- 作者: 金沢秀利
- 出版社/メーカー: 光人社
- 発売日: 2009/06/25
- メディア: 文庫
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97艦攻の電信員として太平洋戦争を戦って生き延びた人の戦記。
内容は空母から出撃していた時期に限定してあって真珠湾攻撃から南太平洋海戦まで。
犠牲が多かった艦攻の実戦の記録は迫力があって読み応えがある。
著者が生き延びることができたのは、一つには運があるのだろうけれど、酒やタバコをやらず真面目な性分だということと、戦いに積極的にのぞむ前向きな姿勢によるものもあるのだろうと思う。
艦攻の電信員は最後尾に座り、後部旋回機銃の銃手もつとめる。見張りの重要さを意識して敵戦闘機をいちはやく見つけるとともに、効果的な射撃の手法を編み出して、セイロン島攻撃でハリケーンを撃墜している。教育部隊で教えられた撃ち方をやめ、敵機の前方に弾丸を散布するような撃ち方をしたとある。
なお、渡辺洋二:『必中への急降下』の154ページ以降と、以下によると、著者が撃墜したのはハリケーンではなく、フルマーの可能性が高い。
日本海軍が行った1942年のセイロン攻撃においても、フルマーが防空に当たったが、日本軍機に歯が立たず壊滅的な被害を受けた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC_%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%BC
ハリケーンに比べて弱く、零戦にはまるで歯が立たなかったフルマーだが、艦爆や艦攻にとっては相当の脅威だったことは間違いない。運動性はいまいちだったとしても相手もまた鈍いし、7.7mm機関銃8丁の火力はかなり強い。そして、99艦爆も97艦攻も防弾装備はない。
『必中への〜』によると「瑞鶴」艦爆隊からは5機の犠牲を出している。著者は僚機が撃墜されるのを目撃しているし、自身の乗機も命中弾を受けている。敵機を1機屠ったとはいえ、戦闘機の護衛がつかない艦爆や艦攻はかなり厳しい戦闘を強いられたことがわかる。