昔、革命的だったお父さんたちへ―「団塊世代」の登場と終焉 (平凡社新書)
- 作者: 林信吾,葛岡智恭
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2005/09
- メディア: 新書
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団塊の世代を軸に要領よくまとめた日本の戦後史。特に新左翼〜サヨクの系譜がよく分かる。
しかし著者の人、自衛隊イラク派遣の見解がこんな凡庸なもの(P.215)というのが惜しい。この辺をもっと解脱できていればさらに鋭い団塊の世代批判ができただろう。読み返すと自衛隊員に対し無茶苦茶失礼な発言にもなっている。
かつて、
「ベトナムの子供を殺す行為に加担できない」
と叫んで授業をぶちこわしたお父さんたちよ。
今や自衛隊はイラクまで行っている。若い世代の日本人が、大義なき戦争に駆り出され、砂漠で無意味に殺されるかも知れず、国家の命によってどこかの子供を殺すかも知れないのだ。これを黙って見過ごすのか。
世代批評というのは民族批判みたいにシャドーボクシングになりがちだが、この本はさほどではないように思える。「団塊の世代」が自らを論考する著作に具体的に反論したりしているためだろう。
「団塊世代ほど「論」と遠い存在はない」(P.180)という指摘ももっともだと思う。身近な人間についてあてはまるという実感はないが、朝日新聞の社説が時に「説」とか「論」とはほど遠いものとなっていることを思い出す。もう少し待てば論説員が「団塊の世代」から「オタク第一世代」に移り論調も相当変わるかもしれないが。
さて。サヨクの系譜が分かるとは例えばこれ。
保坂展人:『ちょっと待って!早期教育』(ISBN:4313650717)のP.105。
私が「学校の勉強が楽になるのに勝る利点」を求めて、「教育とはなにか、学びとはなにか」を考えるようになってからすでに二五年になる。中学二年生で、教科書を閉じて現実の世界へと旅に出た私は、いくつものアルバイトや仕事をへて「誰とでも話ができる」ようになり、「どこででも生きていける」適応力をつくってきた。日常不断に五感のレーダーをはたらかせて、「次に何をするか」を自分の頭で考え続けたことは、今となっては大きな財産になったと感じている。行動のすべてを自分で判断して生きることはなかなか快いものだった。
これでは保坂氏の「大きな財産」が何であるかよく分からない。この本を読んでようやく分かった(P.70-71)。
一九七一年になってからの話だが、後に代議士となる保坂展人を中心に、とうとう「全関東中学全共闘連合」が結成される。さすがにバリケード封鎖まではなかったが、ある中学の文化祭にヘルメット姿で突入し、屋上からビラをまいたところ、警察が駆けつけ、文化祭の会場ではない屋上に上がったのは「不法侵入」だとの口実で全員補導されるといった戦績を残した。
「教科書を閉じて現実の世界へと旅に出た」の実態が学生運動ごっこだったとは恐れ入る。
中核派と革マル派の抗争のくだりは慄然とする。双方に少なからず死人が出ている。そこには「反革命を殺すのは正しいことだ、との意識」が存在したという。「相手方を反革命だと決めつけた時から、それは内ゲバではなくなる」(P.86)。
「他者をつくらない」ことを理想とするマルクス主義は「他者に対して何をしてもよい」という思想の裏返しではないか。以前そう愚考したこと(id:spanglemaker:20050910)を思い出した。