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プラスティック・メモリーズとブレードランナー(ネタバレあり)

先日最終回が放送されたアニメ、『プラスティック・メモリーズ』。まさかアニメでこれほどの喪失感を味わうとは思いもしなかった。

とはいえ、このアニメ、ネットの評価を見るといささか良否が分かれているようだ。

自分にとってはどうかといえば、とても好きな作品だ。まず絵が動くという意味のアニメとして魅力的で、そしてしっかりしたテーマを持った作品であり、そして、作ってる人が映画『ブレードランナー』が大好きだという気持ちが感じられたから。もちろん自分も『ブレードランナー』が大好きだ。

この作品の評価が低い理由があるとすれば、一番考えられるのは、アンドロイドの「ギフティア」を売っているSAI社の描写が常識からはずれているところ。作り手側の意図的な部分もあるだろうし、単なる世間知らずという面も考えられる。とにかくいくつかのレイヤーで会社の描写がおかしい。会社勤めをしている身として、たしかに気になるところはいくつもあった。

これについて語るのは今回のテーマではないのでちょっとだけ言うと、SAI社がおかしいのは顧客満足度を普通の会社としてはありえないレベルで軽視しているところ。

ギフティアの商品としての特性を考えれば、アイラが考えた回収手順は、会社が製品開発段階から考え出してあっても不思議でないもの。アイラがすごい、といことを表したいがためにああいった作りになっているのだろうけど、結果として「キャラを有能に見せるためにまわりを無能に描いた」と指摘されてもしかたがないものとなっている。

会社のマニュアルはアイラ方式だったとして、他の部署は採算性重視でモラルハザード起こして手順を守っていない、それをアイラがその人柄で部署の雰囲気を変え、アニメで描かれたような回収手順をきちっとやっていた。という話だと多分多くの人が納得したのではないだろうか。

ということで、自分的に一番大きい作品の問題点の指摘とそれに対する代案はここまで。

ここでのテーマは『ブレードランナー』とこの作品の関連について。

「寿命の限られたアンドロイド」。この設定が映画『ブレードランナー』から来た発想であることは間違いない。1話でこの設定を見てすぐピンと来た。そしてOPやEDなどとあわせて考えると、話の展開は早々に読めてしまった。また、作り手側が『ブレードランナー』が好きなら、絶対ストレートに泣かせる話をぶっこんでくるだろうと思った。

あの映画からインスパイアされた作品であることは多くの人が気づいていて、海外の匿名掲示板ではこんなコラまで作られている。

http://don32111.blog.fc2.com/blog-entry-43.html

ネットの批評を見ていてよく目にするのが、「ワンダラー」や「闇回収屋」の設定はいらなかったのではないかということ。

これも『ブレードランナー』を見ていれば納得がいく。12話でツカサがアイラに、一緒に逃げようと言う。ここでそういう展開をしたらどうなるか。映画と同じだ。つまり、映画と同じ展開になる可能性を徹底的に潰したのがあの設定。逃げればアイラが暴走するか、闇回収屋につかまる。二重に防御をはったのはそれだけ映画を強く意識しているということだろう。

最終回を見てから映画のDVDを見直したが(いわゆる「最終版」。BD版とはまた異なる)、あの映画でも「メモリーズ」という言葉が重要な要素として出る。それも、上書き可能な、つまり可塑性のある=プラスティックな意味合いで(プラスティックは人工物というニュアンスもあるのでタイトルはダブルミーニング)。

アイラとツカサが一緒に住むというのも、映画でタイレル社から逃げてきたレイチェルがデッカードと同棲していたことを考えればさほど無理な設定ではない。他のキャラのJFセバスチャンも自分が開発した複数のアンドロイドと住んでいた。

アイラが銀髪なのもルトガー・ハウアーへのリスペクトなのかもしれない。

映画のラストシーンもアンドロイドの記憶に関する話になるが、ここでの台詞はメモリーじゃなくモーメントだった。

「寿命が限られている」という設定を持ってきたのはいいが、映画ではそれが「フェールセーフ」として意図的にプログラムされたものであるのに対し、アニメでは脳機能の寿命という扱いになっていたのはちょっと苦しいなと思った。工業製品の寿命は品質と使われ方でけっこう違いが出る。それが何万時間のうちの数時間、という精度でぴったり壊れるようになってるというのは理工系の人間としては違和感を覚えずにはいられない。

ただ、アンドロイドが人間以上の能力を持っているゆえに、人の制御から外れると危険な存在となる、という部分は映画からきっちり継承されており、ここはむしろ好感を持った。映画はストレートに人類の敵として描かれ(といっても映画で確実に殺したのはタイレル社の人間と捜査官だけだが)、アニメではこの設定が認知症などを連想させて、ギフティアが文字通りアンドロイドなだけではなく、人間そのものの有限の寿命を象徴しているのだと気づかせるものとなった。

前述したとおり、このアニメでは、映画と同じラストに至る道は徹底的にふさいである。そこから分かるのが、この作品は『ブレードランナー』への愛に満ちているが、決して模倣ではないこと。あの映画とは違ったテーマを持つ、独立した創造物だ。私はこの作品のオリジナリティを否定しようという考えはない。

追記:1話のアイラジャンプは林氏があえて突っ込んだシーンらしい。動画でどういうシーンか示した、というのはどう考えてもブレードランナーのラストのほうのシーン。映画と比較すればあのアニメの中でのアンドロイドの位置づけが分かるし、落ちて怪我しないところからギフティアの身体能力が分かって、頭にバナナの皮が載ってるシーンで作品内でのリアリティのレベル、というかマンガ的演出の入れ具合が分かる。

あと、うっかり忘れていたが人間とアンドロイドのカップルが逃走するシーンが2回も出てくる。どっちもSAI社に回収されるわけで、ここでも映画と同じラストは選択肢に挙げられないようになってる。防御は三重だった。