Great Spangled Weblog

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YOKOSUKA軍港めぐりの船に乗った

承前。よこすかYYのりものフェスタで護衛艦を見学していると、軍港めぐりの船に空きがありそうに見えたのでサイトで確認した。

yokosuka-gunko.jp

この日は実際に予約が埋まっていないので、昼食の後チケットカウンターに行ってみた。10分後の13時の船に乗れると分かり、券を購入した。

乗船はすぐそばとはいえ、出航5分前までに乗船しなければいけないので時間がギリギリだった。「海軍の5分前行動」、「乗船遅れは敵前逃亡と見なす」などのワードが頭をよぎり、どうにか5分前に列に並の末尾につけた。

その際目の前のアメリカ軍側にいる艀を撮影。手前が米海軍油水艀IX-549。奥が非自走水真水艀YW-82。非常に古い船なので旧海軍のものかと勘違いしていたが、アメリカ製の台船。ただしIX-549が1953年、YW-82が1943年製造なのでそれぞれ73年前、83年前ときわめて古い。

定刻で出航。写真は海自の潜水艦。建物のQRコードは横須賀地方隊のサイトへのリンク。

軍港めぐりは自衛隊、在日米軍と調整済で船からは自由に撮影できる。写真は米海軍のイージス艦2隻。右がDDG-85「マッキャンベル」、左がDDG-88「プレブル」。

海上自衛隊側の「はしだて」

「ちょうげい」

米海軍側で手前がDDG114「ラルフ・ジョンソン」、奥がLCC-19「ブルー・リッジ」。第7艦隊の旗艦は健在。タイコンデロガ級の巡洋艦がいなくなって駆逐艦ばかりなので「ブルー・リッジ」の大きさが際立つ。

レンズをワイドにして撮影。空母がいるときはこの埠頭に入る。この日は空母がいないので軍港めぐりが空いていたようだ。空母が使う埠頭にいるのはDDG-83「ハワード」。

東京湾に出て民間の施設を案内された。写真は日産自動車の追浜工場。研究施設は残すが工場は閉鎖予定で、跡地をどうするかが話題。元は海軍の土地だから海自に売るか貸すかすればと思わないでもないが、アメリカの会社がUAVの工場にしようという話もあるらしい。

田浦に近い方の海自の基地に接近。写真は掃海母艦MST-463「うらが」。

潜水艦救難艦ASR-404「ちよだ」。

後で写真を整理して気付いたが、オスプレイが遠方を飛んでたのが写ってた。

掃海艦MSO-305「ひらど」。奥に同型艦がもう1隻。機雷に探知されないようにFRP船体とした船で後甲板に掃海具が見える。

海洋観測艦AGS-5107「あかし」。

海洋観測艦AGS-5106「しょうなん」。

こちらにも潜水艦がいる。最新型のたいげい型はあまり目立たないこちらにいるようだ。なお、自衛隊の潜水艦の母港は横須賀と呉の2か所しかないとのこと。

船は新井堀水路へ。これにより半島が切り離されて吾妻島になった。古そうな地下壕の入り口が見える。

軍港めぐりもいよいよ終盤。吉倉桟橋の「あさぎり」、「くらま」、「ゆうぎり」。

帰港。14時からの人が乗船を開始している。手前のオブジェは『終末ツーリング』に出たやつ。

横須賀海軍カレー本舗では『ハイスクール・フリート』の10周年イベントのポスターとスタンプが。もう10年か……。

海自の基地公開と軍港めぐりを堪能したので、あとはヴェルニー公園を眺めながら横須賀駅に帰った。日産追浜工場の展示もあって、すごいかっこいいクルマが展示されていた。たたでさえかっこいいオーラに最近追加されたAUTECHバージョン。

www.autech.co.jp

追浜工場が海自の基地になるのもドローンの生産拠点になるのもどちらも国防への寄与が大きい。ゴーンが残した負の遺産を整理するには工場閉鎖はやむないとしても、やはりできるだけ望ましい形で資産を活かしてもらいたい。

よこすかYYのりものフェスタ2026の横須賀基地一般公開

2026年5月30日、31日開催。

5月31日の日曜日の方に行ってきた。

去年も横須賀に来たけど海自の基地に入るのは2年ぶり。艦隊基地隊、サイバー防衛隊が新しく記されている。奥の建物は原子力規制委員会で原子力空母がいるので事務所が置いてある。

