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『殺戮の天使』ネタバレ考察:作品全体について

話を短くまとめる

『殺戮の天使』についてつらつらと書いてきたが、どういう話かを思い切り省略して書くとこういう話と理解した。

生い立ちの不幸から人を信じること、人を愛することを知らなかった二人が、試練を通してそれを知り、罪を赦されて天国に迎え入れられる話。

といっても、盲目的に神を信じろ、という作品ではない。むしろ作中では神が否定されまくる。

人間が思い描く、人間にとって都合のいい「神」を否定して否定して否定しまくった先に、本当の神が見えてくる、という展開。

また、レイチェルとザックがどんなに相思相愛になったとしても、その先は最善でも天国しかない(地獄にはちょっと前までいた)。

二人が現世で負った罪

これは、二人が現世で重い罪を犯しているため。殺人鬼のザックもそうだけど、レイチェルもかなりやばい。ダニー先生がなぜか(レイチェルを収容した)施設で動物が死ぬという話を始めて、やばすぎてゾクゾクした。父親を撃ち殺したのは正当防衛と言えるが、その後両親と拾った犬と数日楽しく過ごした、という話もやばい。

どちらも、生まれた時から殺人鬼と決められて人生を始めたわけではない。たまたまその素養があったにしても、恵まれた家庭に育てば道を踏み外さなくて済んだであろう程度の話。

ザックの不幸ぶりはレイチェルを上回り、母親の愛人に火をつけられて大やけどを負う。その際火をつけた男も道連れにしている(自業自得だ)。母親はザックを治療する気がなく、違法孤児院になにがしかの金を払って預ける。孤児院では同じような境遇の子供を集めているが、世話らしい世話をせず、死んだ子供は最終的にザックに処分させている。ゲームでは描かれていない要素をアニメでは追加してあって、ザックの成長過程で字を覚えることも殺人が悪だということも知る機会がないということを十分に説明している。

違法孤児院の主である夫妻を殺害してから(当てもなく殺し、奪って過ごす後に)目の見えない老人に保護されるが(8話のアニオリ)、その老人も強盗に殺され、後から来たザックが犯人らを殺す。これが「楽しそうな人間を見ると殺したくなる」というザックの性癖を確定させる。知性が育つ余地がなかったので人から騙されることも極度に嫌い、嘘をつく人間も容赦なく殺す。

レイチェルはザックに会いたかったわけでも、彼を救ってやりたかったわけでもない。ザックも、レイチェルは、B6の住人として殺すべき人物の一人でしかなかった。ただ、今まで命乞いをする人間ばかりを見てきて、自分から殺してくれと言う人間に会わなかった。レイチェルを奇妙な人間と思いつつ、殺さず、外に出るために一緒に行動することにする。

こんなささいな出会いが、物語の中の設定では、おそらく神が用意した(確実に言えるのは作者が用意した)、二人が救われるための糸口。

神は願いを叶えてくれるのか

話が進んでいくと、二人の間に信頼関係が徐々にできてくるのが分かる。

ザックは、レイチェルに死なれると外に出られないから、危険な役目を買って出る。致死量の毒薬を注射しても死なないという特異体質もここぞと活かす。薬の効果でレイチェルを殺したい衝動に襲われても、(レイチェルが今私を殺しちゃっていいの? と問いかけて)「今だけ、俺に殺されるな」と自分を抑える(5話)。それこそ「我慢ができれば、俺はこんなことになってねえ」で、誰かを助けようと思ったことも、実際にそうしたことも、彼の人生ではなかったことだろう。

レイチェルも、いつの間にか、自分を殺してくれるから、ではなく、ザックに生きていてほしいから、彼を助けるようになる。

神がザックの誓いを叶えてやるつもりがあったかどうかは分からない。殺してほしいというレイチェルの願いならなおさら。

そもそも、神は個々の人間の願いを叶えるものなのかどうかも分からない。現実世界でも人の願いが叶わないことはいくらでもある。ここから観察される事実は、もし神がいたとしても、それは人の願いを聞いてくれるような都合のいい存在ではないのでは、ということ。人によっては、願いが叶わないなら神はいないのと同じだと思うかもしれない。ザックの「神なんかこの世にいない」という認識もこのたぐいだろう。レイチェルにしても、神が「ザックに自分を殺させる」という願いを叶えると疑いもしない。

