教科書が教えない日露戦争

教科書が教えない日露戦争

教科書が教えない日露戦争

日露戦争百年の機に出版された本の一つ.一見地味だが,読んでみると大変知的刺激に満ちた本.

日露戦争そのものに関する部分は私としてはとやかく言えるものを持ち合わせていないのでとにかくお薦めとしか言いようがない.

P.192から朝鮮戦争について言及している.

「軍隊が戦争を始めると、止まることなく戦線が拡大し戦争が続く」
 と知ったかぶりの素人が戦争を恐れる。<略>
 作戦は戦略的に区切りがある。一つの戦略目的を達成したときに、次の戦略目的を検討することになる。<略>
 作戦の区切りは、我が方の都合だけで区切られるものではない。敵がまだ戦略的・戦術的な区切りにいたっていないと考えていたなら、我が方が区切りをつけようと勝手に決め手も敵が戦いを求めれば区切りがつかない。
 優れた軍人は、我が方の区切りと敵の区切りが合致するときを判断できる軍人である。 このことは、政治家やビジネスマンにとっても同じことが言える。<略>特に政治と戦争の区切りを合致させることができない政治家は指導者の資格がない。

戦争の専門家から見ても,軍事に対する政治の優先,すなわちシビリアンコントロールの原則は正しいことだが,だからといって政治家(文民)は好き勝手に軍事を操れるのではなく,軍事的合理性を無視した戦争指導は誤りだという.政治家に軍事の素養が必要とされる所以だろう.

ここで「政治と戦争の区切り」に失敗した例として,朝鮮戦争が挙げられている(P.193).

 <略>中国人民解放軍義勇軍というウソの名称を使って北朝鮮軍の援軍のために鴨緑江を越えて北朝鮮に進入した。マッカーサーは南部満州における中国人民解放軍の兵站基地を爆撃したいと大統領に許可を求めたが、ソ連の介入を怖れた大統領は許可を与えずマッカーサーを解任した。

これは,朝鮮戦争が無軌道に拡大するのを防いだ,シビリアンコントロールの成功例として挙げられることが多いようだが,松村氏はそうは考えていない(P.193-194).

 少しでも軍事作戦の区切りが見える軍人であれば、鴨緑江を渡って行なう作戦を阻止するためには鳳凰城付近までの後方支援地域を利用できないようにすることが必要であるし、またその地域を利用できないようでは、ソ連も軍事介入できないことは自明の理であった。軍事的には、その地域が区切りだったのである。それを政治的区切りで軍事的区切りを無視したために、中国人民解放軍はゆうゆうと鴨緑江を超えた作戦が可能になり、最終的には今日の南北朝鮮の分断境界が成立してしまったのだ。こんにちの境界は、朝鮮半島の歴史において過去に何度も分断が軍事的に成立した境界である。

日露戦争では遼東半島を押さえて南満州からロシア軍を追い出し,朝鮮半島からロシアの脅威を遠ざけることに成功した.朝鮮戦争では,上記失敗により,一段南側の軍事的区切り(38度線)まで国連軍は後退せざるを得なかった.

マッカーサー更迭により,金日成一派を鴨緑江の向こうに放逐する機会を失い,今に続く北朝鮮問題の種を撒くことになった.

これをもってシビリアンコントロールの成功と言うのは難しいかもしれないと認識を改めた.共産圏にシンパシーを感じてる人からしたら成功なのかもしれないが.

なお,鴨緑江の向こうに聖域を確保できたことがいかに人民解放軍に有利であったかは,制空権が主に国連軍側にあったにもかかわらず彼らが半島の北半分を奪還し得た事実からうかがい知れる.全般に国連軍の方が兵器は優れていたが,軍事的合理性からの逸脱をそれで挽回することはできなかったのだろう.戦略の失敗は戦術で補えないというのを思い出した.

なお,Douglas K. Evans:『F-86セイバー空戦記』(ISBN:4769823827)にも,鴨緑江の向こうのMiG-15の基地に手が出せないことの悔しさがよく描かれている.

核兵器を使うとかソ連との全面対決も辞さないとかいうのは問題だろうけれど,戦争の領域を限定しすぎたという判断はやはりなんとかならなかったものかと思う.

F‐86セイバー空戦記―朝鮮上空の死闘 (光人社NF文庫)

F‐86セイバー空戦記―朝鮮上空の死闘 (光人社NF文庫)