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迎撃戦闘機「雷電」

碇義郎氏による「雷電」のドキュメント。

この本では、三菱の技術者がたびたび客先の海軍の軍人から殴られていたことが分かる。軍隊内部で鉄拳が飛び交う話はよく聞いていたが、兵器のメーカーの人間にまで手を上げていたのかとこれにはあきれた。例えばP.85-86。

「空術廠に行くと、われわれ民間人は商人入口というところから入る。会議室でも海軍の人たちがいろいろ議論しているのを、室の隅で小さくなって聞いている。そのうち『三菱はどう思うか』と質問される。技術的にずいぶん無理なことが多く、それに対して堀越はていねいに反論した。納得いかないことには頑としていうことを聞かないので、カッカとした若い中尉から大尉の士官から『堀越、ちょっと廊下に出ろ』といってなぐられたこともあった。堀越だけでなく、ほかにもだいぶやられたのがいる」
 堀越と大学同期の、当時試作工場長だった由比直一技師の回想だが、とくに戦地帰りの血気さかんな若い兵科士官には、それがあったようだ。

名もない軍人さんだけでなく、ときにはこんな有名な方も(P.155-156)。

 J2の実験の一方では、零戦の改良実験も小福田の担当だったので、あるとき鈴鹿に来ていた三菱の曽根技師らと前線部隊からの戦訓にもとづく零戦の改良要求について打ち合わせをした。
 いずれも緊急を要するとあって、対策と同時にその実施時期が問題となったが、軍側の要求する日時に無理があったので、「そんなに早くはできない」といったところ、小福田が怒り出し、「貴様らは国賊だ」といって、いきなり曽根と、脚担当の森武芳、動力担当の田中正太郎技師の三人をなぐった。
 おさまらないのは田中だった。
「一列に並ばされてなぐられた。しかし、課長付の曽根さんは一応責任者として来てはいたものの、ほとんどA7(のちの「烈風」)にかかり切りであり、なぐられる理由はない。そう思ったから、あとで小福田さんの部屋に行き、『悪いのは自分で、曽根さんまでなぐったのは納得できない』と抗議をしたら、『すまん』といって素直に謝ってくれた」
 小福田にしても、日程的な無理は当然わかっていた。しかし、数ヵ月前までは前線で身をもって苦しい戦いをしてきた身にしてみれば、部隊からの要求はできるだけかなえてやりたい。
 そんな板ばさみによる焦燥感からの衝動的な行動を、冷静になってすぐ反省したに違いない。小福田もまた、つらい立場に立たされていたのである。

小福田租少佐(当時、後に晧文と改名)、「雷電」や「烈風」の開発に当たった海軍側の審査担当官。自ら操縦桿を握るテストパイロットでもある。戦後『指揮官空戦記』(ISBN:4769820445)などの本も出している。

戦時中で殺気立っていたためとはいえ、ちょっと自慢できない日本軍の一面。