この作品はキリスト教的な世界観でできており、神が存在することが前提で作られているが、人が言葉で願うような表面的な願いを聞いてくれる神というものは描いていない。

秘められた本当の願い

ただ、願いが行動のきっかけになることは否定していない。どんな俗っぽい自己中心的な願いであれ、それを思って行動し、成長することで最終的に神の意志に沿うのであればそれで十分ではないか、というような価値観が見て取れる。

B2まで上がってきた過程でレイチェルとザックは互いに信頼できるバディになっている。テレビ放送は12話までなので、放送を見ていたときは教会で話がついて次は地上に上がってハッピーエンドかな、と思わないでもなかったが、話が進むとそうはならなかった。

B1のフロアで最後の最大の試練が待ち構えている。せっかくザックと信頼関係ができてきたのに、B1に上がるとレイチェルは自分の罪が全部ザックにばれてしまう。

ゲームではB1では、レイチェルが自宅を模した建物に様々な罠をしかけてあって、ザックがその罠をかわしつつ謎を解いていく展開。しかし、アニメではそれはほどほどにして、回想シーンを挟んでレイチェル自身の秘められた過去を明らかにしていく。

前のブログで、レイチェルが「神の奴隷」から、自立した人間として神と向き合うようになると書いたが、それが完成するのはB1のフロア。邪魔をするダニー先生を射殺したり、愛情表現としてザックを殺そうとしたりするなど寄り道をしながら、ブチ切れたザックに諭されて、自分自身のことを自分で決めるということを知る。人は誰もが自分の意思で行動するのであって、神の操り人形ではないと理解する。

そしてB1をクリアし、B2の教会から地上に続く長い長い階段を上る。ヤコブの階段がこの世と天界を結ぶように、「地獄」と現世も長い階段でつながっているということなのかもしれない。

「地獄」は神父が気まぐれに作ったものだと暴露され、レイチェルとザックが脱走したことで役目を終えて爆破解体される。階段にまでその火が及ぶが、レイチェルとザックの信頼関係があればどうということはない。二人のイチャコラが続く……。

途中でダニー先生が横やりを入れてラストへの展開になるが、ダニー先生がぶちまけたレイチェルへの愛が全部見返りを求めるもので、最終的に神父にダメ出しされて終了。神の愛は無償の愛であり、見返りを求めるのは本当の愛ではない。というのを分かりやすく描いたエピソード。

誓いは、約束はかなわなくてもいい

レイチェルはダニー先生に撃たれて意識不明になり、その後地上の施設では本心を語らないので、意識を失う直前に吐露したことが、最終的にこの物語で彼女が見つけた本当の願いだということになる。「一瞬でも望まれて生きて、望まれて死にたかった……」(15話)。

その少し前にザックが、「俺に殺されるまで、生きろってことだ」と護身用にナイフを渡す。「望まれて生き」るというレイチェルの願いは、神が手を伸ばすまでもなく、このときに叶っていることになる。誓いや約束は二人の信頼が本質であり、叶うかどうかはどうでもいいということが語られるよりもっと前に。

ザックはそもそもレイチェルをそんなに殺したいわけではなかったので、既にレイチェルが生きること、そのために彼女を救うことが願いになっていて、地上で彼女が救急搬送された時点でだいぶ叶っている(なお、地上が、時間を巻き戻してガードナー家事件のしばらく後の現実世界につながったのか、二人が過ごした後の時間に仮想の地上世界を神が構築したのかははっきり分からない)。

神が何かをするのは結局最後の最後ということになる。裁判にかかって死刑判決を受けたザックは、多分処刑されたのだと思う。そうやって罪を祓ったあとに、その魂がレイチェルの部屋の窓を叩く……。

これ以上は多くを語るまい。とても美しい結末だと見るたびに思う。

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