昔は販売系列が複雑だった話
昭和の日本の自動車メーカーの奇妙な風習に、販売店ごとに違うクルマを売っていたというのがある。メーカーとディーラーはそれぞれ別の会社なので大人の事情がいろいろあるとはいえ、ユーザーは付き合いのあるディーラーから買える車が限られてしまう(絶対に買えないわけではないが)。メーカーはディーラー向けに多様な車種を用意しないといけない、というデメリットがあった。
日産の場合は日産、プリンス、モーター、サニー、チェリーの5つの販売系列があった。それぞれの代表車種は日産店:ブルーバード、プリンス店:スカイライン、モーター店:ローレル、サニー店:サニー、チェリー店:チェリーとなる。それ以外の車種も販売店と密接にリンクしていた。
たとえば、バブル期の終わりごろに現れて大ヒットしたP10プリメーラはプリンス店とチェリー店の商品だった。日産店でプリメーラが欲しいと言ってもやんわりとブルーバードを勧められてしまう。
平成にはブルーステージとレッドステージの2系列に分けられ、一応車種は分けてあったが、どちらの店でも共通で売るクルマもあり、別系統のクルマを買うこともできた(可能性の話ではあるが)。販売系列が完全に統合されたのはリバイバルプランの後の2007年。
3系統のLクラスセダン
日産の話をすると大体の人から「昔はよかった(それに比べて今は)」という話ばかり聞こえてくる。その昔もほとんどは「901運動の成果であるBNR32GT-Rやプリメーラ」となる。それに反論するつもりはない。
このエントリーの話は、直列6気筒エンジンを搭載するLクラスセダンに絞ってみる。5ナンバーギリギリの大きさで2000ccの直列6気筒エンジンを搭載するセダン。これがバブル期のちょっとリッチな人に飛ぶように売れていた。いわゆる「ハイソカー」である。
「ハイソカー」のブームはトヨタが作った。1980年に登場したDOHC24バルブの1G-EUエンジンを搭載した白いマークIIが飛ぶように売れた。トヨタも販売店ごとに車種を用意していて、セダンとハードトップがあるマークII、セダンのクレスタ、ハードトップのチェイサーという3兄弟を売っていた。なお、ハードトップといってもピラードハードトップ。
これを横目に、日産はまず1984年にC32ローレルを出すが、形はマークIIっぽくてもエンジンがSOHCだった。次いで1985年にR31スカイラインを投入。ここでDOHC24バルブのRB20DEエンジンがデビュー。ローレルにもRBエンジンを載せ、これらの白くて四角いハードトップでマークIIに対抗させた。
C32ローレルとR31スカイライン(日産ヘリテージコレクションより)。
正直、ローレルとスカイラインでマークII3兄弟に対抗できたとは言い難かったのだが、日産はさらに第3の矢を放つ。1988年9月に登場したA31セフィーロ。やや高めの車体にプレスドアのスタイリッシュな4ドアセダンで、この1点ではクレスタの対抗馬となる。また、これによりモーター店、プリンス店にしかなかったLサイズセダンを残り3店舗でも売れるようになった。
A31セフィーロは、リアに新開発のマルチリンクサスを採用し、その後にモデルチェンジしたC34ローレル(1988年12月)とR32スカイライン(1989年5月)とプラットフォームを共通とする。R32はフロントもマルチリンクサスペンションに変えた。このサスペンションが日産の901運動の成果で、この時代の技術を結集させたGT-Rはレースで無双することになる。
A31セフィーロ、C34ローレル、R32スカイラインの3種のクルマは、RBエンジンとマルチリンクサスペンションを共通に持つ、日産の本命のLクラスセダン3兄弟だった。
C34ローレルとR33スカイライン
1993年にローレルがC34に、スカイラインがR33にモデルチェンジした。
バブルは崩壊して社会からイケイケの空気が失われつつあった。ローレルもスカイラインも、この時代の空気を映すようなクルマになった。
C34はピラードハードトップになった。低かった屋根を持ち上げて、キャビンの大きさを強調するデザインになった。
R33はプレスドアのセダンになった。さらに、ホイールベースをローレルと同じ2720mmに延長した。リアドアの線がホイールアーチにかからないデザインが特徴的だった。
R33スカイライン(セダンのGT-R、日産ヘリテージコレクションより)
これらが、批評的にも商業的にも残念な結果になった。
スカイラインについては、R32が「セダンにしては狭い」という評価だったので、ホイールベースを延長してキャビンを広くしている。ローレルはピラードハードトップにしてボディ剛性や側面衝突に対する安全性を高めた。また、こちらも狭いクルマだったので、前後の窓ガラスを立てて頭まわりの空間を増やした。
これらのクルマのコンセプトがどういう経緯でそうなったのか、真相は知りようがない。しかし、ユーザーからの苦情を真に受けて取り込むことにより、前の車の魅力を打ち消してしまった、ということは、観察される現象として言うことができる。
