アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

はじめに

私のように1980年代に青春を過ごした人間には、映画『ブレードランナー』はものすごい衝撃だった。だから、映画の方がすごく有名で、比べると原作小説を読んだ人は稀だった。

それから30年ほど。多くの作品で未来都市といえばあの映画のロサンジェルスのイメージが継承されている。あまりにも当たり前になりすぎてしまい、今の人が映画を見てもそれほどの衝撃は受けないらしい。書評を見ると、原作を読んだ人と映画を見た人がほぼ同数であるかのような印象を受ける。それでもなお、今でも原作の評価が高いのは、やはりそれだけこの小説が魅力的だからで、時代を超えたものが描かれているということだろう。

私は学生の頃に、『ブレードランナー』の原作ということでこの小説を読んだ。そのときはディックの文章に慣れていなかったので、途中でかなり退屈になり、小説を楽しむというより文字を追うだけの作業になってしまった。だからいくつかのシーンを断片的に覚えているだけで、ストーリーなどほとんど忘れてしまっていた。しいて言えば、映画と原作はかなり別物だといのが分かった程度。

そして時は21世紀。ハヤカワのSF小説が次々に電子書籍となる時代。気がつけばP.K.ディックの小説も多数が並んでいる。それでは、と『高い城の男』と『ヴァリス』を読んだ。どれもとても面白い小説で、ディック氏の才能を改めて知った。特に『ヴァリス』は、『〜電気羊〜』以上に難解な小説で、これも学生の頃読んだがさっぱり中身が分からなかった。今回は山形浩生氏の新訳であることと、自分自身が作品を理解するのに必要な知識をあの頃に比べて大幅に蓄えることができていたので、比較的容易に読め、しかもかなり興奮して楽しむことができた。

ディックの電子書籍として3冊目にこれを選んだのは理由がある。アニメ『プラスティック・メモリーズ』にハマったからだ。このアンドロイド少女との恋物語は、映画『ブレードランナー』の影響を受けていることにすぐ気がついた。そして8話を見たら、「アンディ」というアンドロイドが登場した。「アンディー」と書けばそれはこの小説のアンドロイドの呼称だ。そしてどちらも多分綴りはAndy。映画のほうだと「レプリカント」。だから、このキャラクターの名前は、作り手側からこの小説を参考にしたというメッセージだと考えることができる。少なくとも自分はそう受信した。だから、ほぼ30年ぶりにこの小説を読むことにした。

読んだ感想を率直に言うと、アニメの元ネタが確かに沢山あった。びっくりするほど。小説を読んだ直後はアニメがこの作品と同じ世界設定なのではないかと思ったほどだ。それはすぐに間違いだと気づいたが、それでも、アニメがこの小説を少なからず参考にしているという確信は変わらない。以下に読んだときにつけたブックマークをもとにそれをいくつか示してみたい。アニメと小説双方のネタバレを含むので未見、未読の人はご注意を。

ギフティア

アニメに登場する「ギフティア」とは、SAI社が世界で初めて開発に成功した心を持ったアンドロイド、という設定。これは映画のタイレル社、または小説のローゼン協会のネクサス6型と相同。

しかし、アニメに登場するロボットやアンドロイドはなにかしら視聴者が共感できる心を持っているもので、実際は心がないようなものの方が少ない。『プリパラ』で徹底してNPCとして描かれているめが姉ぇ、めが兄ぃの方が特殊だ。

小説と照らして考えれば、ギフティアはフォークト=カンプフ感情移入度検査法で検出できない初めてのアンドロイドということになる。ネクサス6型から寿命が限られているという設定を受け継ぎ、一方でここを決定的な違いにしている。

充電器

映画を見てからこの原作小説を読もうとして最初に引っかかるのが、情調オルガンや共感ボックスという謎アイテム。情調オルガンは人の感情をコントロールする機械で、多分ディックが処方されていた向精神薬から思いついたアイテムだと思う。化学物質で感情がコントロールできるなら未来には機械でも可能になるだろうと。ただ、この機械がどういう形かは小説に記述がない。

一方の共感ボックスは、取っ手を握ることで宗教的な体験ができるという機械。マーサーという荒地でひたすら山を登る老人と一体となることができ、マーサーの苦悩を共有できる。マーサーが石を投げられて傷つくと使用者も傷つくという、多分この小説で一番理解しがたいアイテム。

なのだけど、J.R.イジドアの「いちばん身近な品物じゃないか! 自分の体の延長みたいなもんだよ。それがなくちゃ、ほかの人たちと触れあえないし、孤独でいなくちゃならない。」(位置No.1095付近)という台詞でピンと来た。現在のスマホSNSじゃないか。1960年代にこんなものを思いつくとは天才としか言いようがない。

ここで、アニメでアイラちゃんの部屋にどでかい機械が置いてあることを思い出す。あの変な椅子だ。設定によると充電器で、ギフティアは主にここで得た電気を動力源にしているとのこと。食事もできるがそれは補助的な機能らしい。

この充電器の元ネタが情調オルガンや共感ボックスといったアイテムの可能性がなくはない。まあ機械の形自体は『ロボコップ』だけど。

小説ではネクサス6型は共感ボックスが使用できないことになっているが、ギフティアは共感する心を持っているから問題なく使えるはず。

輪廻

アニメ『プラスティック・メモリーズ』では輪廻転生という日本人が比較的容易に共感できる死生観が描かれている。回る観覧車が人の一生の象徴であるし、脚本の林氏が作詞したOP曲もこの観念に基づいて綴られている。

