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ビジネスマンの精神科

ビジネスマンの精神科 (講談社現代新書)

ビジネスマンの精神科 (講談社現代新書)

勤め人の精神疾患リスクを解説する本。

吉野聡:『それってホントに「うつ」?』と似た性格の本で、本書は「うつ」にとどまらずより幅広い症状や病気を扱っている。

リアル会社員としては、<利益を目的とし社員を搾取している>という面を重視しがちで会社組織に対する認識がやや偏っているような気はするが、臨床の現場にいる医師ならそうなるのも仕方ないとも思う。

フロイト精神分析に医療効果はない

精神医療の啓発書としては、諸々の精神疾患の解説もさることながら、フロイト精神分析の医療効果を否定しているところも重要だと思う。

精神科を受診すると、患者が安楽椅子に座らされて医師が精神分析を行う、という認識を持っている人というのは少なくないかもしれない。

実際は、病気の診断や治療のために患者の幼少期のトラウマなど探らないし、無意識の葛藤だとかそういうものもどうこう言わない。例えばうつ病なら現状の症状を聞くのが重要で、治療も休職の診断書を出したり処方箋を書いたりというのが医師の具体的な作業。

121ページ。

 ここでまず認識すべき点は、精神分析による神経症の理論は、過去の遺物であるということである。精神分析は、人間の精神を総合的に捉えようとした壮大な試みであった。しかしながらそれは単なる仮説に過ぎず、フロイトの概念には科学的な証拠はなかった。その後の研究においても、フロイト説の正しさを証明したものは存在していない。

本書ではここまできっぱりフロイトの理論を否定している。

さらに125ページ。

 なによりも、読者に理解して欲しい点は、ヒトの「精神」あるいは「精神疾患」についてのフロイトの理論は、一つとして医学的に証明されたものはないということである。<略>

ここまで言い切る。また、アイゼンク:『精神分析に別れを告げよう』(批評社)、ロルフ・デーゲン:『フロイト先生のウソ』(文春文庫)を紹介している。

それでもなお、フロイト流の精神分析論は今日もかなり普及している。それについてこう書いている(P.122)。

 こうした事実にもかかわらず、「精神分析」が淘汰されないのはどうしてだろうか。これには色々な要因が関連するが、その内容が誤りばかりであるにもかかわらず、精神分析が人の心を総合的に解き明かしたかのように見える点が重要なのかもしれない。あるいはこれは医学における問題ではないが、自分達の「理論」を持たない人文科学の学者たちが、いまだに精神分析のロジックに頼っているためであろう。

さらに125ページ。

 そして何よりも重要な点は、マルクスは二十世紀における社会科学の、フロイトは同じく人文科学の理論的バックボーンになったという点である。

文系の学者が、医学的根拠に頓着することなくフロイトの理論を使いまくったことは、フロイトに対する信憑性が人々の間に醸成されていくことに大きく影響したのだろう。その過程はおそらく、学者の言説そのものが人々に読まれたというより、文芸や娯楽の分野に影響を与え、フィクションの世界で多用されることで、間接的に世間に広まっていったというのがより実情に近いのかもしれない。今でも「リビドー」とか言ってるアニメがあるし。フィクションの世界でフロイトに批判的に言及しているのは『ケメコデラックス!』の「プリップリン体操」ぐらいだろうか。

ホントに水島努監督はこういうネタ好きだなw

694 名前:ワールド名無しサテライト[sage] 投稿日:2010/12/07(火) 02:29:14.80 id:Sr2H1gVb

早苗のあのヤク中ぶりは放送禁止だろwww

http://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-7561.html

双極性障害人格障害

双極性障害の章では、著名人の症例として田宮二郎のエピソードが書かれている。

ここでフと思ったのは、双極性障害の人の中の一部の人については、その言動が人格障害と、素人目には区別がつかないのではないかということ。田宮二郎が映画のポスターの名前の順番で映画会社ともめた話などまさにそれだ。

