Great Spangled Weblog

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平成30年立川防災航空祭

2018年9月29日開催。2年ぶりに行ってきた。

前回はスマホを機種変したばかりだったがもう24ヶ月の支払い期間終了間際。Z3は18ヶ月で電池の寿命で死亡したがX Performanceの電池はまだまだ余裕。

それはそれとして。立川防災航空祭は天気がたいがい悪いけどこの日は雨。たまたま午前中降らない時間があったという程度。

その雨が降ってない時間に撮った地上展示。久しぶりにOH-1が展示されていた。

大規模編隊が離陸。AH-64Dは2月の事故の影響で不参加。OH-1はもっと前から不参加。それから海上保安庁も今回不参加だった。

UH-1Jは赤外線ジャマーつきの機体があったが、画像認識方式が一般的な現在効果はあるんだろうか。

雨天にもかかわらず雲底が高いためか第1空挺団の空挺降下は実施。

完全に雨の状況での武蔵フォーメーション。

救難訓練展示。警視庁のAW139「おおとり」。

UH-1J。

消防庁のAS355-N3「かもめ3」。

工場火災という想定で有害物質の検査に出動したNBC偵察車。

警視庁の特別救助隊

消防庁の特殊災害対策車。

警視庁のAS332L1「ひばり」からの放水。

状況終了の後に訓練に参加した組織と車両の紹介。写真はクラウンのパトカー。

式典終了後に送迎車の日産ADバン。

雨がひどいので望遠レンズをしまったところで、地上展示のためAH-1Sが移動してきた。持っててよかった高倍率ズーム。あと人が少ないw

雨を避けて格納庫でソーラープレーンSP-1等を展示。

雨の中帰る準備をしているUH-60JA。

屋台で昼食を買おうと思ったけどこの雨なのでやめて、早めに退出し、昭和記念公園昭和天皇記念館を見学してから同じ建物の売店で昼食をとって帰った。

T-33練習機のメイキング

飛行機の絵は資料集めたりとかで手間と時間がかかる。なので、余暇でやっているとどうしても描くのが季節に1枚ぐらいになってしまう。

とはいえ、アニメキャラの間に飛行機を挟むといいこともあって、美少女は「こうすると可愛くなくなる」というブレーキがかかって大胆にいけないところも、飛行機なら「実機がこう見えるからこう」と思うまま大胆に描き込むことができる。

そうやって飛行機の方で立体感だとか質感だとかをつかむ練習をして、得たものをまた美少女絵に反映できたらなと思っている。

今回は1日ごとに経過をJPEGで保存したので、下絵から完成までをタイムラプス動画にできた。

www.youtube.com

完成版はこちら。4Kのサイズで制作してフルHDに縮小して投稿してます。SAI2でファイルサイズは70MBぐらい。

www.pixiv.net

いつもやってる手法をちょっと説明すると、翼端のタンクは線画は適当にやっておいて、塗りの段階でベタっと色を置いて、消しゴムで削って、鉛筆で足して、を繰り返して形にしてる。どこかで形を正確にしなければならないのなら、いずれ消してしまうアウトラインより、中身の色の面の形を調整するほうがやりやすい。陰影は、形ができればはみ出さないように上に重ねて塗れるので、大した手間ではない。デジタルならではの手法。

そして今は、次作のアニメキャラに取り組んでいるところ。

2018年横田基地日米友好祭

9月15日に行ってきた。

エプロンに入ってすぐ置いてあるC-130J。もうYJのC-130は全てJ型に更新されている。

天気はこの通り雨。しかし逆に考えれば雨だと空いてるし、水に映った機体も撮れる。

空いているおかげでステーキもすぐ買えて屋内で食べられた。

地上展示は去年と違って今年は充実していた。まずは軽飛行機から。

このC172は「鯉が滝を昇って竜になる」というコンセプトとのこと。

隣は侍デザイン。

FA-200も展示。曲飛行はすっかり見なくなったけどまだ現役のようだ。

A-10C。在韓米軍のA-10は近くいなくなるという話なので沢山撮影した。

機種がボコボコなおのは風防前の空中給油リセプタクルにブームを刺すとき間違ってブームがよく当たるため。

A-10はこの通り大人気。

それにしても、2機で計8個も輸送ポッド持って来てて商売する気満々w

オーサン基地の記念塗装バージョンのF-16C。

WPのF-16は新しいターゲティングポッド、AN/AAQ-33を搭載。通称スナイパーXRで日本もF-2用に採用している。

三沢基地から来たF-2A。三沢に続いて横田も雨かよとか思ってそう。

百里基地301飛行隊のT-4。カエルマークのT-4は普段見られないのでありがたい。

奥のF-15Jは203飛行隊で千歳基地から。

航空自衛隊のKC-767。アメリカ軍もB767ベースのKC-46を採用したので航空自衛隊の追加調達の敷居はやや低くなった。といってもKC-46はKC-767と大幅に違ってそうだが。

