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筑波海軍航空隊記念館再訪

筑波海軍航空隊記念館は以前一時的に公開されていて、2016年の2月に行ってきた。

glemaker.hatenablog.com

東北道から北関東自動車道に入って友部ICで降りればすぐ。

当時の建物が保存されている。

号令台もそのままなので今回反対から撮影。

戦前の建物なので耐震補強はどうやってるのかと思ったら、隣に新しい建物を建ててそこを記念館にするというソリューション。

古い建物も見学可能だけど、万一大地震が来てもそこにいる人はごく少数、というリスク対策。そういう保存方法もあったとは。

入り口は筑波海軍航空隊のさくらちゃんがお出迎え。サインは声優の桜川めぐさん。

soranokakera.lekumo.biz

入ってすぐのところでVR体験が可能。

新館一階の展示。目玉は零戦21型の尾部。

ボロボロに壊れているとは言え、「実物」の存在感は圧倒的。普通は分からない水平尾翼の胴体への取り付け方もこの通りよく分かる。

零戦の胴体は尾翼位置まで楕円形断面のモノコックの筒状で、それに左右それぞれの水平尾翼をとりつける。

取り付け方法は前側の桁にある上下2本の穴にピンを刺して固定。おそらく昇降舵の手前の桁も同様にピンで止めるのだろう。メッサーシュミットBf109の主翼の固定方法によく似てる。

零戦の胴体は中島の97戦からアイデアをもらって、主翼の後ろで前後に分解できるようになっている。後部胴体は水平尾翼も外せるので、それで輸送の便を図っている。

垂直尾翼は取り外し不可だけど、構造的には筒状の胴体の上に別体の外版を取り付けて形成。胴体との間はフィレットで整形している。

1階は他に、寄贈された模型を展示。

何かで賞を取ったという見事なジオラマ

と言いつつ一方で艦これとアルペジオの展示も。

それらをオタクコンテンツだからダメだと拒否したら、その分戦争に関わる情報が市民から遠ざかってしまう。間口は広くし、関心を持ってくれた人に正確な情報を伝えようとすることがこういった展示施設のあり方だと思う。

2階は正規の収蔵品の展示。写真は予科練の教材の艦船の模型。驚くべき貴重な展示。

筑波海軍航空隊の展示。建物がほぼ当時のままというのが分かる。

勲章。

現状、災害派遣などで自衛隊がどれほど頑張っても、現職の間に叙勲されることがない、という実際はここに記しておきたい。

外国の侵略に戦うことは憲法がどうあれ自衛権として認められている。法整備をしっかりやらないといけないのは常時の自衛隊の維持のためにこそ重要で、自衛隊が命がけで任務に当たるのは戦争ばかりではないことが明らかとなっている現在、勲章を正式に与えられるような日本にならなければいけないと考えている。

この記念館で最も重要な展示と考えられる、721海軍航空隊、通称「神雷部隊」の展示。

ロケット特攻機、今の言葉で言えば有人巡航ミサイル、「桜花」を運用する部隊。その設立は昭和19年10月1日。最初の特攻作戦とされるフィリピンの神風特別攻撃隊の出撃が10月20日であり、これよりも早い。

国運を賭けた戦争で兵士の命を武器に変える、という発想は普遍的なものかもしれないが、パイロットの必死を前提とする兵器を組織的に運用する部隊が作られたという事実は、日本の重い歴史として記憶されなければならない。

神雷部隊の創設にここ筑波海軍航空隊が深く関わっている。そして、桜花の開発運用に茨城県は主要な場所となっている。

館内の放送で説明されていた事項で印象的だったのが、「軍の命令は天皇の命令であった。特攻作戦は天皇の命令とするわけにはいかない。このため、特攻は志願制とされた」というフレーズ。

事実上命令だったにもかかわらず「志願」にこだわったのはこのような背景があったと。闇の深さに背筋が凍る思いだった。

ただ、特攻が志願制であったというのはかろうじて実質を保っており、指揮官によっては部下の志願を却下したり、上からの特攻隊員を出せという圧力に抵抗したりしている。

「特攻拒否」で知られる部隊としては美濃部正少佐が率いた「芙蓉部隊」が知られる。終戦まで彗星などを運用し、通常攻撃を行った。渡辺洋二:『彗星夜襲隊』に詳しい。

この小さな記念館に、旧軍の作戦についてこのように本質をついた展示があるというのは非常に感慨深い。この記念館を運営する人々の想いが強く伝わってくる。

金井正夫少尉のペンダントはここで常設の展示となっている。

新館の入場券で古い建物の見学もできる。この展示は小笠原の海域で回収された飛行機の部品。

モーリス・ファルマン水上機のフロート。驚くべき収蔵物。

『永遠の0』の病院セットの再現は継続中。

映画の撮影に使われた階段。

建物の入口は戦後改修されているようだけど、木で看板が新たに作られている。

ここを見学してから、改めて『永遠の0』の映画を鑑賞した。

特攻が志願制とはいえ、搭乗員が実質全員志願したので、上層部は誰を特攻隊員とし、誰を外すかを選定することができた。経験を積んだパイロットは直援に配され、経験の浅いパイロットが特攻隊員となった。直掩のパイロットはその経験からそうそうは落とされず、特攻機を途中まで援護できた。しかし、生き延びる可能性があるからといって直掩機が楽な任務であったはずがない。

ベテランゆえに直掩となり、かつて教官だったときの教え子も含め、若い、前途のあるパイロットが優先的に特攻隊に選ばれ、それを毎日のように見送る。しかも、直掩から離れた特攻機は敵の戦闘機や防空艦にほぼ間違いなく落とされる。

宮部久蔵が特攻隊に加わることを強く志願し、出撃に至る深い絶望感が痛いほど伝わってきて、映画館で見たとき以上に感動して泣いた。

原作者の言動をSNSで見てほとほとあきれはてていたが、映画はチームで作るものであり、原作者はその一部でしかない。

『永遠の0』は未来に残すべき、日本が誇る戦争映画の1本だと強く確信した(ダイマ)。