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掛け算の順序を教えるという教師の慣習はやめよう

掛け算の順序問題の本質は、教師が慣習を変えるのにはコストがかかり、そのコストは「ネットで非難されている」程度では釣り合わないと判断されていること。

ちょうど下記がバズっているので、これに関して述べる。

jp.quora.com

小学2年生段階で、掛け算の順番を気にするのは、割り算を見据えているからです。それ以外の理由はありえません。

単位あたりの数、みたいな概念が曖昧でも、小学校3年生で習う普通の(整数の)割り算はなんとかクリア(した気になることが)できるかもしれません。しかし、小学校5年生になれば、小学校の算数の大きな鬼門といって良い「割合」さらに、6年生になれば「分数の割り算」が待っています。

割り算、とりわけ分数の割り算のために掛け算の順序を教えることに意味がある、と書かれているが、分数の割り算は分子と分母を入れ替えて掛け算にするだけなので、普通に分数の掛け算が理解できていれば難なく理解できる。これが「鬼門」というのが理解できない。どちらかというと、小学校の分数など全員がマスターできる問題ではないので、この時点で教えるのに苦労するのは「当たり前」。では習熟率に「掛け算の順序」を指導した場合と指導しなかった場合に有意な差があるのか、というと、学術的な答えはない。ただ、回答した人が「掛け算の順序」を指導した方がいいような気がする、と言っているに過ぎない。

もっとクリティカルな部分は、前段の「割り算を見据えている」の部分。この人が、割り算を教える上で「掛け算の順序」を指導した方がうまくいく、という実感を得ているということ。しかし実感は所詮主観でしかなく、この回答のどこにも客観的なエビデンスは示されていない。

回答者による理論はこのようなもの。

単位あたりの数、それが何単位、という概念が理解できていない子供は、非常に高い確率で割り算でつまづくことになります(なにしろ割り算は可換ではありませんから)。そうならないように、掛け算の段階から、繰り返し繰り返し、この2つの概念の区別を教えるわけです。

それ以外はノイズといってもいい。これでだいぶクリアになった。

掛け算の初歩の指導では、問題文のなかから「かける数」と「かけられる数」を抽出し、掛け算を立式して回答することを教える。

suikukai.com

上記ではこれを「いくつ分」と「1あたりの数」と定義している。

簡単な自然数の足し算から入った児童は、こういう指導が有効なのかもしれない。問題文が掛け算で解決できるものであり、その中から「1あたりの数」と「いくつ分」に該当する数字をみつけ、掛け算の式を立式し、掛け算九九などを使って解く。これを繰り返し行う。そうすれば確かに、「単位あたりの数、それが何単位」の概念は理解できると思う。

ただ、ここで絶対に間違えてはいけないことがある。掛け算を解く上で、「単位あたりの数」×「それが何単位」と、「それが何単位」×「単位あたりの数」は等しく、どちらを先に書かなければいけないというルールは存在しない。

「1あたりの数×いくつ分=全体の数」という覚え方が正しいとしても、問題文で「いくつ分」、「1あたりの数」という順番で示されていたら、「いくつ分×1あたりの数=全体の数」と立式するほうが言語として自然であり、そのような回答を×にしていい理由はない。

掛け算の問題で、どれが「単位あたりの数」で、どれが「それが何単位」に該当するのかは、掛け算の順序の強制で覚えさせるのは不適切で、マスターさせるのであればしばらくの間は「単位あたりの数」×「それが何単位」の順番で並んでいる問題以外を与えない方が妥当。むしろ、掛け算の交換法則を教えた後は、積極的にこれをを逆にした問題を出し、立式は「それが何単位」×「単位あたりの数」も認めるのがいい。その方が掛け算の理解のステップとして理にかなっているはずだ。

回答者が気にしているのは、児童が問題文から選んだ数値が、どちらが「単位あたりの数」で、どちらが「それが何単位」に該当するのかを理解しているかどうかだ。ならば、解答欄の立式の数値に単位を書き込ませればいい。それで各項の定義がきちんとできているかは分かる。つまり、回答者の理論にのっとっても、「単位あたりの数」と「それが何単位」の順序にこだわることの合理性は見つからない。

