リベラルとファシズムの距離

靖国問題。ユニークな発言を見つけた。


為政者の信仰する宗教を内”政”問題としてはならないのが政教分離の考え方であるとすれば、首相の意図や目的とは無関係に、一刻も早く首相の個人的な信仰と政治とが結びついているとの印象を払拭する努力を始めるべきである。そのために最も効果的なことはいうまでもなく、現政権中の参拝中止である。

政教分離原則の判断基準に「内政問題となったか否か」を考慮しろと。画期的だ。

騒いだもの勝ちだ。野党が「けしからん!」と恣意的に大騒ぎするだけで司法の判断をねじ曲げることができる。外国を焚き付けて外交問題にまで発展させれば効果倍増間違いなし。

つまり司法の中立性を認めないという立場。


こうして政府の行為として神社に参拝してはならない理由は歴史的経験から説明されうる。司法審査においても、神道は他の宗教と違って、歴史的に政府と癒着しやすいことから、この宗教の歴史的性格上、国家と神道の結びつきを厳密に審査するべきである。<略>

裁判所は神道を弾圧しろという。

国家権力が特定の宗教を冷遇することは明らかに政教分離違反だということは理解しているのだろうか?

国家神道」の反省による憲法20条は、政治と全ての宗教の分離を求めたのであって、神道のみの弾圧を求めたわけではない。

司法の中立性をここまで否定するとは恐れ入った。

リベラル的な観点からは、首相の靖国参拝を否定する手段は以下のようなものが妥当ではないか。


首相に靖国参拝をやめるように求めるのは、信教の自由の侵害ですよ。そうじゃなくて、靖国に参拝するような人は首相にふさわしくない、よろしく国民は靖国信仰者を選挙で落選させるべきである、という論旨でないと、民主国家の新聞とは言えませんが。

リベラルとファシズムの距離が遠いように、リベラルを大切にする人もファシストから遠くありたいものだと思う。