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境界性パーソナリティ障害

境界性パーソナリティ障害 (幻冬舎新書)

境界性パーソナリティ障害 (幻冬舎新書)

同じ著者の『パーソナリティ障害』同様、ネット上のおもしろい人々を理解するのに役立つ。

それだけではなく、境界性パーソナリティ障害は克服できる! という強いメッセージが込められている。単に困った人を分析するだけの本ではない。前向きな対処の方法が実例とともに豊富に書かれている。

実例は実在の人の事例をアレンジしたものや、有名人の逸話などがある。後半はもっぱらヘルマン・ヘッセのことが書かれている。

しかし、239ページ、文章を書いたり人とやりとりしたりすることが改善につながるとあるが、私の知るおもしろい人々は本を何冊も出版していたり、ブログやSNSで沢山文章を書いているのに、誰一人成長が見られない。

そしてたびたび、問題のある本を出版してネットで酷評されたり、ネットの発言でトラブルを起こしたりしている。

メールやチャットでのやりとりも、特定の信頼できる人との間で程よい距離を保って用いられれば、大きな支えとなる。

その「程よい距離を保」つのがあの人たちには非常に難しいようなんですが…。好意的なことを言っているうちは親しくしてくれるがし、少しでも批判すれば過剰に落ち込んだり激しく攻撃してきたりする。

プロの療法士が取り組むのでないと、この方法でパーソナリティ障害を改善させるのは無理だと思う。

と、ネット上のトラブルを鑑賞する参考書として購読してみたわけであるが、読み進めているうちに気がついた。なにか既視感が。

それは十数年前。ひどい目にあった結婚にまつわるトラブルというのが、まさに境界性パーソナリティ障害の人に振り回されていた実体験だったのではないか。

対人関係が両極端で不安定、二分法的認知、矛盾した感情が統合されずに両立する不可解な心理状況。このあたりが符合する。

当時何も分からなかった自分は大いに戸惑い、相手の不誠実さに絶望し、結婚をあきらめるしかなかった。おかげで「婚活」を2回するはめになった(当時その言葉は普及してなかったが)。

最初はそんなおかしい人だとは思わなかった。普通に都内で会社員をしていた。社会に適合できない様子などまったく見られなかった。しかし、縁談がことごとくだめになっていて、30歳を目前にしてついに自分のところに話が来た、というあたりで、人間関係に関する障害が潜伏していると気づいてもよかったのかもしれない。

縁談がまとまらないといっても、すべて彼女の側から断ってきたという。武勇伝をいくつかうちの親を通して聞かされた。向こうの母親が厳しい人ですぐダメだしをするだとか、2回目のデートで初めてのときと同じスーツとネクタイだったからふったとか。

おかげで会うのにやたらびびったが、なぜか自分のことを気に入ってくれたらしく、断るどころか、何度かデートに誘っても快くOKしてくれた。

群馬の同郷で親も同年代というので、古風な田舎の縁談らしくわずか一ヶ月あまりで婚約ということになり、翌年1月に挙式のスケジュールが決まった。逆算して9月に家探し、10月に引っ越して同棲、というぐあいに順調に予定が組みあがっていった。

幸せな夏が過ぎ、やや苦労したが都内のアパートを借りることができ、会社の人に手伝いに来てもらって10月に独身寮から引っ越した。彼女の住むアパートから自転車で10分ぐらい。引越し後さっそく来てくれて、近くの池袋や巣鴨にカーテンやその他生活必需品を一緒に買いに行った。しかし…。

本書の45ページ。

対人関係が両極端で、不安定である

引越してから一週間後、これが現実になった。

46ページ。

 境界性パーソナリティ障害の一つの特徴は、対人関係の変動の激しさである。最初は意気投合して「サイコー」「こんな人に出会えたのは初めて」と理想化するが、期待はずれのことが起きたり、自分の思い通りにならないことがあったりすると、急に裏切られたような気持ちになり、すべてが耐え難いものに思える。些細なことでも、要求が満たされないと、罵詈雑言を浴びせ、相手をこき下ろし、全否定する言い方に豹変することもある。「サイアク」「あんなやつはサイテー」「信じて損した」「今までの時間を返せ」という具合に、すっかり評価が裏返ってしまう。そんなとき、手頃な人に出会うと、そっちの方が本来求めているものに思えて、そちらに走ってしまうこともある。

