一口に9条護憲と言っても実は色々ある。
- 自衛隊は合憲なので9条をわざわざ変える必要はない
- 自衛隊は必要だが軍拡の歯止めとして9条を堅持する
- 自衛隊は違憲なので9条堅持のもと廃止する。アメリカの侵略に荷担するなどもってのほか
- 自衛隊は違憲なので9条堅持のもと廃止する。外国の警戒が解け日本は安全となる
- 自衛隊は違憲なので9条堅持のもと廃止する。日本を侵略しようとする国などない
- 自衛隊は違憲なので9条堅持のもと廃止する。侵略? それがどうした。反戦のためなら命もいらぬ
最後のは何というか、本末転倒。国民の命を守るために安全保障が必要だ、という命題に対して、戦争するぐらいなら死んだ方がましだ。安全保障などいらぬ、という勇ましい答え。
よほどの狂人でなければこんなことは言わないだろう、などと思ってはいけない。天下の朝日新聞社のオピニオン誌に東京大学大学院の教授が書いておられる。
論座2005年6月号。井上達夫:「挑発的!9条論 削除して自己欺瞞を乗り越えよ」のP.21。強調筆者。
<略>武力侵略という暴力に対し自衛戦争という暴力で対抗するのは、侵略者と同じ不正を犯すものだとして、非暴力的手段による抵抗を呼びかける。例えば、侵略者の銃弾に倒れながらも不服従を示すデモ行進、サボタージュ、ゼネストなどを続けることである。「殺されても、殺し返さずに抵抗する」ことを要請する絶対平和主義は、マハトマ・ガンディーやキング牧師の非暴力抵抗の思想にもなる。
まさかこんなすごいことをこの目で読む時が来るとは思わなかった。この本で一番面白かったのはここだ。
これだけ書いて「自衛権を放棄しているわけでは毛頭ない」って、じゃぁこの先生の言う「自衛権」とはいったい何か。「非暴力抵抗の強い道義的アピールによって」「国際世論」に侵略者を非難させるのだという。これが侵略者を日本から退け、よって自衛がかなうという理屈のようだ。
しかし、このような「自衛権」の行使には、いったいどれだけの犠牲が必要となるのか。恐らく太平洋戦争を上まわる死者が出るであろう。先の戦争の災禍を繰り返さないためにこそ現在の平和憲法があるのではなかったのか? ところがこんどは、憲法の理念のために日本人に血を流せというわけである。
正直、こんな妄想に付き合わされるのはごめんだ。井上先生が死ぬのは勝手だが、読者まで巻き込まないでもらいたい。私ならば、自衛のために軍事力を整備し、侵略者に対しては断固戦う道を選ぶ。
ついでに言うと、侵略者に対し戦う姿勢を見せることが、敵対国の侵略の意図をあきらめさせる力となる。つまり抑止力。軍事力があれば戦わずして平和と国民の生命を守ることができる。そしてそれは、敵対国が「侵略」という罪を犯すことをも防止する。こう考えれば、抑止力としての軍事力は人に罪を働かせないための善なる力である。
もちろん世界の常識からいっても、安全保障は国家の重要な役割である。明文化された憲法をもつ以上、そこに記載しないということは考えられない。
なお、井上教授は一応上記引用箇所に対して逃げ道を用意している。強調筆者。
<略>この絶対平和主義の戦略的実効性は過大評価されるべきではないが、覇権が軍事力以上に国際的正当性認知を調達するソフト・パワーに依存することが指摘されている現代世界において、過小評価されるべきでもない。<略>
だそうで、<皆さんに死ねって本気で言ってるわけじゃないですよ>というポーズ。でも、「非暴力抵抗」しながら国際世論に助けてもらえばいいという井上説が「過大評価」される心配はまずいらないと思う。どの国も間違いなく無視するであろう。もちろん日本国政府もまともに取り合うとはまず考えられない。日本人の大多数も、こんなものは鼻で笑って終わりだろう。
非暴力とは糸車である
ちょっと気になったのでガンジーの言葉をぐぐってみた。
搾取に暴力の本質があります。ですから、非暴力を信奉する前に農村的心情を持つべきであり、農村的心情を持つには、糸車を信じなければなりません。
非暴力を準備する、もっと言えばそれを表現する最良の方法は、建設的プログラムを断固として推進することです。
建設的仕事よりも、一般民衆の不服従運動を優先させたのは私の間違いでした。人を幸福にする鍵は労働にあります。我々は農民を奴隷扱いにしてきましたが、富の本当の生産者として、彼らこそまことの主人であります。今日、インドの真の兵士は、裸の貧民に衣服を与えるために糸を紡ぎ、恐るべき食料危機に備えて食物を増産すべく土を耕す人達であります。
私は非暴力を通して人々を変えることによって経済的平等を達成したいと思っております。
井上教授の言う不服従やサボタージュは、ガンジーの考える「非暴力抵抗の思想」とはどうもかなり違うような気がする。
この件、http://bewaad.com/20050524.html#c02の推定無職 (2005-05-24 14:16)氏のコメントが大変興味深い。
2005.05.23.追記
井上教授の記事をおおまかに要約してみた。
- 絶対平和主義は崇高なる理念である
- 改憲派は自己欺瞞に気がつかないバカ
- 護憲派も現実の脅威に臆して絶対平和主義を実践していない
- ならいっそ9条など削除して安全保障政策はときどきの政府に任せればよい
- でも絶対平和主義の崇高なる理念が広く敷衍することを望む
私のツッコミ;
- 国民に犠牲を省みない非暴力抵抗を要求するする絶対平和主義を礼賛するとは、つまり井上氏の理念が日本人の生命に優るという理屈である(上でのツッコミはこれ)。
- 日本人の生命財産をいかに守るか、という視点がない
- 憲法9条の元ネタのパリ不戦条約、国連憲章ともに「絶対平和主義」ではない(自衛戦力の保持は認めている)
- 自説の正当性を観念的な領域での議論に頼っている
- 日本をめぐる世界の現実と安全保障上の課題に言及していない
- 日本および世界の歴史的事実に言及していない
- 軍事について入門書ほどの知識もない
- 国防の実態が時代により変化しても基本方針が変化するはずがない。国民の生命を守り国家の平和と永続を願うことは普遍かつ不変であり、安全保障が国家の重要な役割であることと合わせ、国防の基本方針を憲法に記載することは正しい
- 文章が読みずらい
非武装論者が自衛戦力保持をいやいや認める時、「なら徴兵制にしなさい」と言うのは別に珍しくない。例えば;
東大大学院の教授というには発言にキレがない。例えば以下を読めばドイツを見習い徴兵制、など言えなかろう。
平和と安全のために戦力保持が必要不可欠と本当に思っているのであれば、まず絶対平和主義を否定するはずである。例えば松村劭氏の『平和のための「戦争学」』(ISBN:4569631681)のように。
江畑謙介:『日本の安全保障』(ISBN:4061493752)あたりもお薦めできる。
安全保障について既往の文献が山ほどあるのに、一切言及せずに絶対平和主義こそ「高度の倫理性」と「現実性をもつ」などと礼賛されても、こちらとしては正気を疑うだけのことである。