『宇宙よりも遠い場所』STAGE13「きっとまた旅に出る」
ストーリー
昭和基地に無事戻り、ふたたび南極での「日常」。しかし、ここにいられるのはあと3日。
キマリ達はアイスオペレーションを手伝う。採取した氷だけは、南極から無制限に持ち帰り可能。「これが始まると夏も終わり」とかなえ副隊長。大人組はこれから長い越冬が始まる。
氷をかき氷にして食べながら、オーロラをまだ見ていないことに気づくキマリ。そこで不意に、この南極の日々ももうすぐ終わることに気づいてしまう。
キマリは、ここで帰らず一緒に冬を越すことが不可能ではないかと思い、そう口にする。しかし、女子高生隊の同意は得られなかった。結月のドラマなど、皆がそれぞれ、日本での日常がある。それではと、また4人で南極に来ることを約束する。
最後に何をするか、ということで、かき氷のシロップで氷に線を引き、皆でソフトボール大会。貴子への思いを込めてホームランを打つ藤堂吟隊長。
夏隊の帰還式。報瀬は長い髪をバッサリ切ってすがすがしい笑顔を見せる。隊長の挨拶は報瀬たちに「ありがとう」。そして、「またここで会いましょう」。
女子高生と夏隊を代表して報瀬が登壇。「母」は南極に行って家を空けてばかり。いい印象はなかった。しかし、実際に来てみてここが大好きになった。また来たい。喝采。
4人は昭和基地に残る隊員から託された物や言葉を受け取り、ヘリコプターで南極を後にする。その直前の4人に、かなえ副隊長が今回の民間観測隊は女子高生隊の参加で本当に確定したことをばらす。報瀬は形見のノートPCを吟に託す。「私はもう、なくても平気ですから」「分かった」。飛び立つEH101。
南極を後にするペンギン饅頭号。旅はまだまだ終わりじゃないと結月。つらくてゲロっても別にいい。「それも旅だ」。
夜に甲板で最後のビデオ撮影。キマリがふと上を見ると…
視聴コメント
- 朝。日常に戻ってるけどあと3日…
- OPなし
- 松実玄ふたたびw
- 「島内散歩と胎内くぐり」はこちら(https://www.nipr.ac.jp/jare-backnumber/now/back49/20080224.html)
- アイスオペレーション
- スノーモービルで爆走
- 極夜の話。昭和基地だと6月はどっぷり夜
- 夕焼けを見つめる4人
- 野球回(いやソフトボール)
- バックに4人が歌う歌
- 長い髪をバッサリやる報瀬
- 本当に一区切りついたんだな
- ビール凍りそうw
- 旗の似顔絵上手いなw
- 髪切った報瀬、いい笑顔
- 結月ファンの紳士がマジ泣きしそうw
- 呼び方が「お母さん」から「母」か
- アスミスは愛が重いw
- ペンギンがガン飛ばしてるw
- 紳士のCDに結月サイン
- 「ドラマ、楽しみにしてます」
- フラテルニテ
- 腕がクローバーのポーズはオーロラ見てたのか
- 隊長がPCから母の送りかけのメールを送ってくるとか
- まさに本物のオーラの下でそのメールを読む奇跡
- 「知ってる」
- オーロラのCGはすごい手間かかってたらしい
- めぐっちゃんがこの頃北極側のオーロラを見ているはず
- オーロラは両極に出るからね
- ところが、スタッフはそれは気がつかなかったと
- 最善を尽くすことが運を引き寄せたのだろう
- EDのBパートはもう日本の駅
- 空港で別れよう、と言うキマリ
- もう別れても「友達」は揺るがない
- 友情の深さと距離感をとることの大切さを両方伝えるすごさ
- 100万円はそういうオチかよ
- 100万円は使えば誰かの100万円の仕事になるけど、そこに置いたら使われるの何年先だよw
- タンス預金ならぬ南極預金という斬新な発想
- 「自分の家に臭いがあること」
- それな
- 日向ちゃんは夕方の守鶴堂でお祈り
- 新千歳空港で女子学生のファンに遭遇する結月
- 北極勢のオーロラWピース草生える
- EDは最後までちゃんとやった
- 「そして君に告げるその日まで どうか幸あれ♪」
解説
持ち帰る氷を採掘するアイスオペレーション。本当に大量の氷を持ち帰る。というのは南極関係の展示にはほぼ毎回氷の展示があるから。
2004年の海上自衛隊横須賀基地の公開では、南極の氷をカップに入れて配っていた。
本当にプチプチと泡が出る。
報瀬は仏壇に南極の氷のオンザロックを供える。ある程度はお土産にしてもいいぐらい採掘するのだろう。
報瀬の家のモデルの一つは、大田区の昭和の暮らし博物館というのを実際に行って確認してきた。
門のあたりと後ろの白い壁の家は9話に一瞬出る絵によく似てる。中は原則撮影不可なので写真はないけど、仏壇も同様のサイズ。
スノーモービルは2009年のしらせ5003の展示で撮影。
