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H2O -FOOTPRINTS IN THE SAND-

花田十輝という作家は、限られたアニメの脚本家の中でも、最も有名な脚本家の一人。2018年の1月期はオリジナルアニメ『宇宙よりも遠い場所』のシリーズ構成・脚本を担当し、高く評価された。その後も『やがて君になる』などの話題作の脚本を書いている。

ちょうどその10年前、2008年の1月期に放送されたのがこのエロゲ原作のアニメ、『H2O -FOOTPRINTS IN THE SAND-』。略して『H2O』

とりあえず録画してみたら冒頭美少女が男子に何発も殴られ、OP曲はちょっといいな、と思ったら、学校で盲目の主人公が委員長のおしりを杖でつっついている。

「なんだこれ??」

となって2話以降見るのをやめた。

その後3月。最終回が放送されるとネットがにぎやかになった。最終回が「超展開」で炎上した。

以後しばらく、「花田十輝」とクレジットされたアニメは何かとアンチがつくようになった。それが目立たなくなったのは2010年の『けいおん!!』で神脚本を連発してから。またたく間に呼び名が「花田先生」に変わった。

自分は周りが叩いているからと尻馬に乗って何かを叩くのは好きではない。悪評が立つならそれがどんなものか、それをこの目で見てから判断したい。

『H2O』は放送の翌年、2009年にネット配信でまとめて見た。その印象は「思ったより悪くない」

で、今週、その10年後にまた一通り見た。その感想は「すごくいい」。

「花田脚本」と呼ぶべき作家性がそこにあり、『超展開』は狙って仕込んだものだと理解した。

以後このアニメについて語る。ネタバレあり。気になる人はネット配信を。例えばこちら。

tv.rakuten.co.jp

ストーリーをかいつまんで説明するとこんな感じ。琢磨とはやみにフォーカスして書いてる。

母親の自殺がきっかけで視力をなくした少年、弘瀬琢磨が、母の実家の村で叔父に預けられる。病気療養のためという。村の中学校に転校し、同じクラスの小日向はやみ、委員長の神楽ひなた、子分を従えた田端ゆいらと知り合う。そして、不思議と目が見えるようになる。

クラスでいじめにあっていたはやみは、村はずれに一人で暮らしている。はやみはそんな仕打ちを受けるような人ではないと、彼女と強引に仲良くしようとする琢磨。はやみはやがて琢磨とうちとけ、ひなたや他のクラスメートとも関係が改善する。

しかし、はやみを孤独に追いやった村の大人たちが琢磨とはやみを追い詰める。小日向家は傲慢さで村人からうとまれており、神楽家や田端家が村人を率いて小日向家を焼いた。琢磨にも、母を自殺に追いやったのは小日向家だと告げる。ひなたも琢磨から距離を置こうとする。

母を失って以来やり場を失っていた気持ちをはやみにぶつける琢磨。母が追い詰められた真相を村の人々から知り、やがて心を閉ざしてしまう。ふたたび目は見えなくなり、心も幼児に退行してしまう。そして、はやみを母親と勘違いして慕うようになる。

弘瀬家は琢磨を東京に戻すことにし、はやみは琢磨の母親代わりに一緒に暮らすことにする。そして二人だけの東京の生活に慣れたころ、はやみは以前、琢磨の母がそうしたのと同じように踏切に誤って入った子供を助けようとし、通り過ぎる電車の向こうに消える。

数年後、意識も視力も取り戻し青年に育った琢磨は、叔父やかつての仲間と村にある丘の上に風車を建てる。すると、成長した姿のはやみが、琢磨の前に現れた。

大人たちの息苦しい関係に閉じ込められた少年・少女が自我を確立し、個々の大人として育つ物語。それを琢磨とはやみの恋愛を軸に描いている。母の死に囚われた琢磨は果てしない時間を費やしながら成長し、ついに、一人の女性としてのはやみと再会する。

短くまとめるとそういう話。

閉塞的な大人たちの世界として、村の描写は徹底している。農地の半分は神楽家、半分は田端家のものであり、その他の家の農民は小作農ということになる。農地解放なき世界。しかも、小日向家を焼いても警察沙汰にもならない。雛見沢村もかくやという。

家を焼かれた小日向家の住人はバラバラに村を離れたが、ひなただけは、吊橋を渡った先にある廃材置き場的なところで一人で住んでいる。廃棄されたロープウェイのゴンドラ2台がはやみの家。村で虐げられることが分かっていても、なぜかそこではやみは暮らしている。

前半は委員長の神楽ひなたとはやみの関係が描かれる。神楽家は弘瀬家がかなりの家柄と知り、娘のひなたを琢磨に近づけさせる。しかし、ひなたは1)昔はやみと親友だった2)実は自分は「ひなた」ではなく、死んだとされた妹の「ほたる」である、というややこしい状況から祖父の思い通りに動かない。まずはほたるが神楽家から自立し、はやみとの友情を取り戻し、「ほたる」の名前も取り戻す。

優秀な兄弟が死に、自分が無理をしてその人の代わりをつとめる。『Angel Beats!』でもこんなキャラいたような。それはともかく、姉になりすますことを強要され、親友の家を焼かれ、常に無理をさせられているほたるが自分を取り戻すところが第一のカタルシス

そして祭りの夜、琢磨は母の思い出の鈴をはやみに渡し、はやみは鈴を身に着け、月明かりの丘で互いに好きだと告白する。こうして、琢磨の周りで望ましい人間関係が確立する。

