田舎教師

田山花袋の小説『田舎教師』の感想と聖地巡礼について。ネタバレあり。

去年の夏から秋にかけて、青空文庫にあるものをスマートフォンにDLして読んだ。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000214/card1668.html

「誇る文豪田山花袋」と上毛かるたにもある郷土の偉人。やはりある程度知っておかないといけないとは時々思っていた。「自然主義」とはいったい何なのか。

青空文庫ができてネットで時々その評価を見るようになり、まずは『少女病』、『蒲団』とやや変態じみた小説を読んでみた。確かに面白い。何かと話題になるのも分かる。

そして、代表作『田舎教師』を読み始めた。

実は実家に文庫本があって最初の方を読んでいた。当時は面白さが分からず途中で投げ出した。しかし今度は完走できた。

前半読んでいて引き込まれるのは埼玉県北部の利根川沿いの地域に対する精密な描写。自分の行動範囲のことなので知っている地名がやたらと出てきて飽きなかった。

そして、主人公林清三に徐々に感情移入してゆく。

中学を出た林青年は、進学したり兵役に就いたりする友人達と同じようにはゆかず、文学で身を立てたいという強い願望を抱いたまま、諸般の事情(主に家庭の貧困)から、田舎の小学校の教師の職に就く。最初はそれでも同人誌を友人達と作ろうとかするが、やがては教師という職での自己実現に誇りを持ってのぞみ、将来への道を決める。

ここで清三が日記に書くのが有名な一節。

「運命に従ふものを勇者といふ」

文学を志す意思といくばくかの才能を有しながらも、教師としての自分を運命として受け入れる決意がそこに現れている。

少年の憧れから大人の自己実現へ。そこで素朴に夢が現実になることはめったにない。そして多くの人はそれを受け入れて生きている。そういった人を主人公に据え、その心情を丁寧に描いたこの小説は、時代によって褪せない普遍性がある。

年2回のコミケの隆盛を見れば、「勇者」のなんと多いことかと考えさせられる。それはプロも参加しているであろうけれど、あの場を支えているのは、多くは、林清三のように、意思とある程度の才能を有しながらも、違う道で生きることを選んだ普通の人々だ。

あと追加として、テレビどころかラジオもない明治のあの時代、文学というのは、今の深夜アニメに相当するぐらいの知名度とマニア度を有する芸術だったのではないかと思う。

林青年の爽やかな決意とは裏腹に、物語の結末は悲しい。読み終わってけっこうショックだった。ここには明治という時代性が強く現れている。抗生物質医療保険もない社会。滋養のために肉や魚を多くとらせるとそれだけで家計が圧迫されてしまう経済事情。

普遍性と時代性の相互作用が、本作の文学としての評価を高めているのではないかと思う。

あと、綿密な取材(+作者の土地勘)にもとづく、田舎の風景や自然、そして住人達の描写も魅力的で、ご当地小説としてもまたよくできている。方言もありのままだ。

本の感想は以上にして、せっかく地元が舞台なので、聖地巡礼してきた写真を以下に。

まず林清三の実家のあった行田市

水城公園にある『田舎教師』の石碑。碑文は小説より以下の部分。

「絶望と悲哀と寂寞とに堪へ得られるやうなまことなる生活を送れ」

「運命に従ふものを勇者といふ」

続いて羽生市

駅前の建福寺にある、林清三のモデルとなった小林秀三の墓。

田舎教師』出版後、文学界の面々が「聖地巡礼」に来たことを示す記念碑。川端康成片岡鉄兵横光利一の名前が刻まれている。

羽生インターや水郷公園の近くにある田舎教師銅像

すぐ近くに弥勒小学校跡地を表す看板があり、その隣にも『田舎教師』の碑がある。引用文はやはり清三の日記。水城公園の石碑で削られている1行も入っている。

「絶望と悲哀と寂寞とに堪へ得られるやうなまことなる生活を送れ」
「絶望と悲哀と寂寞とに堪へ得らるるごとき勇者たれ」
「運命に従ふものを勇者といふ」

茨城県古河市にも足を伸ばしてみる。

中田宿を案内する看板。

栗橋が水運で栄え、利根川を挟んだ中田は当時歓楽街だった。清三青年は往復に丸二日かけてしばらくここに通う。

群馬埼玉の二県はかつて廃娼論の盛んであった土地なので、その管内にはだるまばかり発達して、遊廓がない。足利の福井は遠いし、佐野のあら町は不便だし、ここらから若者が出かけるには、茨城県の古河か中田かに行くよりほかしかたがない。

群馬県はいわゆる特殊浴場のたぐいがないが明治以来の伝統とは。

群馬県内で言及されるものも2箇所ほど。

まず板倉町雷電神社


利根川を渡って一里、そこに板倉沼というのがある。沼のほとりに雷電を祭った神社がある。そこらあたりは利根川の河床よりも低い卑湿地で、小さい沼が一面にあった。上州から来る鮒や雑魚のうまいのは、ここらでも評判だ。

今だと、神社の西にある湿地は公園と運動場に整備されていて、板倉沼も埋め立てられて工業団地になっている。

同じく板倉町の高鳥天満宮


利根川を越えて一里ばかり、高取というところに天満宮があって、三月初旬の大祭には、近在から境内に立錐の地もないほど人々が参詣した。清三も昔一度行ってみたことがある。見世物、露店(ろてん)――鰐口(わにぐち)の音がたえず聞こえた。ことに、手習いが上手になるようにと親がよく子供をつれて行くので、その日は毎年学校が休みになる。午後清三が宿直室で手紙を書いていると、参詣に行った生徒が二組三組寄って行った。

恥ずかしながら、つい最近までこの神社には来たことがなかった。存在を知ったのも10年ぐらい前。昔は相当有名だったようだ。

埼玉県桶川市さいたま文学館の展示はよく見なかったし、群馬県館林市田山花袋記念文学館は行ったことがないので、これらを見たらまた何か書きたい。調べたら、まだ見ていない記念碑や展示が他にもいくつかあるようだ。