お土産といえばアスミスの手編みのセーター、愛が重すぎるw
不肖・宮嶋氏の南極本に、越冬隊は既婚者は愛情が深まるが未婚の場合別れる確率が高くなるとか書いてあって、それ知ってると非常に不穏w
そしてオーロラの下を行くペンギン饅頭号から一気に日本国内へ。
キマリが空港で4人バラバラに別れようと提案したのは、一人だけさらに札幌行きの便に乗る結月が気を使ってしまうので、公平にしようという考えでは、というのをネットで見た。本当にそういうことなのかもしれない。
友達はお互いを拘束するものではなく、自由を最大限に尊重しながら、必要な時に力を合わせるのがいい。空港からの帰り道はバラバラでかまわない。
そしてそれぞれが帰宅。
ここで100万円のオチについてちょっと考えてみた。
1話にあったように、これは報瀬が南極に行きたいという一心で、バイトを頑張って貯めたお金。つまり、南極に行く、ということに対する対価として用意したもの。
で、最初の買収作戦は失敗するがw シンガポールでバーンとやって、4人の絆を固いものにした。現金で、お金で買えないものを手に入れるとか、素晴らしい展開。しかも、100万円は帰ってきて実質無料w
逆に言うと、100万円の札束はシンガポールの一件で「何かを手に入れる」という経済的な役割は終わってることになる。
で、次に札束が出るのは12話。ここでは報瀬が、自分がここに来るために何をしてきたのかをふり返るきっかけになる。
ここでは、一万円札がまるでお札のよう(漢字が同じだって今気がついた)。札束は呪術的な、あるいは精神的な役割をここでは担っている。
母の死を胸に刻んだその場所に、「おたから」としてお金を置いてくる。これは見方を変えれば「浄財」。この旅の間にため込んだ穢れを札束に乗せて置いてきたと。いわばプリミティブなお賽銭。
まとめれば、札束は欲しいものの対価として手に入れ、実際に金銭として使い、続いて決心のよりどころとなる札になり、最後は亡き母か、あるいは南極の大地そのものか、そういった超越的な何かに捧げたお賽銭となる(隊員の誰かが見つけて「金」として使うだろうことは想定済だろう。お賽銭やお供え物もいつかは誰かのものになるのと同じ)。
100万円視点から見ると札束を出涸らしになるまで徹底的に使い尽くした、すごいストーリーだった。
ちょっと調べてみると、貨幣というのは元から呪術的な存在であり、その価値はバーチャルなものだった。
人はそもそも贈り物をしたい生き物で、子供が親にお菓子やものを分け与えたりするのはよく見かける。しかし、受け取った人はそこに負い目を感じてしまう。だから「ありがとう」という感謝の言葉で相殺するし、それで足りなければ、お返しをしたくなる。
そのお返しとして、物質としての価値は贈り物ほどではないが、バーチャルな価値は釣り合うものとして、貝殻などが使われ、やがて貨幣が発明された。
貨幣の呪術的な意味合いはお金を「払う」という単語に残っている。何かを受け取った時の心の負い目を、それが心にたまって穢れになる前に、お払いをする。それで心の平安を保つ。
貨幣が元来呪術的な意味を持つとするならば、神社仏閣でお賽銭を投げる、結婚式でご祝儀を、葬式で香典をそれぞれ現金で渡す、そういう習慣もなるほどと思う。
そして、100万円の札束から始まったこの話は、そういったお金の抽象的な意味あいを高度に理解した上で作られていると、私は確信している。
肉親の死を受け入れるということそのものが、本質的に宗教的なものであるから、キマリの家の前に神社の鳥居があり、日向ちゃんが守鶴堂にお祈りし、報瀬がPCに降りてきたメールを前に母を呼び泣き叫ぶ。そういった場面を、現金のイメージで中和しつつ、それでもお金の精神的な役割はがっつり描く。
「いや、自分は無宗教だ」と考える日本人は多くいるかと思うが、神を信じるとか戒律を守るとかいうのだけが宗教ではない。例えば「魂」といった概念を理解するなら、それはもう信仰と不可分な領域だ。それを人が整理した信念体系のことを、狭い意味で「宗教」と呼んでいるだけに過ぎない。
本作は特定の宗教に肩入れはしていないが、素朴な祈りに象徴される人の信仰心は否定しない。むしろ積極的に人にそういう面があることを描いている。
思いの強さが不可能を可能にする。というメッセージを語るなら、これはとても自然なスタンスだと思う。
そして、作品の終着点は宗教ではない。親の死を受け入れた報瀬は、この旅でできた友達とまた南極に来ると誓う。親の庇護から歩き出し、仲間と目的を達成する道を進んでゆく。こう一言でまとめると、本当に王道の青春ストーリー。多くの人の心を掴んだという結果も納得できる。