、「積極的にうつを治そうと努力する人」ではなくなっているように思える。

唐突に訪れる死の誘惑

この節は希死念慮の話。

170ページ。

 ふっとこころににすきま風が吹く。

 うつで自殺する人の心理はそんなものではないだろうか。

172ページ。

「ああ、もうリセットしちゃいたいな」

 そんな思いが唐突に浮かぶ。

 リセット。

 死にたいというより、このリセットという言葉のほうが自殺の動機としては近いように思えてならない。

著者の人はそうかもしれないが、自分の経験では、うつ病希死念慮はもっと違うものに感じた。

「唐突に」死にたくなるのではない。「死にたい」という気持ちが四六時中頭を支配する。

気分の落ち込みがひどくて何もできず、布団に一日横になっている間、このまま死ねたらどれだけいいかと本気で思った。「神様、お願いですから私の命を持って帰ってください」、そう願った。そして、どうやったら確実に、楽に死ねるか、その方法を考えあぐねた。自分が死んだ後家族はどうなるかを想像し、なんとか生きていけるだろうと都合のいい予想をした。極めつけは、自分の葬式の様子を想像し、斎場の風景と参列する親族一堂の姿を思い浮かべた。そういうどうしようもないことに頭を使って時間を過ごした。

症状が重いときはこんな様子だった。とにかく自分の存在を消したかったので、遺書を書くという発想はなく、パソコンが使用不可能になると困るので、XPのログイン用のパスワードだけはメモを残した。

今こうして生きているのは自殺を実行しなかったからで、実行して失敗する自殺未遂も起こさず、試しにやってみようとして直前でやめることができた。今はあの時死ななくてよかったとほっとしている。想像上の葬式の場面で自分の親が取り乱すことが確実であることに心を痛め、また、試行したときに「このまま人生が終わるのは嫌だ!」という気持ちが湧いてきたので、以後自殺を実行に移すことは断固としてやめることにした。苦しかったが、「死にたいという気持ちは病気の症状に過ぎない」と頭の中で念じて耐えた。

少なくとも、比較的安全な薬であるベンゾチアゾピン系の抗不安薬(当時はセニランを処方されていた)を、大量に飲もうとは思わなかった。いまどきのうつ病の処方薬では、ODなどしても死ねないことを十分に分かっていた。

著者の自殺を否定する文章についてどこそこが間違っているとか言う気はないが(著者はODによる自殺未遂と入院を経験している。自分にはどちらの経験もない)、自分の希死念慮の症状は、「ふっとこころににすきま風が吹く」、「リセットしてしまいたい」などというのとはニュアンスがかなり違うということは、一人の経験者として、記しておきたい。

死んでしまった人の気持ちは知りようがないので、希死念慮について正確に把握することは多分誰にもできない。

続きます。