どれぐらい一瞬で対人関係が変わるか。それははっきり覚えている。

土曜日に二人で秋葉原まで洗濯機を買いに出かけた。ガスコンロなんかも一緒に買ってもよかったが、また二人で出かける楽しみにしておこうと、ひとまず帰ることにした。途中でボーリングをしたりゲーセンに行ったりして遊んだ。ずっと家探しと引越しで「デート」というものをしていなかった。今日ぐらい一緒に遊ぼう。そしてこれからもずっと一緒にいられる。

一通り遊んでから一旦新居に戻り、すぐに夕食に出かけた。15分ぐらい歩いてそば屋があったのでそこに入った。帰りも手をつないで楽しくしゃべりながら歩いた。

(カノジョと手を繋いで歩くのって、いいよな!)

新居が近づいてきて、何かの話の合間に、こう答えた。

「そうだよね、リンコさん…、いや、り、りっちゃん?」

いつも「君」とか「あなた」とかで、名前で呼ぶのに慣れてなくて、しかも愛称で呼ぼうと無理をしたものだからどもってしまった。ごまかして笑っていると、ひややかな答えが返ってきた。

「『小早川さん』でいいわよ」(もちろん仮名です)

「え? ……何怒ってるの?」

「怒ってないわよ」

声も顔も見るからに不機嫌だった。そして、新居に着くなり、自転車に乗って帰っていってしまった。

一晩明ければ機嫌は直るだろう、と思い、数日して電話して、週末の予定を聞いた。すると。

「仕事が忙しくて大変だから、電話してこないでくれる?」

ぜんぜん機嫌が直ってなかった。けっきょく、あの瞬間以来、ずっとこんな調子で、ほとんどずっと嫌われっぱなしで、すぐに年末になってしまった。手を繋いで歩いたのもあれが最後だった。

同棲の話は上の電話の話のすぐ後、向こうの親からなしにさせられた。「式より前に同棲始めちゃうと、花嫁が世帯じみちゃうのよねぇ」と言っていたとのこと。で、「『ウエディングエステ』ていうのがあるっていうけど、やらせてみる?」と訊いてきてるというので、「お金がもったいないのでそんなことはしなくていい」と答えた。<電話するな>と言いながらエステとかどういうことだよもっと大事なことがあるだろう!

12月には、クリスマスにこれ以上嫌われないためにはどうしよう、と思っているところに電話がかかってきた。

「24日は用事があるから。じゃあね」

これだけ。婚約して、新居に越して、今年こそ聖夜は一人じゃない! という淡い希望は一瞬で壊れた。この年はイブが週末だったので、実家に帰って猫と過ごした。

12月30日に式場との打ち合わせがあった。互いの両親と6人で式場の人と最後の詰め。

花嫁自らカラオケを歌う、と、そこだけは乗り気で「愛が生まれた日」をエントリーした。一方、「写真はどうしますか?」という女性担当者には速攻でこう答えてくれた。

「いらなぁい」

場が凍りついた。

披露宴は乗り気で楽しみな一方、新郎との思い出の写真は残したくないそうで。

「結婚式が終わったら家に帰るから」「別々に泊まって、次の日からはもう仕事だし」

わけの分からない発言はその後も続いた。式は土曜日だから次の日は休みだ、というツッコミも入れる気が起きなかった。新婚旅行はそれ以前に、旅行には行きたくないという一方的な意向で(でも友達とは泊まりで箱根とか行っていた)、予定が立っていなかった。

この後彼女の家に呼ばれて、さらに細かい式の話し合いを向こうの両親とすることになったが、昼間あんな発言をされては安心して先の話などできるものではない。彼女の本当の気持ちを知りたくて、こう切り出した。