MC-130が運んできたバギー。

同じく積荷のバイク。

今年もグローバルホークを展示。水に長い主翼が写っている。

今年はC-5も来た。

航空自衛隊からC-2が飛来。C-5とC-17、さらにKC-10の列にいたので小さく見えたが、C-1と比べるとやはり大きい。

おなじみC-17。戦車を運ぶとなるとこの大きさの輸送機が要る。

百里救難隊UH-60。空中給油プローブつき。

厚木基地のSH-60の展示ブースは新しく萌えキャラが。萌えミリ文化は海外に広まりつつあるw もっとも、元をたどれば爆撃機のノーズアートなどであるから、アメリカに戻って行ったと言えなくもない。

第12旅団のCH-47Jが日米友好祭仕様。

そして10月から正式に横田基地に配備されるCV-22オスプレイ

ロープが限定的に張ってあるけど人が多くて撮りずらいw

この後14:45に飛行展示開始との情報を得たが、あと1時間も待つのはどうかなーという感じだったのでうっかり帰ってしまった。その後日本初のCV-22の飛行展示ということで話題になっていたので、多少無理しても残ってればよかったとちょっと後悔。

例年C-130やUH-1が飛ぶから、同様にCV-22が飛ぶのもまた見られるだろうと期待。

遠方から望遠でA-10

見慣れたA-10も、A-37やOV-10のようにいつか見られなくなる。

時間の流れを感じつつ基地を後にした。

向井千秋子ども科学館

アニメ『宇宙よりも遠い場所』のタイトルは宇宙飛行士の毛利衛さんの言葉だという。実際に宇宙に行った方の言葉と思うと南極までの果てしない距離がなおさら深く感じられる。

それを知っていればいくらか予測できたかもしれないが、アニメの放送で舞台がまさかの群馬県館林市で正月早々ひっくり返った。

館林市は日本人初の女性宇宙飛行士、向井千秋さんの出身地。女子高生が南極に行くとしてどこからがいいか。そう考えたスタッフは館林市を選んだ。片田舎のいい感じの閉塞感が気に入ったらしい。アニメの描写も日本国内はややくすんだ色合いで、逆に、南極は鮮やかに、という工夫をしているという。キャラクターに白い縁取りがあるのも南極の日差しの強さから連想された処理だという。

それはそれとして、妻が館林市向井千秋記念子ども科学館に行ったことがないというので一緒に行った。

場所はかつて館林城だった場所で、神戸生絲の工場が撤退した跡地にある。

中はこんな感じ。左手はプラネタリウムがある。奥と2階、そして地下に展示室がある。

2階の一角が向井千秋さんのコーナー。向井さんがスペースシャトルで宇宙飛行の任務についたのはもう20年以上前なので、誇らしいというよりむしろ懐かしい。まさかスペースシャトルが退役するなど当時は思ってもみなかった。

