アイデアはいかに生まれるか

技術者のための発想法。著者はアンテナの技術者。

発想法の基本として、利根川進氏の言葉とヤングの五段階、そしてウォレスの『創造性の研究』を紹介している。

利根川氏の言葉(P.7)。

  • 常識を疑うこと
  • 人と異なったことをするのに違和感をもたないこと

ヤングの五段階とウォレスの発想法は(P.42);

第一段階 資料集め ─────┐
第二段階 集めた資料の加工 ─┴─ 準備
第三段階 孵化段階 ─────── 孵化
第四段階 アイデアの誕生 ──── 啓示
第五段階 アイデアの具体化 ─── 検証

「常識を疑うこと」に関して、世の中には間違った常識があるとしている。その例として血液型性格判断が紹介されていた。参考文献には松田薫:『血液型と性格の社会史』が挙げられている。著者による血液型性格判断に対する批判はこのようなもの(P.94)。

 血液型の話は人間関係をスムーズにする遊びだから、目くじらを立てることはないという考えもある。しかし、私は研究や教育の根底をむしばむ麻薬のようなものと思っている。

 それは白人優性の研究と同じようにあらかじめ思いこみがあって、それに一致するものを選び出そうとするからだ。その思い込みが血液型という先天的なものであることがよくない。まちがった常識を与えるばかりでなく、「努力すればなんとかなる」という、人間がもっているすばらしい特性を抑える勢力に加担するからである。

読んでいてこれはおもしろいと思ったところとして、ここがある(P.121)。

 ある企業の技術開発に責任をもつ友人の役員が彼の部下に対する訓辞で、「自分が成長するために会社を利用せよ。それが結果として会社のためになる」といったという。これはまさに名言といえる。人はだれでも自分の利益になると思うと、いくらでもがんばれるからだ。

この本の中で、社会の進歩とそれに伴う現象というのがいくつか挙げられている。社会が進歩すれば科学技術は進歩していく。これは右上がりの傾向をもつ。一方、社会が進歩すると貧富の差はなくなってゆくという。そして、社会が進歩すると刑罰も軽くなる傾向があると推定している。

その是非はともかく、「社会の進歩」という考え方が気になった。同じ考え方として共産主義がある。資本主義社会はやがて破綻し、進歩的な体制である科学的社会主義こと共産主義の時代がやがて訪れる。というドグマ。

著者は1960年代に大学生で、その頃は共産主義にいくらか傾倒していたという(P.135)。

 当時の日本では原水爆の禁止運動が盛んであり、核実験に抗議するために、大学でもときどきストライキをやっていた。「ヨーロッパに幽霊が出る──共産主義という幽霊である」という、マルクスエンゲルス共産党宣言を私も熟読し、感銘を受けていた世代である。

この時代の学生はこういったことが珍しくなかったようだ。ともかく、このような背景から「社会の進歩」という考え方が出てくるのだろうかと思う。

一方、チャーチルの言葉。

20歳までに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。20歳を過ぎて左翼に傾倒している者は知能が足りない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%AB

ではなくて正確にはこうだとか。

"If you are not a liberal at 20, you have no heart. If you are not a conservative at 40, you have no brain." That's what former British Prime Minister Winston Churchill once said, anyway. He was right.

20才までに自由主義者でなければ、情熱が足りない。
40才までに保守主義者出なければ、知能が足りない。

http://okwave.jp/qa798668.html

著者はアンテナの技術者なので、当然防衛用のアンテナの開発にも携わっている。著者がいかにして共産主義から離れていったかはこのように書かれている(P.180-181)。

 それまで『共産党宣言』などを読み、資本主義の進化したのが社会主義であり、さらに科学技術の進歩は社会の進化のしるしと素朴に思っていた。そのため、いわゆる進歩的な人が科学技術の進歩を善としない、反科学主義的であるのはどうしても納得しがたいことだった。

 その後、アメリカに留学したとき、近所のあまり裕福でないおじさんたちのパーティーによばれた。そのときに彼らが、民主党共和党に分かれて議論をはじめたのである。

 あまり議論がつづくので、両党はどういう特徴をもつのかと私が質問をすると、「民主党になると失業は減るが戦争になりやすい。共和党になると失業は増えるが戦争は起こらない」と、資本主義の矛盾をつくような明快な意見が返ってきた。庶民の政治意識は相当なレベルにあり、さすがアメリカと思われた。

 そこで私が「失業がなく、かつ戦争をなくそうとして生まれたのが共産主義だ」というと、皆からたいへん叱られたのである。

ソ連全体主義である。ブレジネフは王様だ」といって、そこにあったトランプのキングの札を私の前にたたきつけたのである。そのときはアメリカの反共教育も相当なものと感じたが、いまから思えばそのおじさんに謝らなければならない。

 これらのことがあって、技術の進歩と社会主義に注意するようになり、第二次世界対戦後の分裂国家に注目した。その結果、いまから一〇年以上も前から、社会主義の国のほうが技術の進歩は遅れ、経済成長率も小さいことを知った。

 ある国の技術が進歩する、あるいは経済が成長するというのは、その国の社会のしくみが変化していることを意味する。これは進化論的にみると、社会の進化が進行していることに対応する。これまで信奉していた社会主義が、どこかおかしいのではないかと疑いだした。確信したことが覆されるのはいわば人生観の変わる経験である。

「いまから一〇年以上も前」の「いま」がいつなのか不明ではある。この本が出たのが1992年で、それに対して10年以上前なのか、アメリカ留学の時点から10年以上前なのか。1950年代の情報から共産主義社会の停滞を読み取ったのならすごいことだと思う。一方、1980年代なら東ドイツ北朝鮮の発展が進歩的な人が言うほどでないことはかなり分かっていた。

学生時代に共産主義はおかしい、と漠とした思いが芽生え、それが1980年代に分裂国家の情報を目にしてついに転向ということになったのだろうか。

この本ではそうだとは書いていないが、この思想的な転換もまた、「常識を疑うこと」のひとつの例ではないかと思う。

進化論の社会へのあてはめがあまり精確ではないような気がするが、どこがおかしいか指摘できるほどではないのでそれは置こう。