学校で国旗・国歌は強制されているか

いない。

http://pws.prserv.net/spanglemaker/essays/asahi_editorial_kokki.html

国旗・国歌は強制されてるのではなく、アカ教師の反日教育に対する反動が起きてるだけ。

考えてみれば「愛国心教育」なんて当面いらない。アカ教師の行動をネガティブリストで封じればいい。「国旗・国歌・元首を侮辱してはならない」。公務員なら当然のことなんだけど(こんどは矛先がキジやオオムラサキに向かうか)。

だいたいね。

日の丸が侵略の象徴だからどうだというのか。変えるのか? 変えたら歴史はリセットできるのか?

変えたらまずいだろう。国旗が変わっていなければ何かの加減でまた日本軍が来ることになったような時「あ、日本軍がまた来た」と相手も適切に対応できるではないか。逆に、国旗を変えていたら戸惑ってしまうだろう。アジアの人々のことを考えても国旗は変えるべきではないのではないか。日の丸=警戒色理論。

そりゃそうだ。日の丸が警戒されているのではなく日本人が警戒されている。「旗を変えました」「じゃぁ警戒しません」なんてうまい話はない。

もちろん、リベラルな皆さんが言うほどアジアから日本は危険視されているのか、という話もあるのだが。そういう話はまた後程。

愛国心教育は戦争できる国への道。なんてのもある。あれも戦争、これも戦争、というなら何もできなくなるではないか。

それともひとつ。因果関係が逆ではないか。つまり戦争のような困難に直面するとき、力を合わせて困難を乗り越えるために国家が強く意識される。例えば9.11のWTCテロの後アメリカで星条旗がすさまじく流行った。あれは誰か音頭をとって流行らせたのか? 公権力が国旗を強制したのか? そんな話は聞いたことがない。

こう考えると、愛国心は戦争を起こす危険な力ではなく、困難を乗り越えるための団結の力という見方もできる。

「という見方もできる」というか、多分同じものを違う角度から見てるだけかもしれないが。しかしこの角度から見たら単純に否定はできない。

戦争にしても国民が支持した政権が決断し、国民が兵士になって戦うのだから、為政者が愛国心煽って始めました、なんていう簡単なものじゃない。だからといって全てが「自存自衛のやむを得ぬ戦い」というわけでもないけれど。どっちにしろ、いざ始まったら負けるわけにはいかない。としたら結論は明らか。

「戦争できる」で何でも否定したら生きていけない。「戦争できる」のはよしとして、「しなくてすむ」方法を探るのが正しい道だろう。

卒業式のこの季節。驚くほど単純な言説の横溢につい釣られてしまう今日この頃。