- 作者: 上野玲
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2010/05
- メディア: 新書
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炎上ジャーナリスト
この本を読むまでは、上野玲という人はまともなもの書きだと思っていた。しかし、この本を読んでから何かひっかかるものを感じた。特に121ページ。
薬を売るには病気を作れ。これが製薬会社のセールスプロモーションに隠された本当の目的です。
こういう言い切りは陰謀論くさい。
その後『都合のいい「うつ」』で、容易に相手が特定できるブロガーを攻撃しているところから、「この著者はまともじゃない」と確信するようになった。「新型うつ」を社会問題として扱っている文脈の中で、罪なき特定の誰かを「新型うつ」と言って非難するのは、精神障害を扱うもの書きとして、決して許されない行為のはずだ。
それから程なくして、上野玲氏はtwitterで炎上事件を起こし、一躍ネットの有名人になった。
今はこの人はブログもtwitterのアカウントも削除して潜伏している状態。同時期に、主催していた患者団体のうつコミュニティも解散してしまった。今、人々の目からはこの人はほとんど消え去ったように見える。
ほとぼりが冷めるのを待っているのか、このまま精神医療の言論世界から消え去るのか、今後の動向が気になる。文章は下手ではないからまだまだもの書きでやっていけると思うのだが。先の炎上で露呈した諸々の問題点を克服できたとしてのことだけど。
この人が過去に書いた本にも、もしかしたら何かしらおかしいところがあるはずだと思って、『アカルイうつうつ生活』を読み直したら本当にそうだった。そこでこのブログで以前その辺を書いてみた。
そして本書。心にひっかかるものがあったのでまだこのブログで書評を書いていなかった。今こそツッコミを入れてみる時期だろう。そう思い、先日ざっと読み直してみた。これは、と思った箇所に付箋を貼ったら20枚ぐらいになった。やはりこの本についても色々書くことがありそうだ。
まずは第一章、「間違いだらけのうつ治療」からいってみよう。
間違いだらけではなかったうつ治療
うつ病治療の基本は「薬」と「休養」。まともなうつ病の本ならたいていこのことが書いてある。会社員や公務員がストレスでうつ状態になったのなら、まず休職させて休養をとらせ、あわせて投薬を始めて、症状が改善するのを待つ、というのが一般的な流れ。
うつ病が薬だけで治るなどと言う人はどこにもいない。この本はタイトルがすでにシャドーボクシングである。
上野氏も「薬」と「休養」が基本というのは分かっているが、従来の医療を否定するのが本書の目的なので、第一章でまずこの基本の否定にとりかかっている。24ページからの節のタイトルがずばり、「薬と休息だけでうつは治る?」。
最初に「薬」の批判。
抗うつ薬は効果が低く、発現も遅く、副作用が強い上にそれが効果より先に出る。と一通り問題点を書いてあるが、これぐらいのことはうつ病の初歩的な知識があれば誰でも知っている常識。さらに、軽症のうつ病に抗うつ薬の効果がほとんどないかも知れないというのは今や厚生労働省のサイトにも書いてある。
うつ病と判断された場合には一般に抗うつ薬による治療が行なわれます。ただし、典型的なうつ病でも軽症の場合は薬の効果がそれほど期待できないこともあるので、薬物療法が絶対であるというわけではありません。自分には本当に薬が必要かどうかを主治医に確認しながら治療を受けるようにしましょう。
http://www.mhlw.go.jp/kokoro/disease/depressive.html
著者が思っているほど、抗うつ薬は絶対視されていない。
次に「休養」の批判。
要点は;
- 休めといわれても何も考えずに休むのは難しい
- 都合で休みがとれない人もいて、休めないからなかなか治らない
批判になっていない。「休養」をとると「うつ」が改善するという事実を否定できていない。というか33ページで「ともかく休養は大切です」と自分から書いてしまっている。
なら「間違いだらけのうつ治療」とか「薬と休息だけでうつは治る?」という見出しは何なのかと。
休養が第一、抗うつ薬の効果は限定的、ではうつ病治療の常識を何一つ覆していない!
