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うつは薬では治らない(その3)

うつは薬では治らない (文春新書)

うつは薬では治らない (文春新書)

「うつだからドタキャンOK」という人はいるのか

「四章 医師のホンネと患者のコツ」、上野玲氏お怒りの「ドタキャン」に関する話が出ている(P.138)。

 ところが、うつの人と会う約束をすると、半分以上の確率でドタキャンされることが多い。もちろん、すべてのうつを患っている人がドタキャンをするわけではありません。きちんと約束を守る人もいます。それにしても、私は何度、うつの人からドタキャンされて途方にくれたことか。

「半分以上の確率で〜ことが多い」というのが日本語としておかしいという話は置くとして。

素朴に読むと、「うつ」の人(うつ病とは限らないらしい)と会う約束をすると、その半数以上でドタキャンされるということになる。本当ならひどい話だ。

十分な連絡やその後のフォローもなく、理由をどうにか聞いても「なんとなく気分が乗らない」なのだそうで(P.140)。

 寝込むほど症状が重い人にまで必至になって約束を守れとは言いません。「なんとなく気分が乗らない」程度のダウンで、うつの人が簡単にドタキャンをするのはおかしい、ということです。

自分はうつ病を患っているが、患者会とかに入っていないので、「うつ」の人との交流というのはしたことがない。だから、そんな高確率で約束を反故にされるのが普通なのかどうか、私には分からない。

今現在仕事に通えている自分の状態だと、まずありえない話だと思う。確かに仕事や遊びを突然中止したことはあるが、それは抗不安薬などを飲んでもなお、うつ病の身体症状がきついときだけだ。そして、誰かと約束があれば極力連絡したり心身の状態を説明したりするつもりだ。

「ドタキャン」は上野氏はよほど頭に来ているらしく、この後の『都合のいい「うつ」』でも書いているし、2008年頃に連載していた毎日新聞のコラムにも書いたという。

そのコラムを紹介しているブログを読むと、やっぱり、平気でドタキャンする人は限られるのではないかと書かれている。新聞コラムの時点では「半分以上の確率」なんて書かれていなかったようだ。

まあたしかに、「なんとなく気分が乗らない」で約束を反故にされたらこれぐらい言われても仕方ないが(P.139-140)、

それなのに、「うつ患者」というバイアスがあっかると、ドタキャンOKという理論になってしまうのが、私には「甘え」としか思えません。

でも、どうもこれは、上野氏のまわりにだけ、たまたま不誠実な人が多かっただけのことのような気がする。だとしたら気の毒だが、上記のブログで恫喝まがいのコメントを残していった(そしてなぜかすぐ消した)著者なので、あまり同情しようという気にはならない。

あるいは、ひどいドタキャンのケースの印象が強すぎて、確率を高めに認識してしまっているのかもしれない。

「うつ」に色々あることは最初に言うべき

「第五章 なんでもうつにしてしまう医療現場」。

「うつ」の症状を示す病気のたぐいは「うつ病」だけではない。また、「うつ病」そのものにしても色々な種類がある。その辺のバリエーションについてここで書かれている。

それはいいが、なぜ最初にそれを書かなかったのかが分からない。例えば大うつ病双極性障害では治療法方が異なる。特に投与する薬が違って、双極性障害のうつ期に抗うつ薬を投与すべきかは結論が出ていない。「うつ病」でも、いわゆる「新型うつ」となると薬は効かない、休ませれば海外旅行などレジャー三昧で、治療の方針がこれまたかなり変わってくる。

第一章の内容はストレスにより発症した従来型のうつ病の人でないと当てはまらない。前提条件をはっきりしてくれないと、読者にいらぬ誤解を与えやしないだろうか。

序章であえてうつ病とその周辺領域の分類を無視し、「うつ」で一緒くたに語ろうとしているところがどうも不可解だ(P.14)。

 尚、この本を含め、私が書くうつの本は、すべて「うつ」と表記を統一してあります。病院で治療を受けるのだから、「うつ病」だろうと言われるかもしれませんが、そうした個体因(後でこれも出てきます)だけ見て、うつを語るのではなく、環境因を含めてうつを概観するのが、私の目的なので、あえて「病」の字は省かせていただくことをお断りしておきます。

なぜ分類を後回しにしたがるのだろう。私など「うつ」に様々なバリエーションがあり、それぞれで適切な対処方法が違うこと、ストレスによるうつ病の発症に関してだけようやくメカニズムが分かってきたこと、さらに医師や研究者によって微妙に言うことが違うところなど、調べていて知的好奇心が刺激されてたまらなく面白いのだが。

