とうぶフレンズに会いに行ったのだ!(その3)

いよいよ今日までとなった東武動物公園けものフレンズコラボ。

東門まで歩いたら「これがあの駅にあったやつ」とかいった声が聞こえた。どうも東武動物公園駅にも何かあるらしい。

というので翌日電車で行ってみたのがこれ。

駅から東武動物公園がある西口までの連絡通路にフレンズさんたちの絵が貼ってある。

通路中央はコラボポスターとイラスト。

通路の西口側から。

駅構内にも16人のフレンズが。

どれも東武動物公園にいるフレンズ。コラボ期間中はこのイラストと同じパネルが各所に建てられている(この中ではチーターさんは見逃してしまった…)。

駅のフレンズさんにはサーバルがいなかったのだけど(コラボポスターは別)、実際にはサーバルのパネルも園内にはある。一番の人気フレンズでも飼育していないので展示しないという節度ある態度はとてもいい感じ。

駅構内には宮代町の特産品の展示コーナーが。これは常設。右にヘラジカさん役の國府田マリ子さんの写真とサインがある。

けものフレンズ』はニコニコ動画で事前配信されていた「新春!サマーパーティー」があまりに狂気に満ちていたので見ることを決めた。1話が微妙に思えたけど、サマーパーティーのノリはどこかで出るだろうと信じて見続けた。

そして気がついたら、けものフレンズ現象というべきムーブメントが日本を動かしている。

自分にとっては動物ネタがマニアックぐらいに思っていたのだけど、どうも多くの視聴者はそれ以上のものを受け取っていたようだ。

けものフレンズがなぜ人気が出たのかをかしこまって分析するようなことは自分には無理だけど、そういえば、と思うのは、この作品では「健全な自己愛」を描いていたのではないかということ。

http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1488452395

上のリンク先を読むと、「原作は「動物」」というプロジェクト全体の理念がまず示されている。

その中で、アニメ化にあたり大きい制約になったのが、捕食行動や繁殖などが描けないということ。

梶井:『けもフレ図鑑』も同じです。見ていただければわかるのですが、なるべく「雌雄の違い」とか「生殖や交尾」、「食性」を書かないようにしてるんです。それ以外で動物を紹介しなければいけない、けっこうつらいんです。

http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1488452395

動物を美少女にするというアイデアではこれはしょうがない。その中で動物らしさの表現として活かされたのが各動物の習性の細かいネタ。

それから、これは多分だけど、動物ならではの、ゆるぎない自己肯定感も意識されていたのではと思う。

動物の内面など分かるはずもないのだけど、どの動物を見ても、人間のように自分は価値がないとむやみに自己否定したり、逆に自我が肥大して言動に歯止めが効かなくなったり、ということはないように思える。

それぞれのフレンズが自分の得意なことも苦手なことも含めて自分は自分だと認識し、健全な自己愛を持っているというのが感じられて、アニメは見ていて心地よかった。くよくよするキャラクターがいても、各話で解決されていた。

そして、自己愛を認識すれば、他人にもそれぞれ自分に対する誇りがあると理解できる。その共感が自分と違う他者を認め尊重することにつながってゆく。

アニメは、「フレンズによって得意なこと違うから」などのセリフにそういう感覚が濃縮されていると感じる。

動物は他者を尊重する心はあまり強くないように思うので、ここはフレンズ化して人の知能を手に入れた結果身につけたものだろう。

自立した自己が他者を認め合い、連携して大きい困難に立ち向かう。そんなスケールの大きい作品だったのだなと振り返って思う。

昨今話題の「ダイバーシティ」の概念をよく表している。いくらかの百合要素に目をつぶれば(できるのか?)学校の教材にしてほしいレベル。

一方で、

ここでは詳細は示さないが、小児科医の古庄氏らの調査においては、日本の子供は、他の先進国と比較したとき、際立って自己評価が低いことが示されている。(岩波明:『他人を非難してばかりいる人たち』、幻冬舎新書

といった話があり、健全な自己愛を描くということは潜在的な需要が実はかなりあったのではないかというような気がする。

「すっごーい!」がバズワードになるのにはかなり切羽詰まった理由があったのではないか、という推測。

さらっと書くはずが案外語ってしまった。次は園内のパネルの捜索結果を記事にします。