以下各論。まず休養のしかたについて。
30ページから「「休む」のも一苦労」という項があるが、思うに、休むのに苦労するぐらいなら無理して休まなくてもよい。テレビを見るなりゲームで遊ぶなり絵を描くなり散歩するなり泳ぐなり好きなことをすればいいと思う。
30ページ
ただ、何も考えないというのは、実際、難しいものです。
31ページ
それでも、なるべく何も考えず、心を真っ白にして、ゴロゴロしているのは、うつ症状を癒す上では必要不可欠であることは間違いありません。
「あー、もうバカになっちゃおう」
と開き直れば、面倒くさい、世の中のしがらみからも開放されて、結果的に脳の疲労を取ることにつながります。
なぜか上野氏は「休養」について、「何も考えない」ことにこだわっている。「死にたい」とか「失職したらどうしよう」とかよくないことで頭が一杯になっているなら、何も考えないようにした方がいいだろうけど(これらはうつ病の症状だから頭から追い払うのは難しいが)、前向きなことだったら、色々考えをめぐらせてみるのも悪くないはずだ。
私が見た他の人のうつ病の本では、休養について、患者の考えることにまで口を出しているものは少ない。「何も考えないほうがいい」というものはゼロだ。
ただ「休め」だけではなく、どう休むべきかまで書いてある本は2冊知っている。どれも、「何も考えず」、「ゴロゴロして」いろとは言わない。
まず磯部潮:『「うつ」かもしれない』の115ページ。
私が考えている「休むこと」というのは、「無理をしない」「焦らない」ことであって、適度な外出と運動は、「休むこと」と同じなのです。つまり、ただ寝ていれば良いということではないのです。
寝込まず、好きなように過ごして、外出や運動も好きなようにすればいい。それがうつ病治療の「休養」のようだ。重症で起きられない場合は寝てるしかないけれど。
私のかかっている医師も最初に自宅療養の診断書を出す際、「寝込む必要はない、好きなことをしていていい、軽い運動もいい」と休み方を教えてくれた。
次に「休みたくても休めない人」のこと。
思うに、薬を飲みながらでも仕事が続けられる人は、それだけ症状が軽いとも言える。その人も辛く苦しいだろうが、「休めないけど頭や体が動かなくて働けない」という状態で、どうしようもなく休んでいる人に比べればまだマシだと言わざるをえない。
で、休めないからなかなか治らない、と書いたところで、「休めば治る」という医学的な事実を何も否定できていないので、なぜそんな事例がここで出てくるのか分からない。薬飲んでるだけでは治らないと言いたいのかもしれないが、もともと休まなくても薬だけで治ると言う人がいないのだからこれもシャドーボクシング。
これについては、治療法の批判の文脈ではなく、どのようなタイプの「うつ」の、どの程度の症状までなら休まなくていいか、それをどこで判断すべきか、というあたりに注目して取材し記事にしたら、うつ病の人の復職に有用な情報になっただろう。
回復期の患者に「なにもしなくていい」などと言う医師はいない
うつ病は発病から治るまでの間を、「急性期」、「回復期」、「寛解期」というおおまかな区切りに分けられる。「急性期」はとにかく投薬と休養により症状の改善を図る時期。急に休むことになって戸惑い、仕事をしなければという人がいれば、医師は「なにもしなくていいですよ」と言うだろう。
「回復期」は症状が軽くなってきた時期で、服薬は続けるものの、症状が軽くなってきたら復職に向けリハビリなどに取り組み、やがては復職して「寛解」を目指す。
自分の経験もこの通りだったので、上野氏がこんな医師がいると書いているのが信じられない(P.44)。
やがて、時間と、もしかしたら抗うつ薬の効果で症状は軽快してきます。ここからが問題なのです。
この段階に至っても、病院で診察を受けると、ほとんどの医師が、
「まだ休息していたほうがいいでしょう。何もしなくていいんですよ」
と、指示します。医師は常に慎重だからです。
そして言われたとおり休んでいるうちに患者は社会性を失い、「患者化」してゆく。それはいけない! というのが上野氏の主張。
でも、私の知る限り、そんな医師はいない。回復期に入って症状が改善してきたら、復職に向けて治療方針をシフトしてゆくのが普通の医師だ。産業医ならリハビリについて具体的な指示もしてくるだろう。うつ病の人のブログなど読んでも、復職を目標にどうするかを考える医師の話は出てくるが、日常生活に困らない状態の人に「何もしなくていい」などと言う医師の話はまったくない。