しかし、10話から事態は不幸な方向に転がりだす。神楽家、ほたるの祖父が琢磨とはやみの前に現れ、琢磨の母が死んだのは小日向家のせいだと告げる。琢磨の母は小日向家に嫁ぐことが決まっていた。しかし、彼女は琢磨の父(弘瀬家)と出会い、駆け落ちした。小日向家は琢磨の母を追い詰め、自殺に追いやったという。

年寄りの言うことなど気にしないという琢磨だったが、叔父からも話を聞き、やがてまた母の死という暗い過去に囚われてゆく。

自分の家が琢磨の母を奪ったと知ったはやみは、自暴自棄になり、台風の中、あえて自分から村人(というかゆいの子分AB)に殴られるような行動に走る(ここが1話アバン)。子分ABは田んぼの様子を見に来た(w)ゆいに止められ、はやみは起き上がり立ち去る。

そして彼女を探しに外に出ていた琢磨に会い、琢磨をわざと怒らせて殴らせる。

ここははやみが自分を消そうとした、という行動に見える。子分AB相手では完遂しなかったが、琢磨を逆上させたことでその思いは遂げることができた、そう思ったのではないかと思う。

しかし、ことが終わってみると消えていたのははやみが知っている中学生の琢磨だった。

はやみが村に残り、村人からいじめられる日々を送っていたのは、実ははやみなりの復讐だった。村人の怒りを受け止めることで、村人に終わりのない罪を続けさせる。ならば、村人もはやみに対しある一線を超えないようふるまっていたことも納得がいく。

しかし、弘瀬家に「ひなた」を嫁がせたい神楽家はついに実力ではやみを排除しようとする。そして、それを阻止し、はやみの命を救ったのは琢磨だった。琢磨は母を救いたい一心で、母だと思ってはやみを救った。

一方、神楽家の殺人計画はほたるが通報して社会の知るところに。

そうして、幼児退行した琢磨の保護者としてはやみは東京に移り、決して望ましい形ではないけれど、琢磨とのつつましい生活が始まる。ようやく村を離れ、自分たちの暮らしをすることができるようになった(ここまで父親および弘瀬家が積極的に関わってきていないことで、琢磨の家の方も神楽家と大差ないことが察せられる)。

やがて時が来たとはやみは悟ったのだろう。琢磨の母が死んだのと同じ踏切に来て、彼女がなぜ死ななければならなかったかを琢磨に説明する。琢磨は全てを受け入れ、やがて自立した一人の大人となり、一人の女性としてのはやみを受け入れた。

と、ストーリーをつらつらと書いてしまった。

実は12話の本当の超展開は、はやみが死んだ(と琢磨には思えてしまった)ところ。そこははやみが死ぬべき流れではない。

ただ、2~11話まで目が見えていたはずの琢磨が実はずっと目が見えてなかったという驚きの展開があったりしたものだから、視聴者的も、「はやみが死んだぞ、この人でなし!」とうっかり騙されてしまった。

初見でも「はやみ死んでなくね?」と思い、某掲示板の懐アニ板でも同様の説を目にし、「だよなー」とか思った。

改めて見ると、やっぱり、「これ、『死んだ』と思ってるの琢磨だけだ」と再確認することになった。

確かにその後の場面の流れははやみが「死んで」るんだけど、誰一人、はやみが「死んだ」と明言していない。

ほたるが喪服らしい黒い着物を着て、はやみが住んでいたゴンドラの焼け跡から日記帳を見つけたりするけど、はやみが死んだからと村で葬式挙げるか? 村八分だから火事と葬式だけは面倒見たのか? でも火事については火をつけてたよね、ということで、あの喪服は祖父の葬式だろうと思い至った。

なので、「精霊会議」は超展開ではなく、琢磨が自立した個として、ようやくはやみを受け入れることができるようになったという知らせであり、そしてやっと、どこかそばに寄り添っていたはやみの存在に気付くことができた。そんなラストシーンなのだと思う。

そもそも精霊の音羽が、琢磨の他者として存在しているように見えない。確かに見た目は死んだ方の神楽ひなただけど、そういう割にほたるにも見えてない。音羽は『がっこうぐらし!』のめぐねぇのように、主人公の心に残る「まともな自分」が姿を変えて現れていたのだと思う。

決して、「精霊会議」は流れがおかしいストーリーを強引につじつま合わせする都合のいいアイテムではない。はやみは琢磨に母の死を受け入れさせ、その後に一人の女性として、自立した琢磨に受け入れられる。その展開は必然だ。ただ、もっともぶっとんだルートが「精霊会議」だっただけに過ぎない。

逆に、一番あり得ない、でもインパクトがあり、振り返るとこれが一番に見えてくる。そういうギリギリの線を狙って作ったのが、あの「超展開」だったのではないかと思う。何しろ、幼児退行した主人公が母の死を受け入れ、自立する、という流れだ。その間に成人になるぐらい時間がかかっても不思議ではない。「精霊会議」はなんと、その長い長い時間の流れも「自然」に説明してしまう。

宇宙よりも遠い場所』ではいくつか、視聴者を信じて投げたと思しき展開がある。5話でめぐみがキマリにしたことを白状し、モヤモヤした気持ちを南極まで持って行かせたこと。衛星中継で友達面してきた陸上部の面々に「これ以上かかわるな」と言って拒絶したことなどなど。どれも『宇宙よりも遠い場所』を名作にしている展開だが、視聴者に受け入れられると信じていればこその思い切った判断でもある。

『H2O』も、もしかしたらそういう視聴者との共犯関係ができあがってきたとき、再評価されるかもしれない。

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