C33ローレルについては「チョイ悪」のイメージで人気が出ていたのに、キャビンが広くて同乗者に配慮したら「チョイ悪」ではなくなってしまう。本来はここでC35のようなモデルチェンジをするべきで、なぜか「真面目」を打ち出してしまったC34を出してしまい、数年間を棒に振ってしまう。
スカイラインも同様にR32の良さを潰してしまった。R33はクーペが特に割をくっていて、クーペを横から見ると、どうにも、「思っていた位置より後ろにタイヤがある」という感想になる。せめてクーペだけでもホイールベースを短くできればよかったのだが。デザイナーはギリギリまで頑張ったが、どうにもならないタイミングで「ホイールベースはローレルと共通」が決定されてしまったらしい。こういうダメなコストダウンは誰でも思いつくもので、ゴーンが来る前からやるにはやっていた。
こうしてバブル崩壊後の日産は売れるLクラスセダンがなくなる危機に陥る。
ただ、1994年にモデルチェンジしたA32セフィーロだけは話が違った。A31は売れなかったという事実を率直に受け止め、「マキシマ」と統合してLサイズFFセダンとして売り出した。もともと北米で売れる見込みがあった車種に、セフィーロの名前をつけて日本向けに販売を始めた形。これは3ナンバーのアメリカンサイズのセダンだったのだが、新開発のVQエンジンの評価が高く、意外なヒット作になる。
ワゴンブームとステージアの登場
セフィーロはそこそこ売れたものの、直列6気筒のセダンは厳しい状況が続いた。ローレルもスカイラインも左ハンドルがなく、輸出は一部の地域に限られていた。日本で売れなければ開発コストはとうてい回収できない。
セダンが売れないというのはそれだけではなかった。90年代にはワゴンやRV、ミニバンが勢力を伸ばしつつあった。
日産はこの機会を逃さないために、ローレル・スカイラインのプラットフォームをベースにワゴンを開発した。1996年に発売されたステージアである。
これがなんと当たった。押し出しのあるスタイリングと、スカイラインから受け継いだ走りで人気が出たようだ。スラントしたノーズにギョロっとしたヘッドランプ。側面の目立つキャラクターライン。長い全長に低い全高。商用車が設定されていない。こういった要素から、このワゴンは「チョイ悪」のイメージがある。そう、C34ローレルが離脱しようとした「チョイ悪」だ。
このステージア、「WC34」という記号で分かるように、実態はローレルワゴンと言える。特に後ドアの窓ガラスはC34ローレルのものをそのまま流用している。ということはBピラーもローレルそのもの。後部をワゴンにして、フェンダーやドアパネルやグリルを変更して、Aピラーは傾斜を強めて、これで「真面目」なローレルから「チョイ悪」なステージアを作り上げたことになる。
ローレルがベースなので当然、スカイラインの4WDシステムを搭載できる。GT-Rの駆動系をそのまま載せた260RSというバージョンまで作られた。そうでなくても、4WDはフロントがスカイラインと同じマルチリンクサスペンションだった(これはA31セフィーロとC34ローレルも同様)。
ここで小ネタだが、窓ガラスを共通にするのは、兄弟車で共通部分を多くしてコストダウンにつながる。バブル期でいえばFPY31シーマはY31セドリックのハードトップと窓ガラスが共通。つまり内側はそのままセドリックで、ほぼ外板だけであそこまでデザインを変えている。B14サニーとN15パルサーのセダンも前後のガラスは共通であろう。P11プリメーラとU14ブルーバードも前後のガラスは同じにしか見えない。
RBエンジンの直列6気筒のセダンはC34/R33の時代に危うく滅びかけたが、ステージアの登場である程度の台数を確保できた。もしステージアがなかったら、1990年代末の時代を日産は生き残ることができなかったかもしれない。
そして今
今の日産と1990年代の日産の違いは、人気車種のモデルチェンジで簡単には失敗しなくなったことだ。特にセレナは連続してヒットを続けている。もしセレナがなかったら日産という会社は今はなかったかもしれない。ステージア以上に確信をもってそう言える。
しかし、気が付けばノートとセレナしか売れているクルマがない。
E13ノートも、日産が全力で取り組んで作ったクルマで、一番安いグレードが220万円という高価格なクルマであるにもかかわらず、今も十分に売れている。
しかし、E12のNAの1200ccを買っていた層、キューブを買っていた層、ラティオやシルフィを買っていた層は、皆が皆E13を選ぶだろうか。
せっかくCMFプラットフォームを導入しているのに、日本で販売している車種が驚くほど少ないというのが今の日産だ。海外で販売しているクルマを眺めても、「これをこのまま日本に持ってくれば」というものが減ってしまっている。ルノーが製造していたマイクラはもうないし、セントラも全幅が1820mmもある。FRのセダンは海外向けもQ50(V37スカイライン)しかない。
昔は販売店の関係で無駄に車種が多かったが、その多様性のおかげで思わぬヒットが出たのもまた事実。
今の車種が減り過ぎた状況は危ういと思う。なんとかしてほしい。