はるばる横須賀まで来た目的はこれ、潜水艦に(物理的に)触れるため。今年は3月に就役した最新の潜水艦SS-517「ちょうげい」が展示されていた。

船全体を覆う弾性材のタイル、なめらかな曲線で船体とスムーズにつながるセイル、流線形の翼断面のフィンなど、久々に間近に見る潜水艦、それも最新の潜水艦のフォルムを堪能した。

思ったほど人が並んでいなくてスムーズに潜水艦の上を歩けた。潜水艦ウォークのイベントを知ってから何年も「行ってみたい!」と思っていたのがついに実現した。写真は後方から、X型のテールフィンが見える。

潜水艦の上を歩いたあとは、護衛艦の見学。左から「ゆうぎり」、「くらま」、「あさぎり」。

31日は「ゆうぎり」が公開されていた。30日に展示していた「むらさめ」は任務で出航したとのこと。

「ゆうぎり」に乗船。写真は後部甲板のシースパローのランチャー。ダミー弾体がちょっと見える。

魚雷発射管。

76mm速射砲。

「ゆうぎり」の艦橋とマスト。このときは「伝説の花魁かな?」程度に思っていたが、後日1996年のRIMPAC演習で米海軍のA-6攻撃機を撃墜した当該艦と分かった。右下にCIWSが見えるが、複数搭載されたCIWSのうち1基がやらかした。

アスロック発射基。護衛艦の主要な任務の一つが潜水艦の脅威排除なのでこれがメインの武器。

海の方を見ると新井掘割水路から軍港めぐりの船が来た。よくよく見ると満員ではないので、「もしかしたら当日券で乗れるかも」と考えた。

事前応募の人々をゴムボートに載せて遊覧。このご時世なので「救命胴衣をしっかり装着している」、「乗船人数が適切」、「船員が船長と総舵手の2人体制」などと適切な運行である要素を数えてしまう。

安針台公園は写真中央の崖の上にある。港を見下ろせる場所は限られているので、海側から見るとどこから見えるのかよく分からない。

陸上自衛隊から16式機動戦闘車の展示。第1偵察戦闘大隊で練馬駐屯地から。戦車は駒門にいたけどMCVに改変されて練馬になったようだ。

隣に軽装甲機動車がいたがどこの隊だったか写真からは分からず。

評価支援隊の96式装輪装甲車。貴重な部隊が来ていて、他の隊員と判別できるよう服の迷彩が違う。

潜水艦のベッドの展示。狭い……。

ちびしま、こいずもの展示。そして手前は新しい海自の広報キャラクター、カイジョウジエイ鯛。

海上自衛隊は定員の充足率が十分ではないので募集に余念がない。今年はついにこんなキャラクターまで作り上げた。

特務艦「はしだて」を見学した。

普段はVIPをもてなす船だが、災害時は病院船になる。

1999年就役。

我々は見るだけで入れない休憩室。

食堂。

消防車と救急車も展示。赤十字は軍隊/自衛隊の救急車だけが表示できる。

館山基地からSH-60Kの救難型を展示。

帰りに見たカイジョウジエイ鯛の募集広告の横断幕。軽く狂気を感じる。しかし「普通」に広報するだけでは人員は集まらない。厳しい時代である。

この後はのりものフェスタで賑わうヴェルニー公園で昼食にした。

武蔵国一宮氷川女體神社

2026年5月4日にお祭りと重なって参拝できなかった氷川女體神社、約2週間後の5月17に行くことにした。

神社に隣接して見沼氷川公園が整備されていて、クルマもここに置ける。

神社との間、大宮台地と低地の間に見沼代用水西縁が流れている。

glemaker.hatenablog.com

さいたま新都心の高沼用水路との分岐のさらに下流がここ。

神社の前は立派な橋がかかっている。

左手には石段と鳥居。

30年以上の久しぶりに氷川女體神社に来た。

拝殿に参拝。

主祭神は稲田姫命、三穂津姫命、大己貴命の3柱。

稲田姫(イナダヒメ)はクシナダヒメと同一の神でスサノオがヤマタノオロチから助けて妻にしたことで知られる。

社務所。女性の神職の方が御朱印を受け付けていた。

巫女人形納処。願掛けがかなったら人形に着物を着させてお礼参りに来てここにお返しする。

女體(女体)とは女神の神像のことを言うとのこと。この神社の最も大きい神事は5月4日の祇園磐船龍神祭で、船の安全を祈願した船霊である女神の神像から女體神社と呼ばれるようになったという説がある。詳しくはゆる民俗学ラジオの動画を参照されたい。