向井さんが実験に使ったメダカの子孫の宇宙メダカ。

2階は教材として自動車のエンジンが展示してある。近くの太田市のスバルからの提供らしくEJ20DOHCエンジン。

そして2階の別のスペースは大西飛行場と大西勇一氏のコーナーとなっている。

大西飛行場は陸軍館林飛行場の近くで育った大西勇一氏が、その跡地に作った日本でも珍しい私設の飛行場。その後売却されたがずっと大西飛行場と呼ばれた。

大西氏は自ら飛行機を制作し、大西飛行場をはじめ各地で飛行を行った。

ここに展示されているのはスバルの自動車用1000ccエンジンを搭載した「スバルプレン」。

スバルプレンは1970年に神奈川県茅ケ崎市から伊豆大島までの往復飛行を成功させたという。

こういった施設をハコモノと笑うのもいいが、収蔵品はこのように貴重なものがあり今となってはなくてはならない施設となっている。

子ども科学館を見たら向かいの田山花袋記念文学館も見学。

いつの間にかエントランスに『文豪ストレイドッグス』のパネルが。

戦国武将や軍艦を美少女にしてきた我々は、イケメンとなった文豪にもはや驚くこともなく。とはいえこのパネルで雰囲気が華やかになっている。

収蔵品は撮影不可なので中庭の写真を。ガマの穂がソーセージ状に育っている。

通りを渡って田山花袋の旧居も見学。

少し歩けば生家の跡地もある(市の教育委員会の看板があるのですぐ分かるはず)。

で、ここまで来たので例の東屋も行く。

東屋の前の池にオニバスが植えてあるとは知らなかった。

午前中に行けば咲いているのが見られるはず。

田山花袋の小説はスマホにDLして青空文庫のアプリで読んだものだけど、今はkindleで無料配信されている。

蒲団

蒲団

田舎教師

田舎教師

拉致問題国民集会

昨日、2014年以来4年ぶりに拉致問題の国民集会に参加してきた。

今回は安倍総理の出席もかない、総理は日朝首脳会談も視野に入れつつ全力で取り組むと話して会場を後にし、夕方の飛行機で米国に向かった。

集会の内容は昨日の19時のNHKニュースが要領よくまとめていたのでNHKのサイトなどをご覧願いたい。

www3.nhk.or.jp

拉致被害者家族が大規模集会 政府に最大限の取り組み要求
2018年9月23日 18時17分

非核化をめぐりアメリカと北朝鮮の駆け引きが続く中、拉致被害者の家族が東京で大規模な集会を開き、すべての被害者を一刻も早く帰国させるという北朝鮮への要求を決して下げることなく、確実に肉親と再会できるよう、政府に最大限の取り組みを求めました。

集会では、はじめに拉致被害者の家族会代表で、田口八重子さんの兄の飯塚繁雄さん(80)が「これまで焦った結果、北朝鮮にだまされ、被害者の帰国に結びつかずにきました。今度はそうはいかない。政府は被害者の帰国だけに焦点を当てて取り組みを進めてほしい」と求めました。

このあと、家族一人一人が壇上に立ち、横田めぐみさんの母親の早紀江さん(82)は「残された被害者は40年間、どれほどの孤独感に耐え続けていることでしょう。この問題が放置されることなく、絶対に解決されることを願っています」と訴えました。

また、16年前に帰国した曽我ひとみさん(59)は、一緒に拉致された母親に買ってもらった時計を持参し「40年間母に会えず、本当に寂しくてなりません。北朝鮮にいるとき、時計は何度か止まり、母はどうしているのかと寂しさの中で暮らしていました。帰国後は止まっていた時計も無事に動いています。母は元気で日本に帰ってくることを願って頑張っていると思います」と話しました。

集会では最後に、被害者を帰国させるための実質的な協議に応じるよう北朝鮮に要求するとともに、政府に対し、すべての被害者の一刻も早い帰国という要求を下げず、全力で取り組むよう求める大会決議を採択しました。

熊本市出身の拉致被害者松木薫さんの姉の斉藤文代さんは「亡くなった母親は生前、『薫は海の向こうにいる』と私が告げると、翌日から薫を捜し求めて海岸に出歩いたり、夜にも出かけたりするようになりました。私もみずからの病気に負けず、父と母の墓前に必ず連れて帰るという信念を持って一生懸命頑張るので、応援をよろしくお願いします」と述べ、肉親の帰国に向けて協力を求めました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180923/k10011641571000.html

なので当方からは少々の補足。

Q:事件からの時間の経過から、拉致被害者が「全員生きている」という想定は妥当なのか
A:「死亡した」という確かな証拠が北朝鮮から得られていない。したがって、政府は全員生存しているという想定の上で、全被害者の即時一括帰国を目標としている

家族会の発言で「安倍総理が3選されて本当によかった」という声があり、なぜかというと、石破氏の提示した「連絡事務所の設置」は、「死亡の証拠がないから全員生存」という前提が共有されていないからだという。

まして、合同調査委員会の設置などは日本が受け入れることはあり得ない。誘拐犯を逮捕もせずに一緒に合同捜査をして事件が解決するわけがない。

これについては司会の櫻井氏から以前の集会で家族会の方が話された言葉の紹介があった。「子供が池に落ちたという事故を考えてください。大人たちが全力で救出をして、病院に運んで、医師から脈がないといわれて、それでようやく家族は納得するのですよ」。この話は私も直接聞いたと思う。家族の方にこれほどの思いがあるのに、証拠もなく我々が生存を疑ってはいけない。

Q:被害者がもし死亡していた場合総理はどう責任をとるんですか
A:責任は拉致した方がとるに決まってるじゃないですか

このQは会場の発言ではなく、党首選の討論で大手メディアの論説員が問いかけたことだという。

会場で話が出たのは、向こうの方も日本の世論の分断を図ってきている。例えば、下記の記事にあるように「日朝国交正常化推進議員連盟」が動きだしていて要注意だという。

www.sankei.com

拉致問題に対して事態が膠着しているように見えることから、宥和論が広まり、北朝鮮に有利な状況が生じつつある。そのような声には会場の皆さんもぜひ批判をしていってくださいとの要請があった。

