『凪のあすから』第十七話「ビョーキなふたり」
ストーリー
要が目覚めた。ちさきが駆けつけてくれた。笑顔になる要。しかしすぐ紡が送ってきたことに気づく。
要は汐鹿生の様子については何も知らないという。ただ、サラサラという音を聞いたとのこと。
前日海に落ちたとき、美海に胞衣が生じ、水中で息ができるようになった。そのとき、美海も要が言うような音を聞いたという。光、要の目覚め、ハーフの胞衣獲得は海の変化の現れだと教授。
要は木原家でやっかいになることになるが、そこで夫婦同然の紡とちさきを目の当たりにする。
さゆは要が戻ったのはうれしい。しかし自分が変わりすぎてしまい気づいてもらえないことにショックを受ける。
美海は光がまなかのことしか眼中にないことを知りショックを受ける。
光を5年も想い続けてきた美海をビョーキだと断じたさゆ。やや険悪な感じで美海と別かれ、とぼとぼ歩く。その足元にカモメがよりそって…
視聴コメント
- アバンは16話のラストシーンをリピート
- 平然と全裸で歩く要www
- 喫茶トライアングルはいつも大変だな
- 要もちさきが変わっていないとの所見
- 台所でちさきと紡の連係プレー
- ※完全に夫婦です
- それを見せつけられる要(メンタル持つのか?)
- その後も紡に嫉妬メラメラ
- 漫画です。ドラマです
- というかアニメで昼ドラ
- ビョーキなふたりって美海とさゆかよ!
- カモメ
- 妙にヌルヌルした動き
- 女子のことで決して気を抜かない要(見習いましょう)
解説
胞衣がないはずのハーフが胞衣を獲得。
ある面、海神のチート。しかし物語序盤から「そういう話」だと世界観を説明し尽くしているのでさほどの違和感はない。この世界では海で起こることは海神が関与している。橋脚が波でへし折られたのも海神の感情の高まりによるものだろう。
おふねひきのときの神の興奮はただごとではなかった。今まで木のおじょし様しか来なかったのに、人間が来たのだから無理もない。おふねひきの災厄は、海神がうろこ様を残してほぼ消えかかっている、うろこ様以上の能力は持っていないはず、と勘違いしたので起きたようなもの。
うろこ様が人の姿で顕現しているから、その具体的な姿に注意がいって、見えない神の力を過小評価してしまった。「御霊火は海神の心」というのはうろこ様の言葉通りの意味だったと認識を変えたほうがよくなってきた。海神は確実に存在する。
ここで村の海に並んで建つ橋脚について。
橋脚はこの作品内で国とこの村との関係を表している。鷲大師と汐鹿生は高規格道路を通すのに問題ない程度に田舎。また、水中に橋脚を平気で何本も建てるのは、この国の多くの人々(の民意を反映した行政)が海神への畏怖を失っていることも示唆している。
この作品では舞台が鷲大師と汐鹿生と町に限定されているため、橋脚やテレビ番組がそれらの舞台以外の世界を見せる窓として機能している。
後半クールで橋脚が壊れたままなことから、迅速に補修ができないほどに国に余裕がない状況がうかがえる。異常気象への対応で手一杯なのだろう。
橋脚が壊れたことは畏怖を忘れた人々への海神の怒りが感じられる。
現実世界では、橋は海には橋脚をできるだけ置かない。基礎や橋脚の水中施工に金がかかる。鉄が錆びるからその対策や維持管理も大変。しかしこの世界では海の人がいる。ダイバーの人数も能力もコストも現実世界とは桁が違うはず。であればあんな橋梁計画も理解できなくはない。
とはいえ、制作陣が海中橋脚の施工コストと海の人の関係について自覚的に考えていたかは疑問。というのもあの橋は道路線形も橋脚の形状もおかしいから、橋にそんなに詳しい人が関与していたとは思えない。
まず道路計画。そもそも山に土地がある田舎の村で海に道路を通す理由がない。海中工事のコストが作品世界では安いといっても橋そのものは高価な構造物だから、山を切り盛りして道が作れれば普通そっちを選ぶ。現実に紀勢自動車道は山に作られている。
縦断線形は、海で道路の高さがあれなのは分かる。船が通るクリアランスが必要。横浜ベイブリッジやレインボーブリッジを知っていればあの高さは普通に考えつく。問題は山で、山にも橋脚があまり高さを変えず続いているから、道路が完成するとひどい坂道ができる。せっかくの物流路線なのにトラックが走れなくなってしまう。現実の高速道路は高いところは削り、低いところは盛土や橋にして、急な坂道がないようにしている。
橋脚に枝が出ているのは、都市高速道路の高架橋ではよく見る。注意して見ると、枝部分はランプ橋の桁が乗っている。だから首都高などの高架橋でも枝が出ている橋脚は多くない。作品のように全ての橋脚に枝が出ているのは不自然。鷲大師はインターを設けるほどの都市でもない。
ということで、物語上の橋脚の機能は問題ないが、やや専門的に見ると簡単におかしいところが指摘できる。アニメで月の欠け方がおかしかったり橋の構造が変だったりするのはよくあることなので目くじらは立てないが。
なお、道路を計画するとき、山を削るのをできるだけ避けたり、盛土のために森を伐採しないであえて橋を架けたりして自然環境に配慮した事例がけっこうある。道路を自然破壊の象徴のように言われるのはちょっと心外。人と自然の調和こそ土木の理想。必ずしも上手く行っているとは限らないが。この作品では海神への畏怖が足りないことは示されているが、土木そのものに否定的な見解はないので、その点では安心して見られる。橋脚を「橋げた」と言わずちゃんと「橋脚」と言っているのもいい。
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