www.youtube.com

神社の境内は全体が巨木の木陰になっている。市街化されたのは最近のことで、今も神社は深い森の中にある。

文化財の看板と龍神社。

藁で作られた龍神様。おそらく5月4日の神事で使われたもの。

昼なお暗い境内。夏の暑さもある程度しのげると思う。

鳥居の向かいの橋を渡ると磐船龍神祭の祭場に向かう道がある。

先端の祭場。江戸時代に見沼を干拓して水田にした際、ここに池を設けて、かつて沼で行っていた祭事を行う場とした。その遺跡でもある。

祭場の周囲は堀が残されている。

前に来たときは公園はまだなかったと思うが、今は立派な公園ができている。

ときどき頭上をジェット旅客機が飛んでいって、羽田空港の南風運用時の都心ルートの下にあると分かった。撮影スポットとしては機体がやや遠い。

「案山子」の童謡の発祥の地とのことでカカシの像がある。

いただいた御朱印。

これで無事、氷川神社、中山神社、氷川女體神社の見沼氷川三社の参拝をコンプできた。

このあたりの古代の歴史について何か分かるかと思ったが、アラハバキ神とは何か、なぜ出雲の神を祀っているのか、「氷川」と呼ばれる由来は、など、様々な謎がむしろ増えていった。

嵐山渓谷

鬼鎮神社に参拝したあと、嵐山町を南下して嵐山渓谷を歩いた。

嵐山渓谷(らんざんけいこく)は嵐山町の南部で槻川が大きく屈曲している場所。U字型に流れる川の間の尾根筋に沿って歩道が整備してある。

谷川橋のすぐ北にある駐車場に車を置いて、

ハイキングコースを南に歩いた。

山に登る道もあるが、川に沿って歩く分にはさほどの起伏もなく、下流の流れがぐっと寄ってくる場所にある展望台に到着。

そこからさらに南に下ると突然開けた場所に出た。

ノアザミがちょうど咲いていた。

その先を下ると川のヘアピンカーブの内側に降りられる。

上流方向。

下流方向。

岩盤が露出している。

渓流の流れに触れるのは久しぶり。

流れは底が見えていてきれいなように見えるが、岩をひっくり返すとナミウズムシ(プラナリア)ばかりいてカワゲラなど昆虫はいなかった。川の石の下に足がある虫がいれば水はきれい、足がない虫がいたら水は汚い、という指標がある。嵐山渓谷は景色こそ山の渓流だが、流れている水は市街地とあまり変わらない。というのも、すぐ上流が小川町の市街地のため。槻川がはいちど開けた場所を通ってから再び山の中の渓流になるという変則的な川になってる。

川から戻るとノアザミの花にクマバチが。

与謝野晶子の歌碑。

駐車場から片道1km程度のコースなので、手軽に山歩きを体験できる。

ここまで来たので小川町に行ってみようとなり、槻川に沿って走れば行けると分かって走ってみたが、川沿いにすれ違いがほぼできない道が300mぐらいあって大変だった。さいわい対向車はすれ違いができる場所で遭遇したのでなんとかなった。

道の駅おがわまちに到着。遅めの昼食にした。野菜や土産ものも売っていて、特産の和紙の展示館もある。

道の駅の南にポピー畑、その向こうは仙元山。山の手前を槻川が流れている。

この日のドライブはここまでにしてあとは帰った。

嵐山町鬼鎮神社

東松山市の箭弓稲荷神社に参拝した後、嵐山町の鬼鎮神社に参拝した。

www.ranzan-kanko.jp

鬼鎮神社は「きぢんじんじゃ」と読む。その名の通り鬼を祀る神社で、全国でも4社しかなく珍しいという。

www.takarakujichance.jp

地図で見つけたときは地元の氏神様のお社で外から観光に来る人は想定していないのでは、と思ったがネットにいくつか記事があり、御朱印もいただけるというので行くことにした。

