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この世界の片隅にの感想

ミリタリー界隈で話題になるのは予想していたのだけど、アニメ映画として異例のロングラン(『君の名は。』に続き昨年2本目)となった上に、NHKも番組で特集するなど、大変な話題作となった映画。体調やら他の予定やらで行くことができなかったのだけどようやく見られた。

http://konosekai.jp/

この映画について語りだすと多分本1冊分ぐらいの分量になってしまう。

そこをぐっとこらえて、主人公のすずさんの物語としてどのようなものだったのかを、「居場所」というキーワードでちょっと語ってみたい。

−以降ネタバレあり−

ヒット映画というのは分析したら三幕構成だったというのは、アメリカの脚本家シド・フィールドの経験則。氏がそれを脚本術として著してからは、多くの脚本がそれを意識して書かれるようになっている。

ということで最近は三幕構成のパラダイムに何が配置されているのかを意識して映画やアニメを鑑賞することが多いのだけど、この映画はそういう見方をしばし忘れていた。それだけ作品世界にすっと入っていける映画だった。

しかし、分りやすい映画だったので、後から思い返せば「こういう構成だったのか」と気づくことが少なくない。

特に、すずさんという戦争の時代を生きた一人の女性の、アイデンティティと居場所というキーワードで考えると、よりストーリーの構成がどのようなものだったのかがはっきり見えてくる。

第1幕はすずさんの実家時代。ぼーっとしているけど絵が得意で家の手伝いもする素直でいい娘。一方で日本は戦争の時代へと突き進んでいく。

第2幕はすずさんの嫁入り。好きか嫌いかもよく分からない、という周作と、北條家で夫婦として暮らし始める。時代は太平洋戦争。戦況はソロモン諸島の攻略に失敗し、負け戦に転じていた昭和18年から19年。

「居場所」という視点からは、周作の姉が娘を連れて実家に出戻りして、すずさんが居ずらさを感じる。というか姉からは実家に帰れ(そして帰ってくるな)とはっきり言われる。北條家という居場所を奪われつつあるすずさんはストレスで円形脱毛症の症状が出てしまう。

ミッドポイントで幼馴染の水原哲が、呉に寄港した青葉から上陸、すずを頼って泊まりに来る。周作はすずさんと哲の親しげなやりとりを見てある決断をする。

まさかのNTR展開に見てる観客大ピンチ。

雨降って地固まる、で、結果としてすずさんと周作との距離が急速に縮まり(「その喧嘩ここでせんといかんのかね」(笑))、北條家がすずさんの本当の「居場所」になる。

昭和19年から20年。マリアナ諸島、フィリピン、硫黄島と次々に連合軍に拠点を攻略され、軍港呉は空襲の脅威にさらされる。

激しい空襲によりふたたびすずさんが「居場所」を奪われるのが第2幕の終わり。

米軍の爆撃は通常爆弾による呉軍港(港町含む)の精密爆撃から、焼夷弾による市街地の破壊へと変わる。この戦術の変化をリアルな兵器の描写で描いているのはさすが。あと機雷投下も描かれていた。

爆撃で受けた重い負傷から、ある程度動けるまで回復したすずさん。家に落下した焼夷弾を見て我を忘れて火を消そうとする。服が燃えるのも意に介さず、鬼気迫る勢いで炎に立ちむかい、それを見た姉らも手伝って北條家は消失を免れる。個人的にはここが一番「すごい!」と思ったシーン。「焼夷弾て人力で消せるんだ…」(たぶん家から可燃物を極力排除していたことも大きい)。

すずさんの行動原則が皆が笑って過ごせる「居場所」を守る、というのが終盤でよりよく見えてくるように感じた。

やがて日本上空を敵艦載機が我が物顔で飛び、地上に動くものがあれば容赦なく機銃掃射を行うようになる。

北條家が居場所であると思えなくなってしまったすずさんは、機銃掃射のもと、必死の周作に守られながらも、実家へ戻ることを願うようになる。周作もそれを認めざるを得なくなり、すずさんは広島の実家に戻る準備を進める。

まさに出かけようというとき、空がまばゆく光る…

そこからの激動的な展開と見終わった後の感動は多くを語ることもないかろう。

他にも、いろいろな視点から見ることができる映画だと思う。

この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック

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追記;