靖国問題(追記)

明治維新により日本は近代国家に生まれ変わったのだが、同時に、日本人は若者の大量死に直面した。江戸の太平の時代、久しく戦死者はなかった。

内戦が治まり、元号が明治となり、すぐに天皇も軍人も政治家も、戦死者を慰霊する必要を切実に感じた。そして、靖国神社の原型となる招魂祭がとり行われ、恒久的な施設である招魂社を九段に建立することが決まった。

招魂祭は何の迷いもなく神道形式で行われた。明治2年の招魂祭は、相撲の奉納や花火の打上げがあり、多くの庶民も集まって賑わった。近代国家の平和は若者の犠牲を礎に築き上げられたものであると、国民もまた理解していた。以上は小堀家威一郎:『靖国神社と日本人』(ISBN:4569601502)を読んでの所感。

逆に言うと、靖国神社を考えるとは、近代国家としての日本のあり方を問うということでもある。日本の平和が尊い犠牲の上にあると実感すれば英霊に感謝の念が沸くであろうし、国家を打倒すべき敵と考えていれば、靖国に祀られる御霊もそうでない戦争犠牲者もともに等しく国家の犠牲者となり、国家の駒となることを賞讃するがごとき戦死者の顕彰など許容できない。

靖国神社を戦争遂行のための国家の装置の一部と見なす認識の素地はこのようなものと私は推定している。

閑話休題

靖国問題 (ちくま新書)

靖国問題 (ちくま新書)

先に政府が検討した無宗教の慰霊施設だが、関心がなかったので詳しく調べなかったのだが、奇しくも本書にそのあらましが出ている。これは要するに、先の大戦までは日本がかかわった戦争の犠牲者すべてを慰霊する。戦後については、国事殉難者を慰霊する、という施設であるという。長々と説明するまでもない。これは戦後の世相に合わせた靖国神社の無宗教版だ。

戦死者を顕彰することそのものが許せない高橋哲哉氏は、この点に激しく食いつく。「第二の靖国」など認められない!

しかし、第二の靖国化の例として挙げるのがよりにもよって北朝鮮工作船とはどういうことか。はからずも、氏が日本より北朝鮮の方に親しみを持っているのがもろ分かり(P.192)*1

 たとえば、北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)の「不審船」とされる艦艇を発見した海上保安庁の巡視船が、その艦艇を追跡し、威嚇射撃を行ったところ反撃されたのでさらに銃撃したところ、「不審船」は沈没してその乗務員は全員死亡した。このような場合、海上保安庁の活動は「日本の平和を守り国の安全を保つための活動」となり、死者が出れば当然、追悼の対象になる。しかし、死亡した「不審船」乗務員は、「日本の平和と独立を害した」行為をした者となり、追悼の対象から排除される。

その通りですが、何か?

靖国神社の役目とは、この引用文にある海上保安庁の犠牲者のような、「日本の平和を守り国の安全を保つための活動」に殉じた御霊を祀ること、顕彰し、慰霊すること。

高橋氏は、靖国神社を否定したいあまり、靖国神社の意義をきわめて分かりやすく解説してしまった。これで北朝鮮工作員を祀らないのは不公平だ、ムキー! といったところで賛同者はいかほどいよう。逆だろう。戦前も大戦中も、靖国神社とはそういう施設で、戦争を煽るようなものではなかった。参拝者は英霊に感謝の意をささげ、その死を悼み、そして、縁のある兵士の武運長久を祈り、国の勝利と安寧を願った。このことがよりいっそう多くの人に理解されるのではないかと思う。

そして本日の写真。これは2003年の夏に船の科学館北朝鮮工作船が展示された時、犠牲者の慰霊のために添えられた白百合。日本財団会長の曽野綾子氏の名前が添えられている。

日本人が敵味方を問わず、戦いの犠牲者を悼むことができる民族であることに違いはない。靖国神社が、日本人のこのような美徳を削ぐことは少しもなかった。「不審船」を引き合いに出すなら、このようなことにまで思い至ることがあれば、本書はより深みが増したであろう。

*1:「近代国家に戦争をできなくする」というご高説はいいが、なぜああいった前近代的な専制国家に肩入れ(例えばhttp://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H14/1401/140120korea.html)するのであろう。