拉致問題が動かない最大の理由は、日本が「全被害者の即時一括帰国」という目標を一歩も譲らないから。

しかし、誘拐犯を相手に「被害者を返せ」という要求を下げることができるだろうか。日本は最低限の要求をしている上に、拉致問題の解決の後には、国交正常化と、日本が可能な範囲ではあるが経済支援も可能としている。核・ミサイル及び人権問題がある以上あまり大盤振る舞いはできないとはいえ、これほど甘い条件もなかろう。

したがって、拉致問題が動かないのは北朝鮮が態度を変えないからであり、その意思を変えるために日本が、アメリカはじめ各国との協力を得ながら活動を続けている。

日本が目標を下げてしまったら、拉致問題は誤った結果に着地してしまう。

会場で共有された危機感はこのようなものだった。

拉致問題が解決し、もうこんな集会を開かなくていいときが早く来ることを願ってやまない。

高沼用水路(さいたま新都心区間)

前に武蔵野線大宮支線の地上区間を見に行ったとき、大宮台地を西に下ったところでよどんだ川を見つけた。

glemaker.hatenablog.com

台地から水が湧き出しているなら素敵だなとか思ったが、調べたところもっと規模の大きい立派な川だと分かった。

Google Earthを見ていくとさいたま新都心までは難なく辿れる。そして暗渠に入り、その先が簡単には分からない。

その後改めて調べたところ、さいたま新都心で大宮台地を横切る人工の河川であることが判明。

見沼代用水西縁から分岐し、大宮台地を掘り抜いて台地の西側に流れる。

台地の西側は与野〜西浦和付近に鴻沼という沼があったが、鴻沼川により水を抜いて干拓し水田を開発。この新田に水を運ぶために掘られたのが高沼用水路。

徳川吉宗の時代に井沢弥惣兵衛為永が指揮を取り、見沼代用水に続いて開発された用水路で、農業用水の他水運にも使われたという。

自然の川かと思ったら人工の川で、水ははるばる利根川から分水してきたものだったとは。

それではと、まずは上流側のさいたま新都心近辺の高沼用水路を見てきた。

この川が見沼代用水西縁。

鴻沼分水工の水門から高沼用水路がスタート。

水門の建物の下をくぐってコンクリートの水路を下る。

水路は谷間を昇ってゆく。水路の位置が周囲の土地より高く、自然河川ではないことが分かる。

道路に行き当たって暗渠になる。

道路側から。

水路の行く先にさいたま新都心の高地が。

道路を渡った出口。

下流側。注意して見ないと奥から手前に流れていると勘違いしてしまう。

土地が高くなっていって、水面の位置が徐々に下になる。

この辺はもう両岸を開削した人工河川。

そして周囲との高低差がこれだけついた状態で暗渠になって道路の下へ。

暗渠開始位置の上のちょっとした休憩所。

この写真の左の方を暗渠のままさいたま新都心に向かって流れる。

道路を渡ったところも三角形の未利用地が。

おそらくさいたま新都心開発にあたり暗渠化されてできた歩道。

かつての水路の構造物が歩道のオブジェになっている。

暗渠の上の歩道は中山道で終わり。

この歩道あたりが最大標高位置だと思う。

中山道とJRの間は暗渠でなく水路が見える。

最大標高点を超えたためか流れに勢いが出て、明らかに線路の方向に流れている。

線路の反対側はずっと暗渠のまま。

この道路の下が高沼用水路。

「せせらぎ通り」という名前も、かつてここが川だったことを示している。

そしてこのT字路で暗渠は終わり。

川の方に降りてみる。

暗渠からの出口。音を立てて水が流れている。大宮台地を抜けたところは下り勾配がけっこうあるらしい。

コンクリート護岸の水路として下落合小学校の校庭の下へ流れていく。

小学校の脇の道。橋は昭和44年竣工とある。

道路の下は橋で、小学校側がすぐに暗渠になっている。小学校の校庭の暗渠はGoogle Earthでもはっきり分かる。

学校の下流側は暗渠と橋の境界がよく分からない。

出口は明らかに橋。

与野東中学校の校門の前の橋をくぐる。

そして中学校の脇に沿って流れは進んでいく。左岸側に歩道がある。この先の訪問はまたいつか。

利根川から引いてきた用水路なので水はわりときれいで、大宮台地の西側は流れも比較的早くいい感じの川。水草が生えていて映画『惑星ソラリス』の冒頭を思い出す。

