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安倍晋三殺害はヘイトクライム

2022年9月27日に、故安倍晋三国葬が無事行われた。調査では賛成と反対が分かれた結果であったが、会場には多くの人が献花に訪れ長い列ができた。外国からも多くの要人が弔問に訪れ、弔問外交の機会も設けることができた。

SNSでは賛否両方の意見があり、『機動戦士ガンダム』のガルマの国葬シーンのギレンの演説を持ち出す人も少なくなかった。

ギレン「諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ。何故だ?!」
シャア「坊やだからさ」

これになぞらえ、「諸君らが愛してくれた安倍晋三は死んだ。何故だ?!」と来る。多分に安倍晋三を支持する者を揶揄する意図が込められている。「坊やだからさ」のように当人の悪い部分を一言添えればひとつの風刺となろう。

しかし、私はむしろ、岸田総理にこう問いかけてほしいと思った。

「諸君らが殺したいほど憎んでいた安倍晋三は死んだ。何故だ?!」

こうすると一文の中で矛盾が消えてしまう。しかし、平和な日本の社会で、多くの人から嫌われ、憎まれたというだけの理由で、人が殺されていいのだろうか? いいや、よくない(反語)。

このように考えると、事件はヘイトクライムとしての性格が浮かんでくる。

与党自民党の議員であり、安倍晋三は総理大臣経験者であるから、虐げられている弱者ではなく、常に批判の目で見られる権力者である。しかし、だからといって罵詈雑言を浴びせることは妥当だったのか。

もちろん、政治家を批判することは言論の自由に含まれ、民主主義の世の中では大事な権利である。政治家を批判しただけで社会的な地位を失ったり、まして、逮捕投獄されることがあってはならない。政治家は報道などの言論に対して、言論そのものを委縮させるようなことを言ってはならず、報道される批判に対しては誠実に対応しなければならない。

五箇条の御誓文にも、「万機公論に決すべし」とある。言論を封じ自由な発言ができない世界では人の英知を集めて困難に立ち向かうことが難しくなる。

しかし、どんなひどい発言も、権力者に向けられるなら許されると考えるべきだろうか。

そこには「公論」と言うに値するだけの品位があったほうがいいと思う。さらに言って、人を傷つけるような表現は避けた方がいいだろう。そして、人を傷つけることを目的とした表現はむしろ言うべきでないとさえ考える。傷つけ、貶め、呪うという目的で言葉を使うなら、その言葉はもはや情報伝達のツールではなく暴力となる。

とはいえ、外に発せられる言葉から発言者の意図を特定することは必ずしもできない。だから、むやみに発言を制限してはいけない。

それでも、安倍晋三に向けられた言葉はひどいものが多かったと思う。よく「SNSは匿名だから」などと言われるが、facebookを見れば実名でも罵詈雑言を投げつける人が確認できる。

twitterでは児童文学者の池田香代子氏が「あ べ し ね」と発言している。

togetter.com

林智裕氏の『正しさの商人』という本を読んだ。この本で「情報加害」という概念を知った。ちょうど安倍晋三が銃撃され亡くなったすぐあとだったので、ブクログのメモにはこう書いた(政治家でさえ、と書いたところは先ほど修正した)。

風評加害といえば、安倍元総理に向けられた悪意に思い至る。マスコミは安倍氏さえいなくなればすべてが解決するかのように報じ、SNSでも怨嗟の声が上がる。池田香代子氏のような著名な人物さえ「しね」と書いて恥じない。

ある宗教カルトに被害を受けた人物が、密造銃の標的に、そういう怨嗟の声にまみれた人物を標的に選んだのは、たまたまだろうか?

自分はこの事件にも情報災害としての一面があると考えている。福島県に忍耐を強いていれば、他県の人間には何も影響はない、などという時期はとっくに終わっている。なんとかしないと、次にどんな不幸がやってくるか分かったものではない。

風評加害の分析と対策をためらってはいけない。

https://booklog.jp/users/Spanglemaker/archives/1/B09VL8H2NB

たとえ総理大臣を経験した与党の大物議員であっても、銃で撃たれれば簡単に死ぬ。度を超した暴力の前には権力者であっても無力だ。であれば、人を傷つけることを目的とした発言を広め、暴力で何かをしようとしている人間の背中を押さないようにしないといけない。自分はそう思う。

こういった怨嗟の声が場に誰かを傷付けてもいい空気を作り、犯罪者の背中を押すという構図は、「ヘイトクライム」という言葉で我々が知っているものと全く同じ現象と言える。ヘイトクライムは対象が弱者やマイノリティに限定された概念ではない。

ja.wikipedia.org

望ましいことは、発言をする人一人一人が、誰かを傷付ける言葉を慎み、暴力に結びつくようなことを避けて行動すること。しかし、こんな理想論は現実にはうまくいかない。

であれば、一定数の人が罵詈雑言を発することを前提に、SNSではフィルター処理の制度を上げて、ヘイトスピーチが広まらないように工夫するしかないのかもしれない。

しかし、ヘイトスピーチの規制は言論統制と表裏一体だから、どのように行うかは難しく、簡単な答えはない。

もう一つできることは、誰かを傷つけるような言論に対しては、言論のフィールドで批判の声を上げることだ。言論で人を傷つける、風評加害という現象があることを認識し、加害行為が力を持たないようにする。

そうして、これ以上ヘイトクライムや風評加害が起きないような世界を実現したい。