鬼鎮神社に到着。クルマはこのあと奥の集会場に移動した。

本殿・拝殿・社務所が一体になったお社。緑と赤の鬼の絵が見える。

小さいながら神楽殿もある。

御朱印は書置きを頒布している。ちょうど神職の方がいたのでいただくと、神社の中を見せてくれるとのこと。

天気がいい土曜日のためか我々の他にも参拝に来た方がいて、一緒に見させていただいた。

歴史ある鬼の絵がある。サニーブライアンの絵も奉納されている。

正面の鬼の絵は平成4年に氏子一同が奉納したものと分かった。

絵馬は鬼。

隣には金棒が立てかけてある。持ってみるとかなり重く、常人には武器として使えそうにない。

上でリンクを貼った2022年の記事より金棒が減っているのは金属の盗難対策かもしれない。

御朱印。

日本には数多くの神社がありそれぞれがユニークだけど、この神社はひときわ特徴的だと思った。

箭弓稲荷神社

2026年5月16日、天気がよかったので埼玉県東松山市の箭弓稲荷神社に参拝した。

www.yakyu-inari.jp

出かける場所をネットで調べていて、埼玉県ならそれぞれの市に代表的な神社があるはずだ、と東松山市の地図を見て発見した。箭弓は「やきゅう」と読む。

主祭神は保食神(うけもちのかみ)。和銅5年創建(西暦712年)とされる古い神社で、江戸時代にも参拝客でにぎわっていたという。東松山駅から近く、市の中心部に広い境内がある。

また、「東松山」とは松山市から人が移ってきたとかではなく、愛媛県松山市が先にあったので1954年の市制施行時に東松山氏となったとのこと。

東松山市は賑わっているビバモールもあって、その前の道を通り踏切を渡ると鳥居があり、それをくぐって神社に到着する。

鳥居と拝殿。

手水舎。地下水をかけ流しているようだ。

拝殿に参拝。

立派な彫刻がある。

キツネの像。

「やきゅう」稲荷神社なので、バット型の絵馬がある。

絵馬はホームベース形。似た話では久伊豆神社が「クイズ」にご利益があるとされる。

ヌートバーのマンホール蓋がある。WBCでの日本優勝に大きく貢献したため、だと思う。

ギネスブックに登録されたという巨大御朱印。2016年に創建1300年を記念して作られたとのこと。

宇迦之魂社(穴宮、團十郎稲荷とも)。

芸道向上の神様とのこと。

牡丹園の方に行くと時期は終わっていて、手前の木が花が咲いていていい匂いがしていた。

木の下に夫婦のキツネ、やっくんときゅうちゃん。

牡丹園に天神社がある。

境内の端に富士塚がある。

右に見えるのはガーデンホテル紫雲閣東松山。大きい神社なので結婚式場も隣接している。

御朱印をいただいた。

野球と言えば永吉昴。

さいたま市中山神社

GW中の2026年5月4日、特に出かける用事もなかったので午後にさいたま市の神社に行くことにした。

さいたま市(そのうち旧大宮市と旧浦和市)には武蔵一宮氷川神社、中山神社、氷川女體神社の氷川三社がほぼ1直線に並んでいる。大宮の氷川神社は有名で複数回行ったことがあるが、他の2社は氷川女體神社にかなり昔に行っただけだったので、この機会に行ってみようと思った。

天気はよく道もスムーズに進め、順調に氷川女體神社に到着したが、5月4日は人がたくさん来ていて車を置ける見込みがなかった。それであきらめて中山神社だけ行くことにした。

確認すると5月4日は祇園磐船龍神祭というこの神社の由来に関連する大きいお祭りの日で、何も知らずに一番混んでいる日に来てしまったということ。そんなに遠くないので、氷川女體神社は後日行くことにした。

さいたま市緑区のこのあたりは道路整備が未完成のため、大通りが途切れて住宅地に迷い込み、いろいろ遠回りして第二産業道路に出た。これを北上するとなんと中央分離帯の巨木に遭遇。