むしろ、交換法則まで理解したうえで掛け算の問題を解くのであれば、問題文から抽出した2項のどちらが「単位あたりの数」で、どちらが「それが何単位」なのかは厳密に区分する必要はない。一週間は7日間であり、3週間は何日かといえば、「単位あたりの数」は7、それが3単位(週間)となり7×3=21日が答えとなる。ところが、月曜日が3回、火曜日が3回、と、曜日1個あたりの数は3回であり、それが一週間なので7組ある、と見方を変えれば、「単位あたりの数」は3で、「それが何単位」は7になる。

「単位あたりの数」と「それが何単位」というのは便宜的なもので、多くの場合入れ替え可能である。こんなものを試験の〇×の対象にして覚えさせる意味はない。後で長方形の面積を出すとなったら、縦×横=面積の式でどちらが「単位あたりの数」でどちらが「それが何単位」なのか。「単位あたりの数」と「それが何単位」にこだわっていたら小学2年生から先に進めなくなる。算数の理解をより抽象度の高いものに進めるためには、「単位あたりの数」と「それが何単位」の概念を教え込みすぎる方が邪魔だ。まして、これらを理解させるのに「掛け算の順序」は関係ないので、それを授業で指導したり試験の〇×の対象にすることは間違っている。

実は、掛け算の順序を教えるのが正しいとする声に理論的な一貫性はない。数十年前から一部で行われてきたというのも確認している。つまり、掛け算に順序があると指導した方が割り算やその他の授業でうまくいく、という実感を得た教師が、それを広め、やがて、算数を教えるのに苦労している先生の中で慣習として定着したものらしい。

それで今まで失敗しなかった、という慣習は捨てさせるのが難しい。「間違っている」という指摘を受け入れれば、自分が間違っていたことになる。間違いを多くの児童に指導してきたことになる。教師という職業がそれを受け入れることはきわめて難しい。実際、指摘されて「分かりました。今後改めます」という教師は皆無だ。

一方では割り算の授業で「等分除」や「包含除」とう概念を教えようとしている。

print-kids.net

割り算の授業でこれを教えるのは難しく、掛け算の順序を指導しないと児童が「等分除」や「包含除」を理解できないという声も聞こえる。

まったくばかげた話だ。掛け算の理解が一定の抽象度に達すれば、掛け合わせる2項に固定した定義はなく、したがって、どちらの項が「等分除」でどちらの項が「包含除」などという定義には意味がない。このような指導は割り算を無駄に難しくし、算数嫌いを増やすだけでしかない。

どうして割り算を好きこのんで難しくしようとしているのかと言えば、掛け算の順序を指導することの正当化のためとしか思えない。もしそうなら、「割り算を理解させるために掛け算の順序にこだわる」はずが、割り算もまた難しくしようとしていることになる。

以上を見れば、「掛け算の順序を教える」という教師の慣習は明らかな害悪であり、即刻廃止すべきものだと分かる。

慣習を捨てるのは難しい。しかし、多くの慣習がセクハラやパワハラに該当するとし、コンプライアンスの観点から廃止されつつある。それに対して当然抗議の声も上がっている。差別に該当するからやめようという慣習も多い。これも無抵抗ではない。しかし、人が未来に進んでいくためには、悪い慣習は捨てなければならない。

掛け算の順序の指導も、捨てる頃合いだ。

余談:割り算や引き算は交換法則が成立しないので、掛け算のうちから順序を教えた方がいい。正しいか? 否。

そんなものは割り算や引き算の場面で言うべきで、掛け算の場面では気にする必要はない。

でも「a÷b≒b÷a」ではないか、という声が聞こえるが、そもそも「a÷b≒b÷a」は真なのか?

a÷b=b÷aと置いてこれが成立する条件をしらべてみよう。a÷b=b÷aはa^2=b^2だから、この等式が成り立つ場合成立する。つまり、a=bまたはa=-bのとき、a÷b=b÷aは成立する。結論:「a÷b≒b÷a」は常に真ではない。

同様にa=bのときa-b=b-aが成立する。

今まで見てきた範囲では、積極的に自分の頭で考えようとしている人に「掛け算の順序の指導」を肯定する人はいない。

まさに、古い慣習を捨てられないひとだけがこだわっているという印象である。