ぐぐってみると、素人どころか、精神科医にも鑑別は難しいらしい。

http://118.82.92.190/blog/archives/2008/08/_6_8.html

双極性障害人格障害のように見えたり、人格障害双極性障害のように見えたり、両者を併発していたり、実際の症例はまさに多様なようだ。

ここで、自らうつ病を患いながらうつ病について著作を多数出しているあるジャーナリストを思い出す。

その人も数々の言動から、匿名掲示板あたりで「人格障害ではないか」とよく言われている。

しかし、双極性障害かもしれない、と考えるとまたいくつか思い当たることが出てくる。

まず十年以上にわたり治療を受けているのに症状が十分に改善されていないように見えること。双極性障害と正しく診断され、気分安定薬をきちんと飲まないと、双極性障害は悪化していってしまうと言われる。うつ病が休養と服薬とストレスコントロールで徐々に改善しやがて薬がいらなくなる(少なくとも減らしていける)という経過をたどるのと対照的で、病気の性質が異なる。

双極性障害の発症には遺伝的な要素が大きいとされるが、その人の肉親にも双極性障害に罹患した人がいる。

著作に抗うつ薬の服用で躁転したエピソードが書かれている。多額の不要な買い物をして後悔したというくだりは典型的な「躁」の症状に見える。患者会の設立や、それに多額の私費を投じているあたりも、躁期ゆえの大胆な行動と考えることができる。

最近では突然ジャーナリストをやめると言い出して地方に働きに行っている。そして、ひと月程でやめて帰ってきてしまい、また本を書きたいと企画を出版社に持ちかけている。この突飛な行動からも躁状態、あるいは躁鬱混合状態という病気の状態が推測される。

死にたいと人にもらしたり、不確実な方法で自殺未遂を行ったりというのも、双極性障害の人に見られる行動だという。なお、田宮二郎のように本当に自殺に至ることもあるのでこれを軽視はできない。

この人は医師からどう診断されたとか、どういう薬を飲んでいるかとか、そういった詳細は書かないので、正確なところはなんとも言えない。私の素人考えなどどうでもよく、医師により適切な診断と治療がなされることを願うばかり。

新型うつ病

本書でもいわゆる「新型うつ病」に言及している。この「病気」は医師の間でも色々意見が分かれており、著者は「うつ病ではない」とする立場(P.99)。

 結論から言えば、「新型うつ病」は「うつ病」ではない。それだけでなく、「病気」とも言えない場合が多いようである。うつ病は「うつ状態」が持続的に見られる病気であるから、ごく短期間しかうつ状態がみられないものはうつ病とは呼べない。

 ここで分析すること自体あまり意味があるとは思えないが、簡単に述べるならば、「新型うつ病」は未熟なパーソナリティの人に出現した軽症で短期間の「うつ状態」である。本人が精神的な不調を感じているのは確かだが、精神科の治療は必要としないし、投薬も不要である。

前述の吉野聡氏がDSMを満たすので「うつ病の一種である」という立場なのとは違うといえば違う。しかし、本人の「未熟さ」がベースにあるという指摘は一致しており、社会復帰のためには当人の成長をうながすことが必要という認識には多分二人の医師で違いはないはずだ。

著者は「新型うつ病」も含めて、最近増えてきた自称うつ病の人たちを「ジャンクうつ」と呼んでいる。100ページにその「ジャンクうつ」の人から診察室で理不尽な要求をされて困ったというエピソードが出ている。障害年金がもらえるように診断書を書かないと死んでやる! と騒がれたそうで。精神科医というのも大変な職業だと思う。

そういう大変な仕事であれば、製薬会社とつるんで病気を作って儲けてやがる! とか言われたらさぞ頭にくるだろう。そうでなくても、精神医療についていいかげんな、あるいはあからさまに間違った情報を流す行為には憤っているに違いない。

本書の序章では、少なくない文字数が、本やネットによる誤情報の流布に関することに費やされている。