山崎の大ケヤキというさいたま市指定の天然記念物とあり、道路はこの木を避けて開発されたと分かった。

そこからわずか数分で中山神社に到着。

かつて中氷川神社と呼ばれ、氷川三社の中心に位置していた。主祭神は大己貴命。大宮の氷川神社が須佐之男命、氷川女體神社が奇稲田媛命であり、古事記ではスサノオがヤマタノオロチを退治して生贄にされていたクシナダヒメを助け妻とし、その子孫がオオクニヌシ(=オオナムチ)となり、この3柱の神は家族関係にある。

もう少し踏み込んで書くと、スサノオ、オオナムチ、クシナダヒメはいずれも出雲の神で、古事記や日本書紀(記紀神話)はこれらの神も含めて各地の神話を取り込み、そこに新しい「神話」を組み込んで体系化して、天皇の権威やヤマト王権の権力を正当化する建国神話を構成している。天皇の権威にもとづく統治は現在まで連続しているので、今でも学校で習う日本史は建国神話から始まる。

記紀神話ではオオクニヌシが、自ら平定した国土を皇祖神に譲渡する国譲りの神話が語られる。そしてオオクニヌシ(=オオモノヌシ)は奈良の三輪山で篤く信仰されている。ヤマト王権の神話体系では日本の統治者になれなかったが、出雲の神オオモノヌシはこのような重要な神であり、今も日本人の信仰を集めている。ここから、ヤマト王権は複数の有力な勢力が連合してできたこと、その中で出雲の勢力が2番目ぐらいに強かったことが伺われる。

そして、東国の埼玉県のあたりは、出雲の勢力が統治していたらしい。このためスサノオ、オオナムチ、クシナダヒメを祀る神社が建てられている。ヤマタノオロチ伝説こそヤマト王権の創作(ペルセウス神話の類型を取り込んでいる)だが、これら3柱の神は出雲風土記にも登場する、中央政府も公認の出雲の神と言える。

拝殿と本殿。手前に貼ってあるのは御朱印のバリエーションで、なんと200種以上あるとのこと。

本殿を建て替えた際、古い本殿はこのように屋根で覆って保存してある。

300m近くある参道。途中を第二産業道路が横断してかなりの交通量があるが、この位置だと静かで荘厳な空気になっている。

最近建て替えられたらしい真新しい荒脛(あらはばき)神社。

真新しい稲荷神社。

参道と並行にもう一つ稲荷神社がある。

御火塚の石碑。毎年12月8日に火除けを願う鎮火祭が行われるとのこと。

御朱印の見本と、その手前に八雲大国天と白蛇弁財天の像。近年倒れた御神木から作られた像とのこと。大国天は出雲の神大己貴命、弁天様と龍神は見沼の水神様。この地を治めた出雲系の豪族の神と地元の神とをそれぞれ彫ったものとのこと。

御朱印をいただいた。200種類以上ありますがどれにしますか? とのことで一瞬迷ったが、社務所に掲示されていた限定御朱印を2ついただくことにした。右は「氷川簸王子神社」で、かつてこの神社がそう呼ばれていたとのこと。「氷川」が抜けてしまった今の社名よりこちらがありがたいのでいただいた。左は「氷川荒脛神社」で、氷川三社の中で社殿が現存しているのはここだけという。

荒脛神社はアラハバキ神を祀っていて、この神は謎が多いが(アラハバキ電脳組とか言っている場合ではない)、関東の土着の神であるらしい。氷川三社では一族の出雲系の神と地元のアラハバキ神を祀っていたということ。

大宮台地は東北本線の東側に見沼の低地がある。かつてはここが沼地で、大地と沼地の境界に氷川三社が位置する(見沼氷川三社ともいう)。この三社は等間隔に直線状に並んでいるが、沼地が湾曲しているので、氷川神社、氷川女體神社は右岸側にあり、中山神社は左岸側にある。台地の上は荒川や利根川の水害もほとんど及ばないであろうから、沼地を水田としてこの地域は作物が豊かにとれる土地だったと思われる。そこを出雲系の人々が治めていた。氷川三社はそんな古代への想像をかき立てられる。

秘められた神々

秘められた神々

  • 作者:古川順弘
  • エムディエヌコーポレーション(MdN)
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