「太田金山子育て呑龍」と上毛かるたにも謳われる群馬県太田市。何度も行った場所なのに、肝心の呑龍さまにも金山にも登ったことがないことに気がついた。というので、8月の終わりに行ってきた。
まず呑龍さまこと大光院。太田の市街から金山に登る道の途中にある。写真は吉祥門。
歴史を感じさせる手水舎。
境内の臥龍松。
大伽藍に参拝。「子育て呑龍」だけに子供連れが絶えず来ている。
こちらが慶長18年に建てられたという本堂。
太田市といえばスバル乗りの聖地でかつては日産パルサーも製造していた土地。その太田市で信仰を集め、中島飛行機の100式重爆の愛称にもなった呑龍さまについにお参りすることができた。
地図を見ると金山も車で登れるとのことなので、初めて登った。展望台から太田市が一望できる。スバルの工場がよく分かる。
金山の山頂は金山城という戦国時代の城跡がある。
1469年に岩松家純が築城し、1590年に豊臣秀吉が北条氏を征伐して廃城になったという典型的な山城。駐車場から山頂を歩くとこのように石積みの遺構が現れる。
城跡の展望台からは金山の北側が見られる。晴れていれば赤城山が見えるであろう方向。手前の山の下を北関東自動車道が走っている。
大手虎口。守りが厳重で大規模な石積みが現在に残されている。
日ノ池。山城なので水不足に備え池を設けている。すぐ横に飲水用の井戸がある。近くにもう一つ、より小さい月ノ池もある。
山頂で太田市を見守る中島知久平の像。
本丸跡に建立された新田神社。
並んで御嶽神社。
そして梅若稲荷神社。
御嶽神社の御朱印を新田神社の賽銭箱にていただいた。御朱印の紙を受取り、付属の袋に300円を入れて賽銭箱にお納めするようになっている。
金山を見たので、次の目的地、さざえ堂こと曹源寺へ。
さざえ堂の外観。
中は螺旋状に階段がめぐり、100体の観音像を拝顔することができる。その螺旋状の通路を巻き貝に見立てて「さざえ堂」と呼ばれる。
階段は二重螺旋になっていて、一方通行で1階、2階、3階とお参りし、通路を交差も後戻りもすることなく2階、1階と降りて入った場所と反対側に出る。このような「入った場所と出る場所が違う」という不思議な作りになっている。
噂には聞いていたけどそれまで実際に行ったことがなかったので、今回行くことにした。
昔、観音様の信仰が熱心だった時代は、庶民が遠くまで巡礼に行くことは難しかったはずなので、このように一つの寺に参拝することで多数の聖地を巡礼するのと同じ功徳を積むことができるというのは画期的なことだったのだと思う。
数多くの観音像を拝むだけでなく、そういった昔の信仰の様子を想像することもでき、興味深い場所だった。
また、平成27年から29年にかけて大改修を行い、そのときに見つかった昔の落書きが壁にそのまま見えるようになっていた。パンフレットによると西暦1800年のものと確認できたものもあったとのこと。
観光地で落書きとは今も昔も人がやることは同じだなあというのと同時に、落書きも200年もすれば立派な文化財だなとも思った。
身近な観光地にまだ行っていない場所が沢山あるので、これからもどんどん行きたい。