これ自体には特定の元ネタというのはないはずだ。

ではそれがキリスト教圏の米国で発表されたこの小説と矛盾はしないのだろうか。これがしていない。『高い城の男』を読んでも分かるように、ディックは東洋の思想に強い関心を持っている。宗教観についても、キリスト教と東洋思想との融合を試みているように思える。

この小説では、例の共感ボックスのマーサー教の死生観が輪廻転生であると示されている。小説では「ピンボケ」のイジドアに生命の循環について語らせているのが巧い。

これは元ネタどうこうより、アニメと小説で整合していることのほうにびっくりしたケース。

ディックの東洋思想への共感は小説のこんな台詞にも見られる。位置No.1335付近。

「ホーレスのような猫は、二ひきといませんわ。まだほんの子猫のころから、よく後足で立ちあがっては、まるでなにかききたいことでもあるように、わたしたちを見上げたものよ。なにがききたいのかは、とうとうわからずじまいでしたわ。でも、きっとホレースはいまその答えを見つけたでしょう」新しい涙があふれた。「わたしたちも、いずれはそれを見つけるのね」

まるで法事のときに僧侶から聞かされる説話みたいな話だと思った。

ギフティア回収時の営業台詞

先のホーレスとは、イジドアが預かって死なせてしまった重病の猫で、イジドアは上司から猫の持ち主に猫の死とそれに対する会社の対応を話すよう指示される。

この辺のヴァン・ネス動物病院の対応は、ギフティアを回収するときその後について説明するSAI社社員の対応にかなり似ている。アニメの台詞は携帯電話の機種変更のときの店員の対応あたりを参考に書かれたと考える方が自然だが、小説をまったく考慮していないということもないと思う。

人とアンドロイドの関係

映画ではアンドロイドは明確に「奴隷」という位置づけになっている。

小説では、核戦争で汚染された地球を後にし、他の惑星に移住する人々のパートナーとして、アンドロイドが製造されている。移民惑星でアンドロイドと人の関係がどうであるのかは直接の描写はない。リックは奴隷的な重労働を課せられていたはずだと推測しているが、例えばロイ・ベイティーの捜査資料には職業が薬剤師だとあるだけで、しかも彼は同じネクサス6型の妻がいる。

火星から脱走して地球に来るにしても、映画のように奴隷の境遇からの脱走や限られた寿命の延長といった分かりやすい動機は描かれない。小説ではもう少し哲学的で抽象的な動機によるような感じがする(小説を再確認したら荒涼とした火星がいやになったとあった)。

アニメで人とギフティアがほぼ対等なパートナーであるのは、映画の単純な逆張り、というわけではなさそうだ。

アンドロイドの寿命

映画で強烈に描いてあるので、ネクサス6型の寿命が4年というのは映画のみの設定と勘違いしていたが、小説でもネクサス6型が短命という設定があった。やはり4年ぐらい。しかし、小説では、少なくともレイチェルは寿命が短いという事実を受け入れていて、長生きしたいという希望は持っていない。

ギフティアがそれほどの苦悩を見せずに、最終的には自分の寿命を受け入れることができているように描写されているのは、これも映画の逆張りということではなさそうだ。

なお、ギフティアは製品寿命として設定されている値が81920時間、約9年と4ヶ月なので、共感能力と寿命の点でネクサス6型より高性能。

ところで、この81920時間の寿命だが、工業製品の寿命に有効数字4桁かよ(笑)などと当初は思ったものの、10×2の13乗と見れば有効数字は2桁だ。

おそらくは製品寿命の平均値から3σぐらいマイナスしてこの値が設定されていると思うが、有効数字2桁と考えるとさらに1000時間とか一ヶ月ぐらいは回収時期が過ぎてもほとんどの場合は問題は起きなさそう。

逆に、平均からたとえ3σマイナスしても、設定寿命の前に寿命が来るギフティアもゼロにはできない。なので、回収前にワンダラー化するアンドロイド災害は製品に関するリスクとしてどうしてもある。してみると、SAI社がRセキュリティ社みたいなPMCと連携しているのも理解できる。

理解はできるが、5話はもう少しなんとかならなかったものだろうか、という残念な思いは消えない。

作品内で2ケースも回収時期直後にワンダラー化していたが、これは作劇上の都合を確率統計より優先したもので、物語にはよくあること。まあ今回はけっこう不自然さが気になったが。

アンドロイドとの結婚

アニメでは、回収同意書が婚姻届、機能を停止させるための指輪が結婚指輪を連想させるという、ものすごく心を揺さぶる演出で、物語上はこの世を去ったアイラちゃんはツカサの妻になったと考えることもできる。ED曲の2コーラス目もこんなことを考えながら聞くとすごく泣ける。

で小説はというと、人とアンドロイドが一線を越えるのは違法だそうで。アニメの世界でも違法と見るのが妥当だろう。同棲してても二人の間には何もなかったと見るべき。誰が何をどう想像しようと自由だし、作中にもその辺はあいまいなままだけど。

映画ではプリスの設定からして小説の法律はガン無視。

人とアンドロイドの違いとは

これはアニメ、小説、映画、どれもがかかえている大きいテーマだろう。

kindle版のあとがきが、アニメ『プラスティック・メモリーズ』を鑑賞する上でも、非常に参考になる、とだけここには書いておく。

まとめ

以上、アニメにどはまりしてる人間による愚考でした。SF小説としての書評は他の方に任せます。