たまたまちょっと気になった水路がこんな江戸時代の遺構だったとは。

時間を見つけて他の区間も見てみたい。

吉見百穴

アイドルマスターミリオンライブ!のフェアリー属性代表最上静香は埼玉県出身。好きな食べ物はうどん。

そんな最上静香が学校の行事で何度か来ているであろう埼玉県の遺跡、吉見百穴に行ってきた。

そんなに遠くないところに住んでいるのだけど、なかなか行こうと思いつかず、前に来たのは2005年のはじめぐらいだから十年以上空いてしまった。

とはいえ穴が沢山空いた岩山という奇観は変わらず。

かつては住居だとも言われたが古代の墓だということが定説となっている。

そして岩山の下の方は戦時中に掘られた洞窟がある。

中島飛行機が空襲に耐え得るエンジン工場を建設しようとしたため。

昔はこの穴のもう少し奥まで行けたけれど、今は入り口のところしか行けない。

奥の横穴はかろうじて覗くことができる。この洞窟は特撮や映画やCMでも使われた。

かつてはかなり自由に穴に出入りできたようだけど、今は柵や鉄格子で基本的に穴に入れない。

久しぶりに階段を上がる。

8月最後の週末は晴れて暑かった。

階段の上からの眺望。

山頂にはかつて使われていたらしい家屋が。

穴の一つは日本三大がっかり天然記念物とされるヒカリゴケの自生地が。

金網にはカメラのレンズを通す穴があって中を撮影できる。

小学校の遠足で来て最初に見た時も何がヒカリゴケかよくわからなかったが、今もよくわからない。たぶん下に生えている蛍光グリーンの植物がヒカリゴケ。

植物の勢いがあまりよくなさそうだというのもあるけれど、ほとんどの人は「ヒカリゴケ」という名前からホタルのように自分で光るものだと思ってしまう。なので、金網を覗いては「なにもないや」とがっかりしてしまう。

少なくとも、隣の看板を読んで、「レンズ状細胞がコーナーリフレクターのように光を反射して光って見える」という知識を持って見れば違った印象になるであろうに。

こんな低地に自生しているのは貴重で、氷河期の置き土産と言える。

もう一方の地下工場の入り口側から超広角レンズで。

外からは小さい穴に見えるが、中は入り口の倍以上の幅の広さがあり立派な部屋になっている。ちょうど地下工場入り口のところが一つの穴を後ろから破壊する形になっていることに気がついて、このように中を撮影できた。緑のコケがヒカリゴケかどうかは不明。

穴の奥からは涼しい風が吹いてきて心地いい。地上が40度とかいった猛暑になっても、ほんの何十メートルか地下に入るだけで温度は年間ほぼ一定になる。地表の人間の営みなど大地の大きさに比べればささいなもの。地中と熱のやり取りをする熱風を出さないエアコンも開発されているがなかなか普及しない。

入り口右側に新しく吉見町埋蔵文化財センターという建物ができている。

このあたりにはムクゲが植えてあったはず、と探したらその奥にあった。

「日朝平和友好植樹」とあり1976年8月22の日付がある。

中島飛行機の地下工場建設は徴用した3000~3500人の朝鮮人を使役して行われた。いわゆる強制連行により労働者を確保したわけで、日本の負の歴史の一つといえる。

徴用した朝鮮人は戦後全員帰国したという。この植樹はその後の何らかの行事の記念と考えられる。

戦時の徴用に関しては一度はこういった形で和解がなされているということは事実として示しておきたい。だから相手方に黙っていろとか日本人に悪いところがないなどというのは極論だし、かといって、自分たちが直接経験したことでないことで互いのヘイトをあおるのもよくないことだと思う。

このブログを書く前に調べたところ、ムクゲは柵に沿って植えたものもあるというので写真を見たら本当でピンクの花が咲いていた。

すっかり昼になってしまったので、向かいの食堂に入った。

肉汁つけうどんはまさにこのあたりのうどん。讃岐うどんが流行っているけれど北関東のつけうどんもよい。これは最上静香さんもうどん好きになるはずだ。

下調べしないで行ったので松山城跡など他の史跡に寄らずに帰ってしまった。後から知った情報だと、この写真に納まっている木が生い茂った崖にかの「岩窟ホテル」があるらしい。

別に遠いところではないので、暑さもおさまってきたしまた行ってみたい。