吉野聡氏の本を参照しているけれど

そしてここで、吉野聡:『それってホントに「うつ」?』という本を参照している。

上記の本を元に、一口に「うつ」と言っても、いわゆる従来型のうつ病だけでなく、「新型うつ」(現代型うつ病)、統合失調症双極性障害などがあると示している。

吉野氏の本は、職場での「うつ」を問題にしているので、他の本に出てくる産後うつや更年期うつ、老人性うつ病、体の病気にともなううつ症状、薬の副作用によるうつ症状などには言及していない。

そして、不思議なことに、吉野氏の本に書かれているのに、この本で言及していない「うつ」が1つある。

『それってホントに「うつ」?』という本は職場「うつ」を29ページで4分割図で分かりやすく説明している。その4分類とは;

  1. うつ病の診断基準を満たす+病気的要素=従来型うつ病
  2. うつ病の診断基準を満たす+性格的要素=現代型うつ病(新型うつ)
  3. うつ病の診断基準を満たさない+病気的要素=内因性精神障害統合失調症双極性障害
  4. うつ病の診断基準を満たさない+性格的要素=パーソナリティ障害

なぜこの本でパーソナリティ障害にともなううつ状態に言及しないのかが分からない。「うつ状態」と診断書を書かれることがあり、「死にたい」と自分から周囲に言いたがり、時に自傷行為をしてしまう人は、このケースの中の一部に見られるとされる(自傷行為の結果死んでしまう人もいる)。

あと(P.166)、

 私もそう思います。新型うつにはレッドカードを出して、退場してもらいたいものです。

この言い切りは建設的でなくてよくないと思う。せっかく「新型うつ」の人にも職場復帰の方法を考えてくれている吉野先生ががっかりしてしまうだろう。

それに「退場」するってどこへ? 「うつ病」を名乗るな、ということだろうか。それは、DSMを満たしているから病気には違いない、という吉野氏の認識とは異なっている。

私は、従来型うつ病の方をいっそ、「ストレス性脳障害」と改名するがひとつの手ではないかと思ったりする。

「新型うつ」でも最初から「休職もらって遊んでやろう」という人ばかりではあるまい。多くは職場にうまく適応できないことを悩んで、「そういえばよくうつ病というのを聞くなあ」と医師のところに来るのではないか。休んでみたら調子がよくなったので、健康な人並みかそれ以上に遊んでしまったと。

どんな福利厚生がしっかりした企業も、休職は経済的な損失が少なからずあると思うので、それ覚悟で「うつ」になりたがる人は、数としてはそれほど多くないように考えている。生涯有病率が数%とかいうオーダーではないはずだ(この手の数字はまだ見たことがない)。

希死念慮について

「第六章 明るい明日のために出来ること」で、希死念慮のことが出ている。

 うつになった。誰しも悲観することでしょう。死にたいという思いが頭から離れない。それでも、生きている、生き続けることがうつを乗り越える、一番の秘訣なのです。

うつ病で死にたくなるのが「悲観」によるというのは、個人的な経験からは、ニュアンスが違うような気がする。

理由もなく死にたくなる。風邪で熱が出るように、うつ病になると死にたくなる。病気の症状としての希死念慮、これがやはりしっくりくる。しいて理由らしいことを挙げれば、「うつ」の症状が苦しいとき、「この苦しみから解放されたい」と思うことがあることか。

うつ病が発症していてもそれが病気だと気づかず、希死念慮につき動かされて自殺してしまう人が少なくないのが、現代の厳しい現実だ。「うつ」と知ってから絶望して死にたくなる、というのはあまり現実に即した認識ではないと思う。

なお、風邪で熱が出るのはウイルスから身体を守る防衛反応だが、うつ病でなぜ死にたくなるのかはまだ解明されていない。死んだら元も子もないので防御反応という説明は無理だろう。「発熱」の例えもよくないのかもしれない。「うつ病とは生きる意欲が失われる病気」という解釈が今のところ一番分かりやすい。

そして206ページ。

 私もひとしきり、死にたいと言い回った後は、なんだかそんな自分が馬鹿らしくなってきて、やっぱり生きようと思います。

「死にたい」と誰かに一方的に伝えたぐらいでは、希死念慮が軽くならないケースも少なくないのではないかと思う。

黙って死なれては多くの人が悲しむ。死にたい気持ちは誰かに率直に相談した方がいいことは確かだ。そしていかに自殺が不合理ではた迷惑で遺族が悲しむかを説明してもらうのがよい。

でも、その相談をなかなかする気にならないというのが、うつ病病前性格の特徴のひとつではないかと思う。でなければ、昨今の自殺対策はもっと効果が上がっているのではないだろうか。素直に「死にたい」と口に出せる人ばかりではないというのは、自殺対策で重大な問題だと思う。

以上で一連の書評を終わります。