- 作者: タカハシマコ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/07/06
- メディア: コミック
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タカハシマコという漫画家は、昨年の秋に書店で『スズラン手帳』という単行本に出会って知った。コミック百合姫の連載をまとめた『スズラン手帳』はその雑誌に相応しい百合漫画だったが、この漫画家はなんかそれ以上のものを持っているような気がして、その後7冊ほど漫画を購入してみた。
その中で、『それは私と少女は言った』が最高だった。
このわずか半年ほどの読書経験で断言してしまうのもどうかと思うが、これはタカハシマコ先生の最高傑作のひとつだ。
まず、一冊の漫画の中で、前半で微妙に複線を散りばめ、後半できっちりそれを回収して、ストーリーをスマートに完結させている。
そして、主要なキャラクターの5人の少女たちの内面が、ものすごくタカハシマコ的な生々しさをもって描き出されている。
ストーリーの縦軸と人物像の横軸との兼ね合いが絶妙で、読み返しても飽きない。2回目、3回目ぐらいではむしろ新しい発見がある。
以降、ネタバレを避けるよう具体的で詳細な記述は避けつつ、中身に言及していきたい。
まず挙げなければならないのは、本のタイトルが、そして本書の軸となるヒロイン、駒沢鳥子の名前が示すように、この漫画はマザーグースの詩のひとつ、「駒鳥のお葬式」('Who killed Cock Robin')をベースにしている。原典はたとえばこちら↓
クックロビンといえば、萩尾望都が『ポーの一族』でもこれをモチーフとしたものを描いており、それを受けて魔夜峰央が『パタリロ!』の「クックロビン音頭」でギャグにしたことが知られる。
おそらくそれは十分承知であろうが、でもあえて、タカハシマコ先生はあくまで自分の流儀で、この詩から1冊の漫画を展開している。
主要なヒロインは映美(ハエ、「ハエ美」と呼ばれるのをひどくいやがっている)、咲菜(サカナ)、ヒバリ(ヒバリ)、鳩村(ハト)、鈴芽(スズメ)といずれも詩に登場する生き物と関連付けられていて、それぞれの登場する段落が話の鍵になっている。
そうしたキャラクター配置の上で、話を動かす大きい原動力として、同級生の美少女、駒沢鳥子(コマドリ)を登場させ、そして最初の話で無残に死なせている。
5人のヒロインは全員彼女の死ぬ場面を目撃していて、そして本の紹介で書かれているように、全員が鳥子の死を心の中で望んでいた。
彼女たちが望んだとおりに、美少女のこまどりは死んだが、逆にそれがゆえに、彼女の美しさは永遠の存在となってしまう。
鳥子の死を望んでその結果彼女の偶像化に至った現実の中で、その事故から何年か後、高校生になってふたたび5人揃ったヒロインたちは、鳥子に死んでほしいと各々が願った気持ちと向き合うことになる。
彼女たちは鳥子を意識することで、自分自身が内面に持っている「美」のイメージを具体的に認識していくことになる。それが彼女たちにそれぞれの物語を歩ませ、それぞれの結末へと導いていく。
この、永遠の美少女をめぐって様々な運命を歩んでいく5人の少女の群像劇が、この漫画のハイライトかと私としては思う。
なかでも、2話を使って描かれる咲菜の話が、独特の狂気とグロテスクさをもっていて、しかも結末もよくて、タカハシマコ成分の濃さを堪能した。
伝説の美少女の鳥子は、最後の鈴芽の話で人間らしいところを見せてくる。それは元の詩のスズメの役割と関連していて、話のオチへとつながる。ここも上手いまとめ方だなと思った。ただし、そこに至るまでのキャラクターの配置が強引で、というか、これもタカハシマコ先生らしくとんでもない変態キャラをさらっと配置していて、これもかえって、他の人にはとても真似できない!と感心した(ジョジョ第一部のあの台詞をどうぞ)。
「鳥子」という名前は『(ニコ)』という漫画にも登場する。この名前は先生のお気に入りなのか、前からこの漫画のネタを暖めていて、途中で鳥子の名前だけ先に使ったのか。その辺の経緯はさすがに分からない。
書店でちょっと気になった表紙の本が、こんなすごい漫画に私を引き合わせてくれた。出会いというのは不思議なものだなあと思う。
- 作者: タカハシマコ
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