これについては、上野氏は自分が主宰する患者会で情報収集すればよかったのにと思う。ところが、うつコミュニティの掲示板は医師の診断だとか薬の話題とか、とにかく治療法に関する話題はタブー、違反すれば削除、態度を改めなければ強制退会というところだった。
こういう運営をしていたら、多数の患者からの医療の現状に対する情報は入ってこないだろう。「ほとんどの医師」がどういう治療をしているか知るルートが限られてしまう。その結果、こういう現実離れした医者を想定して、藁人形論法で叩くような本ができあがる。身から出たサビだ。
それにしても、46ページにある医師との想定上のやりとりはおかしい。読み直すとじわじわ笑えてくる。
何もしないことに飽きて、そろそろ元の生活に戻りたいと思い出したら、診察の時に言ってみましょう。
「そろそろ散歩に出たいと思います」
そう切り出してもいいかもしれません。それを阻む医師はいないでしょう。
医師がおとなしくしていろと言ったからといって、それを金科玉条のように守って、何もしない、というのは、患者の自助努力をそいでしまう危険性があります。
「元の生活に戻れる」というレベルなのに散歩してよいか医師に聞かなければいけないというのはヘンだ。調子が戻っているなら散歩ぐらい勝手にすればいい。逆に、散歩がやっとできる、というレベルだったら「何もしないことに飽き」るほど状態がいいとは言えないと思う。
で、医師が何もするなと言ったから散歩もできません、とはどういうことか。ここで想定している患者は、うつがどうこう以前に、コミュニケーション能力の不全が感じられて、そっちの方が心配になる。
うつの回復には定量的な指標がある
「うつは薬では治らない」というのだから、著者は「治る」ということがどういうことか想定しており、それが実現できないことをもって「治らない」と書いているのだと期待してしまう。
しかし、そんな想定などないのがこの人の本の特徴。49ページ。
うつの「完治」は人それぞれです。
「人それぞれ」なのだから、精神医療で「うつ」が治ったと考える人もいるし、治らなかったと考える人もいる。上野氏が上記のように本当に考えているなら、「うつは薬では治らない」と簡単には言えないはずなのだが。
医師も患者も、ある一定の回復レベルを想定して、それをクリアしたかどうかによって「治った」/「治らない」と判断している。この場合の「治る」は、「完治した」というより、「ここまでは治った」という方がニュアンス的に妥当か。
医師の設定している目標は、例えば、この本が参照している冨高辰一郎:『なぜうつ病の人が増えたのか』の144ページあたりに出ているのだが、上野氏は目に入らなかったようだ。
で、47ページから、「精神医療だけで完治はありえない」と見出しを掲げている。しかしこれも、単に精神医療の常識を追認しているにすぎない。
うつ病は、治療により症状が改善し、仕事に復帰してしばらく症状が再燃しなければ、一応「治った」と見なすことができる。しかし、現代の医療では、その状態であっても再発しない状態にあるかどうかは判断できない。このため、「完治」(または「治癒」)という言葉は使わず、「寛解」という言葉により、一応治っていると言えそうな状態にあることを表現する。
うつ病は完治しない。回復しても発病前と同じ環境にいると再発する危険性が高い。働き方や認知のあり方を変えてストレスを上手にコントロールしてゆく必要がある。うつ病の経験は人生を見直す機会である。
この本では蟻塚亮二医師の言葉を借りて上記のようなことを書いていて、それ自体は何も間違っていない。そしてそれは、現代の精神医療を否定しなくても導くことが可能な結論だ。他の精神科医に聞いたって「医療だけでは完治しない、寛解しても再発しない保証はない、復職したら働き方を見直してください」ぐらい言うだろう。
ついでに言うと、「うつ」が治ったかどうかの基準は人それぞれとはいえ、その治り具合を定量的に評価する指標がないわけではない。そもそもそれがなかったら薬などの治療法の効果を科学的に検証できない。
「ハミルトンうつ病評価尺度」とか「ベックの自己評価尺度」とかいう方法がある。例えば以下で自己診断が可能。
http://www13.atpages.jp/seisinsoma/hyoka.html
要はいくつかの質問に答えてもらってそれに点数をつけて評価するので、個々の患者にとってはあまり客観的な評価にはならないだろうが、多数の被験者のデータを統計的に扱えば、うつ病の治療法の定量的評価を科学の土俵に乗せることができる。
「日本一うつについて書いている」ジャーナリストであれば、うつ病は治るか、というテーマの記事では、これぐらいの情報にはコミットしておくべきではないかと思うがいかがだろうか。