「二人きりで話がしたいんだけど」

「嫌だ」

目の前が真っ暗になる、とはこういう状況を表すのか、と思った。

結婚式を週末に控えた月曜日、ついに我慢の限界に達した。今までは、何を言われても「強く叱ったら婚約破棄される」とビクビクしてきたが、「こんな人とはとても一緒に暮らせない」「そもそも新婚生活が始まらない」「もはや希望も何もない!」「このまま結婚したら自分が精神的に殺される!!」、そう思いつめて、ついに自分から「結婚式をやめたい」という結論に達した。その前に友達や姉に相談したら、「やめたほうがいい」とおそろしくあっさりとアドバイスされた。傍から見ても状況は異様だったらしい。

あれほど自分のことを嫌っていたのだから、「結婚をやめよう」と言えば、簡単に納得してくれる。そう楽観した。「とにかく帰って来い」という親の話に従い、仕事を休んで実家に帰った。いくつか嫌われている状況を親に話したが、悲しませたくなかったので、「話がしたい」「嫌だ」のくだりとか、ひどすぎるやりとりは話せなかった。「写真」「いらなぁい」発言のインパクトが強烈で、我が家では多くの言葉はいらなかった。

向こうの家に話が伝わったら、強硬に反対された。特に本人がひどかった。「出張で外を泣きながら歩いた」「父親に野垂れ死にしろって言われた」「これではふられたことになる」「顔見せられないから会社をやめなければならない」「首吊りたくなってきた」等々。寒い中、1時間近く、電話の向こうでひたすら反対された。こちらは、受話器を耳に当てながら、辛かった日々を思い出してさめざめと泣いた。それに対するなぐさめの言葉はいっさいなかった。「好きだから」とか「嫌いにならないで」とかいう言葉もついに聞けなかった。また、「俺のことは嫌いなんだろう?」という問いは、答えが怖すぎてとても言えなかった。

翌日、本人が実家に戻ってきたというので呼び出された。彼女の母親と本人を前にして、頭を下げて、「どうか中止にさせてください」と泣きながらお願いして、ようやく婚約を解消できた。

もう戻れない状況になってから、母親が、「あの娘のことは、抱きしめてやったことがなかった」と後悔いっぱいの表情でつぶやいた。彼女は長女で、すぐに弟が生まれ、母親の愛情は長男一人に偏って注がれていた。父親の方は厳格で、何かというと彼女を叱りつけた。ほんの半年前も、公衆電話で叱られたことがあり、彼女が泣かされていた。母親はうちの親に2時間ぐらいの長電話を頻繁にかけてくる、エキセントリックな一面もあった。こういう家庭環境を考えると、いささか同情できなくもない。

しかし、あれだけの絶望の中にあっては、ともに生活する道を選んで、彼女の心の問題を気長に改善させてゆく、という選択肢はやはり無理だったと今も思う。

その後40歳近くになって、「妊娠したらしいよ」という話を人づてに聞いた。無事に家庭を築いていけているといいのだけど。

結婚中止が決まった翌日、もう一日実家にいたら、玄関の呼び鈴が鳴った。出てみると、彼女が父親に連れられて表に立っていた。「うちの娘が悪いんですからね」と父親は頭を下げて詫びたが、本人はニコニコしてこちらを見ていた。自分は何も言えず、憮然としているしかなかった。恐らく、永遠に別れる前に、一度だけ「新郎」の顔を見ておきたいと本人が望んだので、父親が連れて来たのだと思う。それだけの気持ちがあるのなら、なぜあれほどまでに不誠実で冷酷な態度がとれたのか、かえすがえすも残念でならない。一昨日の夜、「今までのことは謝るから許して」と請われたら、それも電話でなく、本人が来てそう言ったなら、結果は変わっていたかもしれない。結局、本人からは謝罪の言葉は一言もなかった。

10月のあの日、突然嫌われた理由は、今だと想像できる。秋葉原だというので、ジーンズにトレーナーという適当な服装で行った。それが彼女には到底許し難い、「ミスボラシイ」格好だったということらしい。夕食の後の帰り道で、そのことに突然気づいてしまったようだ。だからといって相手への気持ちが突然180度変わってしまい、人間関係を徹底的に破壊してしまうとというのは、やはり理解の範疇を超えている。パーソナリティ障害の概念を知ってようやく、「そういうこともある」と分かってきたところだ。

この本により、心の傷に納得のいく説明が与えられて、いくらか癒された気がした。