クール!な憲法の論じ方(その1)

論座2005年6月号購入。これは面白い。

とりあえず最初の長谷部恭男教授の記事「日本の立憲主義よ、どこへ行く?」をレビュー。今日はその第1弾。

この記事のポイントはまず「立憲主義」の独特の定義。「立憲主義とは何か」という章を見てみる。

参照している文献がドン・キホーテハムレット、『存在の耐えられない軽さ』等、軒並み小説。憲法という現実の国家に関する法典を語るのにフィクションばかり挙げるという不思議。

これらの小説をひたすら参照して導かれるのが、価値観は多様であり、かつ多様な価値観は不可侵である、という理論。多様な価値観を守ることが絶対的な正義である、といわんばかり。この長谷部教授の価値観・世界観から以下のような立憲主義の定義が導かれる(P.9-10)。


 異なる価値観・世界観は、宗教が典型的にそうであるように、互いに比較不能である。しかも、各人にとって自分の宗教は、自らの生きる意味、宇宙の存在する意味を教えてくれる、かけがえのないものである。かけがえのないものを信奉する人々が対立すれば、これは深刻な争いとなる。ヨーロッパの宗教戦争がそうであったように、簡単に譲歩するわけにはいかず、対立は血なまぐさいものとなりがちである。こうした比較不能な価値観の対立による紛争は、21世紀初頭の今も、いまだに世界各地で発生している。

 しかし、人間らしい生活を送るためには、各自が大切だと思う価値観・世界観の相違にもかかわらず、それでもお互いの存在を認め合い、社会生活の便宜とコストを公平に分かち合う、そのための枠組みが必要である。立憲主義は、こうした社会生活の枠組みとして、近代のヨーロッパに生まれた。

憲法学者のリーダーとして注目されている」長谷部教授のこの憲法論がいかに独特かは、他の憲法学者の記述と比較するとよく分かる。

八木秀次:『日本国憲法とは何か』(ISBN:4569628397)のP.20、P.21-22。


 <略>本来的意味での「憲法」というのは、「憲法典」というまとまった形であるかどうかは別として、どんな国のどんな時代にも必ず存在します。その国の組織やあり様、仕組み、あるいはその仕組みが出てくるに至る政治的伝統や文化、そういったものをあらわしたもの、これが本来的意味での「憲法」です。そういう意味では、十七条憲法も本来的意味での「憲法」の一つと捉えることができます。


 しかし、憲法にはもう一つの意味があります。近代的意味での「憲法」というものです。<略>
 つまり、近代的意味での「憲法」というのは、社会契約説の”物語”にもとづいて、国家と国民の間で交わされた契約のことであり、そこでは国家というものは国民の権利を守るために必要とされ設立されたのだと理解されています。そういう”物語”に立脚したのが、近代的意味での「憲法」です。

百地章:『憲法の常識 常識の憲法』(ISBN:4166604384)のP.31-32


 コンスティチューションやフェルファッスングは、もともと組織、構造などを意味する言葉であるが、国家の組織・構造や国柄さらには国家の根本法を指すこともある。<略>
 語源からわかるように、コンスティチューションはもともと多義的な言葉であるから、「憲法」にもさまざまな意味があるものとされる。
 たとえば、「国家のあるところ、憲法あり」といわれることがある。ここにいう憲法は「固有の意味の憲法」であって、これは古今東西を問わず、独立国家であれば必ず有する統治の組織と運営のための基本ルールのことである。この固有の意味の憲法は、近代国家が成立し、成文憲法が整備されるようになるまでは、どこの国でも、一般に不文の憲法として存在した。
 これに対して、近代西洋諸国において成立した「立憲主義」を内容とする憲法を「立憲的意味の憲法」(または近代的意味の憲法)と呼ぶ。立憲主義とは、国家の統治が憲法にもとづいて行われることである。そして近代立憲主義とは、国民の権利の保障と国家権力の濫用の禁止、および国民の政治参加を内容とする統治原理を指している。

まず「憲法」が'constitution'や'Verfassung'の訳語であること、それゆえ多様な意味をもつことを長谷部教授は示していない。多様な意味のなかの長谷部案、という位置づけとしてなら小説から導かれる憲法論もよかろうが、どうもそういう意図ではないようである。

国家の統治原理を規定するものが憲法である、という基本的な部分でさえ押さえていない。「国家の統治」という概念そのものがさっぱりない。

要するに長谷部教授の憲法の定義には「国家」がない。「国家論の不在」とは百地章氏の言葉だが(『憲法の常識 常識の憲法』)、よく言ったものだ。

憲法の定義からして共有されていないのだから、「護憲派」と「改憲派」が有意義な議論をするというのは相当に困難だと思う。論戦が熱くなるのも仕方がない。

憲法学者のリーダー」様には、まずはこの状況をなんとかしてほしい。

続きは後日。